エピソード75 龍神壊滅大作戦

 目を覚ませばふとんにしっかりとくるまっているのに気がついた。今朝は少し肌寒い。スマホで時間を確認すると朝の7時半。朝8時に昨日夕食を食べた店で待ち合わせをすることになっている。伊織はベッドから飛び起きた。曹瑛は窓際のソファに足を組んで座り、タバコを吹かしている。黒のジャケットに薄手のライトグレーのパーカーを重ね着し、黒のスキニーにスゥエードのチャッカブーツを履いている。もう出かける準備は万端のようだ。伊織は慌てて顔を洗い服を着替える。白のロングTシャツにブルーのシャツを重ね着してカーディガンを羽織った。寒そうなのでボトムはジーンズにしておく。



 ホテルから昨日の店まで徒歩5分程度で到着できた。1階は朝から出勤前のお客さんで賑わっている。2階へ来るようにと劉玲から曹瑛にメッセージが入っていた。狭い階段を上がると2階のフロアは無人で、一般客は通していないようだった。仕切りの向こうのテーブルに劉玲に孫景が着席していた。まもなく榊と高谷もやってきた。前髪を下ろした榊は強面もなりを潜め、意外に若く見える。


「おはようさん」

 劉玲が愛想良く声をかける。

「おはようございます」

「伊織くんはよう眠れたか?」

「朝までぐっすりで遅刻するかと思いました」

 伊織はあわててドライヤーをかけたが、寝癖がどうしても直らない後ろ頭を無意識に撫でた。

「それならええ」

 テーブルにはどんどん料理が運ばれてきた。蒸しパンに肉まん、ソーセージに野菜スープ、茶葉卵、サラダ、ちょっとしたビュッフェのようだ。

「お粥や麺もすぐに作ってくれるんやて」

 伊織は麺を注文してみた。刻んだ牛肉入りの細麺はスープがあっさりしており、するすると食べられた。黒糖のほのかな甘さが効いた蒸しパンが美味しくてつい2個も取ってしまった。茶葉卵は密かなお気に入りになっている。


 朝食を済ませ、食後のお茶を飲みながら本題に入る。

「昨日、董正康の経営するフロント企業のサーバーから抜き取った情報です」

 高谷がタブレットを中央に置き、資料の解説を始める。

「中心部から北へ120キロほど行った農村に広大な土地を所有しています」

 曹瑛に劉玲、伊織が現地を偵察にいった村だ。

「会計報告によれば、繊維工場で500名以上の従業員を雇って就労させていることになっていますね」

 工場の建物はあったが、廃墟だった。

「工場であれば疑問はないでしょうが、かなりの電力を利用しているようですね」

 劉玲が見つけた電気メーターのことが裏付けられた。劉玲は面白そうに笑っている。

「興味深いのが、ここ2~3年で研究機材を大量に仕入れています」

「どんなもんや、それは」

「俺、興味があって医薬品製造のことをかじったとこがあるんですが、成分分析や計測器とか、かなり専門的な精密機器を購入しているようです」

 高谷の言葉を腕組みをしながら聞いていた曹瑛は唇を噛む。

「龍神の精度を高めて効果を引き出す研究か」


「これは極秘になっていた資料ですが、プラントの見取り図です」

 高谷が画面をスライドするとタブレットに図面が表示された。小さな画面に皆が顔を寄せる。その極秘資料も易々と抜き取ってきた高谷に伊織は尊敬の眼差しを向けた。

「ここが研究施設、そしてここは龍神を精製する作業場だな。隣接するフロアに広い空間があるな。何に使っているんだ?」

 孫景が首をかしげる。

「研究資料はフロント企業のサーバーには見当たりませんでした。おそらくこのプラントにあるサーバーにデータを格納しているのでしょう」

 高谷の言葉に劉玲が広いスペースを指さす。

「ほなこれがサーバールームか?」

「それなりのサーバー機器を置いていると思いますが・・・いや、これでは広すぎますね。」

高谷が画面をスライドさせるとさらに地下階があるようだった。

「こちらの部屋がそのようですね。配線が集中しています」


「さっきの広い場所、もう一回見せて」

 伊織が身を乗り出す。高谷が画面を切り替える。

「これ、搬入口のスロープかな。龍神を精製してここから出荷する。精製するためには材料が必要ですね」

「材料は芥子の一種だ、通称は龍神」

 曹瑛の言葉に伊織が振り向いた。

「芥子を地下で栽培しているのかも」

「そうや、伊織くん。それやな!」

 劉玲が伊織の肩をバシバシと叩く。

「ちょうどいいじゃないか、このプラントを叩けばすべてが終わるってことだ」

 話を聞いていた榊がニヤリと笑う。研究、栽培から精製、出荷まで、ここがすべての元凶だ。


「行き先は北部農村のプラントと決まったな、さてどないしよ」

 曹瑛がタバコに火をつけた。つられて孫景と榊も煙をくゆらせ始める。

「お前らほんま肺がんになるで」

 劉玲が手で煙を仰ぎながら嫌な顔をしている。

「悪いな、一服したらアイデアが浮かぶ気がするんだよ」

 孫景が伸びた灰を灰皿に落とす。

「ニコチンで脳の血管が収縮して血流障害起こすのに、ええアイデア出るんかな」

 劉玲はタバコは吸わない派で、煙も嫌っている。


「俺はサーバールームでデータをクラッシュさせます」

 高谷が手を上げた。

「なら俺は結紀のガードだな」

 榊の役割がおのずと決まる。

「俺と孫景で龍神畑、曹瑛は研究施設行ったとくか?てことは伊織くんの分担も決まりやな」

 自動的に曹瑛とセット行動ということらしい。曹瑛は何も言わず、タバコを灰皿で揉み消した。出発は夕方、日が沈んでから潜入することになった。


「そうだ、この男が董正康です」

 高谷が示す画面には初老の男が映っていた。髪は白髪交じりのグレー、金縁眼鏡をかけ、奥二重の細められた目は笑っているようでどこか感情が感じられない。小ぶりな唇は酷薄な印象を与えた。白い詰め襟のチャイナ服を着た上品な佇まいだ。

「やっぱりこの男や」

 30年以上前、村で黄維峰と共に劉玲と曹瑛を掠った2人組のうちの1人だという。今は八虎連支部のトップであり、龍神の利権でのし上がる気なのだろう。曹瑛は表情を変えず、画面をまじまじと見つめている。意外と冷静な様子に伊織は安心した。


「ほな、ホテル前に午後4時集合にしよか」

 劉玲の声で解散となった。ホテルの部屋の予約はそのままにするという。今日夜から乗り込んで帰ってくるのはいつになるのだろう。そもそもマフィアの金脈となる龍神のプラントに乗り込んで全員無事に帰れるのだろうか。ホテルの部屋で伊織はソファに座り、ぼんやりと窓の外を眺めた。大通りには車や人が行き会う異国の日常の風景が流れている。


「伊織、少し出かけるか」

 曹瑛の意外な声かけに伊織はぽかんと口を開けて、その顔を見上げた。

「集合までまだ時間がある」

「どこか連れていってくれるの?」

「あまり遠くへは行けないがな」

 敵地に乗り込む前はいつも曹瑛はひとり精神統一をしていた。今日はまさに本丸の攻略になる大事な戦いの前だ。それなのにまさか観光に誘ってくれるとは、伊織は驚いた。

「でも、瑛さん準備しなくていいの?」

「いらない、行くぞ」

 伊織は慌ててソファから立ち上がった。

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