エピソード72 決戦の前夜祭

 夕闇の中、劉玲の運転するベンツは市街地へ向けて田舎道を走り続ける。ヘッドライトが真っ直ぐに続く暗い道を照らす。後部座席で伊織はドアにもたれ、ぽかんと口を開けて眠っていた。これほど無防備に他人の前で眠れるとは、曹瑛は呆れながらも羨ましくも思った。

 先ほどまで号泣していたので、目の周りを腫らしている。手には劉玲が貸してやったハンカチを握りしめている。


 久しぶりに訪れた故郷だった。曹瑛は組織で独り立ちして仕事をこなせるようになり、一度だけ訪れたことがある。もう10年以上も前だ。昔住んでいたあばら屋はすでに廃屋となり、近所の人間に聞けば、両親はすでに別の場所に移り住んだと聞いた。探しに行こうとは思わなかった。


 もし、会えたとしてなぜ幼子を売り飛ばしたのか、それを聞いてみたいだけだった。だが、その答えを知ったところで何か変わるわけではない。

 そして訪れた今日。

 自分達をさらった男達への恐怖の記憶と憎しみ、両親に捨てられた悲しみ、兄との再会、あまりにもいろんな感情がない交ぜになって、どうしたらいいか分からず曹瑛はひどく困惑していた。

 そこで伊織が感情のままに大泣きを始めたので、正直気分が紛れた。そして何もかも吹っ切れた。もしかしたら劉玲も同じ気持ちなのかもしれない。


「伊織くんは寝たか」

 ハンドルを握る劉玲が中国語で曹瑛に話かける。懐かしい、東北地方のなまりだ。

「ああ、泣き疲れて寝た。まるで子供みたいだ」

 曹瑛の表情が思わず緩む。

「おもろい男やな」

「そうだな」

「でも、ええ人間や。お前はええ友達を持ったな」

「・・・友達か」

「お前には初めての友達やろ」

 劉玲はおどけてからかう調子で言った。曹瑛は黙りこくって窓の外の闇を見つめている。

「マジやったんか・・・」

 車内はまた無言になった。


 狭い農道から3車線の広い道路に出る。そろそろ街が近い。

「孫景たちの方も収穫があったようや、晩飯食おうやってメッセージが入ってる」

 中央大街の店で集合することになった。ホテルの地下駐車場にベンツを停めた。ここに九龍会の者が車を取りに来るという。

 

 曹瑛は車が停まってもまだ眠りこけている伊織を揺り起こす。伊織が眠い目をこすりながら車を降りると、目の前に黒いサングラス、全身黒づくめのロングチャイナにコートの男達が5人並んでいた。

「うわっ」

 伊織は思わず叫んで不安な顔で曹瑛の方を見る。曹瑛も身構えて警戒している。男達は劉玲を前にして背筋を伸ばし両手を胸の前で組み、拱手の礼をした。


「そんな大仰な、連れが驚くがな」

 劉玲がやめろと手を振る。男達は劉玲が幹部として所属する上海九龍会の東北支部の者のようだった。

「車、助かったわ。調子良かったで。田舎道を走ったからちょっと汚れとるかも」

「いえ、お役に立てて何よりです」

 髭面のいかつい男の一人がまた頭を下げた。劉玲がベンツのキーを放り投げる。男の一人がそれをキャッチした。

「ほな行こ」

 劉玲はにっこりと伊織に笑いかける。曹瑛も警戒を解き、小さくため息をついて後に続いた。男達は劉玲の姿が見えなくなるまで礼をしていた。


「劉玲さんて、偉い人なんですね」

 まばゆいライトアップに大勢の観光客が行き交う賑やかな中央大街を歩く。伊織の言葉に劉玲は笑う。

「見栄っ張りやねん、まあ上下関係はうるさいわな」

 それが面倒くさそうに劉玲は言う。組織の中でも高い地位にいるのだろうが、中間管理職もまあまあ大変なんやでと伊織の背中をバンバン叩いた。


「そうや、伊織くんここのアイス食べた?」

「いえ、でもこの通りを歩く人たちがよく食べていますね」

 中央大街を歩くと、昔ながらの四角い棒アイスを食べている人をよく見かける。

「そこの馬迭爾冷飲庁で売ってるんや、シンプルやけどおいしいねん」

「美味しそう、食べてみたいです」

 馬迭爾はモダンと読み、ホテルの名前にもなっていた。見れば、馬迭爾冷飲庁のネオンの下にアイスを売る小さなブースがあり前にはたくさんの人だかりができていた。みんなここで買っていたのだと合点がいった。


 待ち合わせの店は大通りから1本裏通りに入った場所にあった。老舗の餃子店らしい。年季が入った内装の店内には大きな円卓が並び、大勢のお客さんで賑わっていた。美味しそうな匂いが通りから漂ってきており、伊織はお腹が鳴る音を抑えるのに必死だった。


「中央大街にも有名な餃子のチェーン店があるけどやな、やっぱりこういう古くからの店がええんやで」

 この店は劉玲が九龍会支部の者からオススメと聞いて予約をしていたらしい。円卓には孫景、榊、高谷がすでに着席したいた。高谷が手を振っている。

「お疲れさん」

 6名が着席するとすぐに店員が注文を取りに来た。曹瑛は炭酸、伊織含め他の面子はハルビンビールを注文した。中国のビールは薄めで飲みやすい。伊織は1杯だけ呑むことにした。


「そっちは収穫あったか」

 劉玲はすでにコップに2杯目を手酌している。

「結紀が関連するデータをごっそり抜いてきた。俺たちは横で見てるだけで済んだ」

 榊は高谷の頭を撫でる。高谷は照れながらも嬉しそうだ。

「見てるだけって、サーバーのある場所に辿りつくまでに何人の強面を気絶させましたっけ」

 高谷がデータを抜くためには榊と孫景の活躍も必要だったらしい。

「会計に給与、土地管理のデータをいただきました。それと、今日伊織さんたちが行くと言っていた場所にあるプラントの図面も」

「プラント・・・」

 曹瑛が呟く。

「もしかして、あの工場跡の地下にプラントがあるってこと?」

 伊織の問いに腕組みしながら曹瑛は頷いた。


 円卓に料理が並ぶ。豚・羊・野菜メインのゆで上げたばかりの水餃子、ビールのつまみになりそうな長ネギと羊肉の炒め物、腸詰め、曹瑛が作ってくれたことのあるジャガイモ・ナス・ピーマン炒めの地三鮮、鉄鍋に入った肉団子、まるごと大きな魚にトマトと卵のスープ。

「うわあすごい!美味しそう」

 どんどん並ぶ料理に伊織は目を見張る。大皿からもうもうと湯気が上がっている。

「しっかり食べてや」

 店員が劉玲に何か耳打ちしている。

「みんな、まだ食べられるか?うちの支部のおごりでまだ料理が追加で来るそうや」

 上海九龍会のおごりという。これはなかなか体験できない。

「食べます」

 伊織が声を上げる。

「じゃあビール追加だな」

 榊も食べる気らしい。

「よっしゃ、ほな持ってきてや」


 水餃子は皮から手作りで、もちもち、あんは下味が付いた肉や野菜が詰まっている。ハルビンにやってきてどこで食べても水餃子は美味い。この店はタレが自家製でさらに美味しかった。地元の人間が勧めるだけはある。

 円卓にならんだ中国東北料理もどれも味がしっかりして、ビールのあてに最高のようだ。酒を飲む面子も料理を次々とつまんでいた。


「瑛さん、ここに並んでる料理も作れるの」

「レシピと材料があれば」

「また瑛さんの料理食べたいよ」

 伊織の言葉に曹瑛は少し考えた後でまたそのうちな、とだけ答えた。最終的に円卓にはきれいにさらわれた大皿とビール瓶が10本以上並んでいた。

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