エピソード70 廃工場の秘密

「瑛さん、俺も一緒に行きたい」

 何となく、どちらに行くにしても役割のない伊織は曹瑛のハーフコートを控えめに引っ張った。

「断ってもついてくるだろう」

「伊織くんだけ置いていくとか、可哀そうやろ」

 劉玲が口を挟む。曹瑛はムッとした表情を浮かべた。

「だから、連れて行くと言っている」

 曹瑛と劉玲は出発前から不穏な空気だ。別れ際に孫景が伊織に殺し合う前に止めてくれよ、と冗談めかして言うが、プロの暗殺者と中国マフィア幹部の本気のケンカを止められる自信は一ミリもない。高谷も伊織に同情の目を向けている。

「伊織、もしものときのために持っておくか?」

 榊が胸元から黒い鉄の塊を出そうとするので、伊織はそれはいらないと思い切り頭を振った。銃なんて持っていても兄弟2人が本気になれば、そんなものは役に立たないに決まっている。だいたい撃ち方もわからない。


 劉玲が調達してきた車に乗り込む。堂々たる黒塗りのベンツだった。ご丁寧に窓もフルスモークだ。上海九龍会のつてで用意させたらしい。

「わあ、ベンツなんて初めて乗る」

「見栄っ張りな奴だ。もっと目立たない車があるだろう」

 伊織は初めて乗る高級外車に驚いているが、曹瑛はあきれている。

「これから2時間、長旅やぞ。乗り心地が良い方がええやん。お前だけ軽トラでついてくるか?」

 曹瑛はムスッとしながらも後部座席に乗り込んだ。劉玲がハンドルを握り、車は市街地を抜けて北を目指す。

「どこまで行くんですか?」

「ここから北へ120キロほど行ったところにひなびた村があんねん」

 さすがに高級外車は乗り心地がいい。クッションが良くて身体が座席にすっぽりと包まれているような感覚に伊織はどこか落ち着かない。曹瑛は長い足を組んでどっしりと座っている。


「その村に何があるんです?」

「村のはずれの結構広いエリアが董正康の八虎連支部の管理地になっててな、でもそこには何もないねん。おかしいやろ?」

「そこで龍神を育てているかもしれないって事ですか?」

 龍神は門外不出のドラッグだ。董正康がボスを務める八虎連支部が密かに栽培して販路を拡大しようとしている。いよいよそれを根元から根絶させるのだ。伊織は息を呑んだ。

「ま、今回は下見や。本気で乗り込んで何もなかったら骨折り損やしな」

 劉玲の関西弁が軽快なので、何となくすべてがのんきな話に聞こえる。松花江を渡り、市街地を抜けるとだだっ広い敷地が広がっている。

「この辺で毎年冬にハルビン氷祭をやってるんやで」

 道路沿いには氷で造られた城がカラフルな光でライトアップされている写真が大きく掲げられた看板が出ている。

「ハルビンの冬って寒いんですよね」

「そうや、マイナス30度くらいにはなるな」

 氷祭は見学してみたいけど、命の危険を感じてしまう。温暖な海沿いで育った伊織には想像もつかない寒さだった。


 山を越え、農村地帯に入る。すれ違う車はトラックや埃被った国産車ばかりになってきた。トラックの積載量に毎回驚く伊織を曹瑛が面白そうに眺めている。

「すごいですね!あんなにどうやって積むんだろう?」

 伊織は木材や収穫した農作物をうず高く積み上げたトラックがいちいち珍しいようだ。

「わあ、あれさっきのよりすごい。積み過ぎだよ。面白いね、瑛さん」

 曹瑛は同意を求められても、という怪訝な顔をしている。田舎では三輪車の荷台にそのまま子供達を乗せて走っている姿もよく見かける。途中、ガソリンスタンドで休憩を挟み、目的の村にやってきた。看板には北廟鎮と書いてある。きれいな舗装のアスファルトは途切れ、でこぼこのコンクリ製の道路に変わっていた。左右には田舎の商店が並ぶ。食堂に自動車修理、雑貨屋と、店の前でおっさんたちが麻雀やカードゲームに興じている。


「ハルビン市内は都会だったのに、田舎はすごく田舎だね」

「この辺も一応ハルビン市だ。鎮というのは日本の村くらいの規模になる」 

 田舎の雑多な雰囲気も興味深い。人々の暮らしがリアルに垣間見える。田舎のメインストリートを越え、左右に畑が広がる農道に出た。道に沿ってポプラ並木が続いている。

「すごい、中国って本当に広いね」

 伊織は修学旅行で行った北海道を思い出した。日本で地平線が見える場所は限られている。ここでは左右ともに果てしなく広い畑が広がっており、遠くもやでかすむ地平線が見えた。農道からさらに脇道に入る。すでに舗装などされていないので、水たまりの跡にハマる度にベンツは揺れに揺れた。


「この辺に停めとこか」

 劉玲がベンツを小さな森の脇に停めた。曹瑛も車を降りた。青空に白いくもがぽつぽつと浮かび、見渡す限りの青々とした畑はのどかな雰囲気だ。劉玲について曹瑛と伊織も畑の真ん中に続くあぜ道を歩き始めた。

「あそこまで行ってみよ」

 劉玲が指さした先に、グレーの平屋建ての倉庫のようなものが見えた。畑の中にはぽつぽつと家や倉庫らしきものが建っているが、グレーの建物は一際大きいようだった。曹瑛と劉玲が肩を並べて歩く。劉玲の方がやや高い。二人とも背が高いので目の前を歩かれると壁のようだ。


「お前の本当の目的は何だ。九龍会の幹部がこんなことに首を突っ込むなんて何かあるだろう」

 曹瑛の斬り込んだ質問に、劉玲は口の端をつり上げて笑う。

「龍神のことは九龍会でも問題になってる。あわよくば董の奴から管理を取り上げようとしてるわな」

 八虎連の上層部もメスを入れられないため、九龍会が出張ってきたということだった。

「せやけど、董から龍神を取り上げても組織は利益を追求して何をするかわからへん。俺は調査を任されてるんやけど、どさくさに紛れて龍神を滅ぼしたる」


 劉玲は曹瑛に笑顔を向けた。曹瑛は眉根を寄せたまま不機嫌な表情を崩さない。

「それにな、弟が頑張ってるんや。手伝うのが兄弟やろ」

 そう言って、劉玲は派手に曹瑛の背中をバシンと叩いた。いつの間にか遠くに見えていたグレーの建物が目前に迫っていた。スレート屋根のどこにでもあるような工場のようだ。広い入り口はそのまま開いており、中を覗き込むとがらんとして何もない。ボロボロの段ボールや古着、うち捨てられた機械が放置されている。窓ガラスはところどころ割れ、気だるい日差しが差し込んでいた。


「何もないね、操業しているようでもないし」

 周囲も無人だ。電気もない薄暗い工場内に足を踏み入れてみる。スレート屋根にも穴が開いて、雨水が垂れていた。何もないが、とにかく広い。

「八虎連はこんな場所を管理しているのか。これから何かを始めるわけでもなさそうだ」

 そのまま工場内を横切り、対面のシャッターから外を覗く。その先にはどこまでも続く畑だ。芥子の花でも栽培しているのかと辺りを見渡すが、キャベツや白菜、麦などの農作物を育てているようだ。劉玲が廃墟と化した工場の外周りを歩いている。

「曹瑛、見てみ」

 劉玲が工場の側にあったコンクリート製の建物の前で、曹瑛を呼び止めた。そこには配線が繋がっており、メーターがまわっている。劉玲がこれは電気のメーターだと伊織に教えてくれた。

「稼働しているな」

 メーターの回転が速い。かなりの電力を使っている。周囲には廃工場以外何もない。工場の北側には広い駐車スペースがあった。車が何台か停まっている。農村で見るような埃被った国産車ではなく、BMWやベンツなどの高級外車だった。


「これはおかしいな、こんな場所に誰がええ車で来てるんやろ」

 劉玲はニヤリと笑う。車のドアがバタンと閉まる音が聞こえ、3人は工場の中に身を隠した。割れた窓から覗き込むと、黒いスーツの男が2人、アタッシュケースを持った白衣の男が一人、車から出てきた。コンクリ製の建物のドアにはセキュリティがついている。スーツの男がカードキーを通すと鉄製のドアが開いた。男たちは建物の中へ入っていく。

「こんな田舎の掘っ立て小屋にカードキーとは奇妙やな」

 劉玲は確信を得た様子だ。

「地下だな」

「まさか、この地下で・・・」

 伊織は思わず足下を見た。工場の砂っぽいコンクリートの床の下で何が行われているのか。

「これまで衛星写真やなんかで龍神を栽培してる場所を探してたんやけど、これは見つからんはずや」

「地下で研究も行っているようだ」

 白衣の男は研究者のようだった。より効力を高める研究を行い、人間を壊そうとしている。曹瑛は唇を噛んだ。


「ほな、いこか」

 今度はみんなで来よう、と軽く言って劉玲は工場から出て行く。曹瑛はじっと佇んでいる。ここまで来たという思いが強いのだろうか。足を踏み出そうとした曹瑛の腕を伊織が掴んだ。

「瑛さん、今は帰ろう」

 伊織の声は穏やかだった。曹瑛は一度目を閉じ、深呼吸した。踵を返し、劉玲の後に続く。伊織はほっとして曹瑛の背を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る