エピソード69 火鍋と就活相談

「ほな、昼飯食いに行こか」

 物騒極まりないショッピングが終わり、劉玲が中華版食べログで見つけた店に行こうという。黒龍書店から歩いてすぐの火鍋屋らしい。黒龍書店店主の郭京文に聞けば、味は確かと返事があった。

「火鍋って、俺初めてです」

「そうか、めっちゃ美味いで~」

 アパートのある池袋の中華街で火鍋店の看板は良く見かけたが、入ったことはない。本番の火鍋がどんなものか伊織は楽しみでほくほくしていた。大通りを渡って徒歩3分ほどで劉玲の言う店があった。昼時ですでに店内はよく賑わっている。鍋から立ち上る熱気、独特の中華調味料の匂い、客の喧噪、中国という国はいつもパワフルだと感じる。


 6人で座れるテーブルに案内された。まずは鍋の具材を決める。注文用紙に材料のチェックリストが並び、鉛筆でチェックを入れて店員に渡すシステムだ。簡体字だが、肉の種類はだいたい読めた。

「やっぱり羊かな、豚も入れとこ」

 劉玲がどんどんチェックを入れていく。

「榊はんと孫景はんはビール飲むやろ?この店はハルビンビールあるで」

 2人とも当然の如く頷く。曹瑛が酒に弱いのは劉玲も分かったらしく、あえて聞かない。

 ハルビンビールは地元のメーカーが製造しており、ロシア人の創業で中国で最初に造られたビールだ。中国のビールと言えば青島ビールが思い浮かぶが、ハルビンビールの方が歴史が深い。すっきりとしたフルーティな味わいが特徴だ、と劉玲がうんちくを話してくれた。中国のビールは日本のものと比べ、かなり薄味に感じる。伊織にはそのくらいでちょうど良かった。なにより、脂っこい中華料理には良く合う。酒豪の榊などはこれは水だと言っているが。


「何か食べたいものあるか?」

 劉玲が伊織に食材のチェックリストを見せて、どんな食べ物なのか説明してくれた。高谷にも隣に座っている孫景が教えている。

「はるさめみたいなのありますか?」

「せやな・・・これかな」

「あと、水餃子入れてみたい」

「おお、ええよ、そうしよ」

 注文用紙を渡すとすぐに飲み物を持ってきてくれた。曹瑛と伊織は炭酸、他の面子はビールが並ぶ。テーブルの中央に陰陽の形をした鉄製の鍋が置かれる。いかにも辛そうな赤いスープと白いスープにごろごろと薬味が入っている。


「乾杯!」

 中国人は乾杯を何度もするらしい。他のテーブルでもおっさんの団体から何度も声が聞こえてきた。すぐにテーブルに並びきらない程の食材がやってきた。並ばないものは可動式の棚に置かれている。鍋が温まってくると独特の薬味の香りが漂ってきた。食材をどんどん投入する。

 伊織は白いスープから食べ始める。たれはセルフで醤油っぽいものとごまだれにネギとパクチーを取ってきた。羊肉は臭みがなく、あっさりして美味しい。薬膳のようなスパイスが効いて独特の旨味がある。曹瑛は真っ赤に煮えている赤い方の鍋をメインに食べている。

「赤い方は辛い?」

 どう見ても辛そうだ。ぐつぐつ煮えたぎる様子は血の池地獄を彷彿をさせる。

「赤いのは麻辣スープだ。辛いけど美味いぞ」

 曹瑛は甘い物も好きだが、辛いものも平気らしい。孫景は大汗をかきながらはふはふ言って食べているが、曹瑛は黙々と冷静に食べている。真っ赤なスープを試してみると、一気に汗が噴き出した。新陳代謝が強制発動したような感覚だ。

「うう、辛い・・・けど慣れたら美味しいかも」

「伊織くん、水餃子煮えてるで」

 劉玲は面倒見が良い。ほいほい食材を掬ってみんなの皿に盛っている。羊肉、豚肉に白菜や冬瓜、キノコ類と野菜も盛りだくさん、スパイスの妙味も良い火鍋は美味しかった。


 鍋の火が消えて、腹が十二分に満たされた。伊織はふとスマホに届いた未読メールを見てげんなりしていた。

「俺、仕事探さないと」

 職業安定所からの自動メッセージだ。一応、気になる職種を登録してあるので、応募があれば通知が入る。ざっと見ても条件がパッとしなかった。噂に聞く離職率の高いブラック企業の名前が連なっている。32歳、だんだんと選択の幅は狭まっている。贅沢をいうつもりは無いが、飛びつきたくなるような条件も無い。かといって、以前経験がある広告代理店に務める気も薄かった。


「榊さんはこの先どうするの?」

 伊織は榊に尋ねた。元ヤクザの榊も鳳凰会が解散となり、無職の身だ。

「俺はいくつか店を持っているからな、経営に力を入れる。他にもビジネスを考えているところだ。ネット系なら結紀が頼りになるしな」

 前職の倒産整理で新宿のバーなどいくつか店の経営をしているらしい。まあまあ流行ってるぞ、ということだった。高谷の行きつけのバーGOLD HEARTも実は榊が経営者という。同じ年なのにこの差か、と伊織は愕然とした。


「お前は何がしたいんだ?」

 曹瑛の言葉にハッとした。自分は何をしたいのだろう。仕事でやりたいことなんて考えたことも無かった。広告代理店に就職したのは面白そうだった、というのはある。

「俺、何がしたいんだろう・・・」

 思わず情けない顔で曹瑛を見た。曹瑛は伊織をいじめているような気分になり、困惑している。

「伊織くんうちに来るか?仕事いっぱいあるで」

 劉玲が満面の笑顔で伊織の肩を叩く。

「うちって・・・九龍会に?」

「せや、上海で働けるで」

 マフィアの組織に就職は考えていない。伊織は丁寧に断った。

「本当に困ったら俺のところに来い。つてはあるぞ」

 榊のつてとは。深く考えないようにした。

「ありがとう、心強いよ。もし困ったらお願いする」

 劉玲も榊も頼めば本当に仕事を世話してくれると思う。しかし、その縁に甘えるのは自力でやりきってからだ。


「高谷くんはどんな仕事をしたいの?」

 伊織は若手の高谷に話を振ってみた。高谷は現在大学3年生だ。そろそろ就職活動を視野に入れていく時期でもあるだろう。

「俺はシステム開発をしたいかな。これからは医療が強いと思う。3年は日本で働くけど、海外勤務のチャンスがあるところを選びたい」

 高谷は何をしたいか、キャリアアップまで考えている。伊織は自分のダメさ加減にげんなりした。劉玲が高谷も一緒に働かないか誘っている。リモートワークならいつでも手伝います、と話が進んでいた。


「お前ならできる、やりたいことを見つけて進め」

「瑛さん・・・」

 曹瑛の言葉に伊織は胸を撃ち抜かれた。曹瑛に言われたらできるかもしれないと思えた。曹瑛はそれだけ言うとタバコに火を点けて紫煙をくゆらせ始めた。

 物騒な大荷物はいったん黒龍書店で預かってもらい、ホテルに届けてもらうようにした。午後から二手に分かれて行動することになっている。孫景は榊、高谷と組織のフロント企業のオフィスビルへ。高谷がハッキングで不動産や経理関係の情報を抜く。曹瑛と劉玲で池袋の情報屋、烏鵲堂のおやじがくれた資料にあった組織の管理地へ行くことにする。

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