エピソード68 黒龍書店

「これ、いろんな建物についてるけど、何だろう」

 翌朝、伊織と曹瑛は朝食の店を求めて中央大街を散策していた。朝はまだ観光客がほとんどいないため、石畳の並木通りをゆっくり歩くことができる。明るい中、中央大街を見学するのは初めてで、夜の風景とはまた違う顔を見せている。伊織は古い洋風の建物に歴史建築と書かれているパネルが付いているのに気が付いて、近づいてみる。


「これはかつて銀行として使われていた建物だ」

 曹瑛が説明してくれた。よく読んでみれば、看板に満州中央銀行という文字が見てとれた。昔の日本の商社跡もあった。20世紀に建てられ、歴史的な建築物として保護されているという。パネルを探しながら歩くのもまた面白い。

「ヨーロッパ風だけど、また独特の味わいがある建物だね」

「老朽化して取り壊しになるものも多い」

 横道を覗き込むと工事中の防塵壁が建てられているところがちらほら見受けられた。通りには洋風建築に似せた真新しい建物も多い。もしかすると老朽化したら、壊して新しく建て直してしまうのかもしれない。古い建物の保存にはそれなりの費用もかかるのだろう。それも寂しいなと伊織は思った。


 脇道に逸れて、朝から開いていた小さな食堂に入った。ガラスケースの中に見慣れない食材が並んでいる。伊織は何を選べばいいか分からず、きょろきょろと目を泳がせている。

「粥か、麺か、肉まんもあるぞ。副菜で好きなものがあればここから選べばいい」

 伊織はお粥に肉まん2つ、ガラスケースから菜っ葉の炒め物と茹でた鳥肉、飲み物に豆乳を選んだ。曹瑛が茶葉卵を2つ追加して注文した。

「いただきます」

 お粥には刻んだピータンとパクチーが入っている。ピータン粥はメジャーな朝ご飯らしい。肉まんはかぶりつくと肉汁が溢れた。素朴だがしっかり味がついており、美味しい。菜っ葉の炒め物はシンプルな中華味で、お粥と一緒に食べると良いおかずになる。


「このタレ、何でできてるんだろう。美味しい」

 骨がついたままぶった切って、茹でた鳥肉に香味だれがかかったシンプルなおつまみに伊織は感動した。日本では食べたことがない謎の旨味がある。

「お前がものを食べているのを見るのは面白いな」

 お粥と茶葉卵を食べ終わり、頬杖をつきながら曹瑛がしみじみと呟いた。

「それ、どういう意味?」

 面白いとは失礼な、伊織はムスッとした顔をして見せたが、またほくほくと2つ目を肉まんを食べ始めた。豆乳ドリンクは砂糖がしっかり入った甘い味付けだった。


「ショッピングにいくで」

 ホテルに戻ると、劉玲がロビーで待ち構えていた。榊と高谷、孫景もいる。タクシーを呼び、劉玲が行き先を指示した。大通り沿いの洋館の前で車を降りた。古い欧米風の建物と新しいビルが混在する雑多な雰囲気の通りだ。目の前の洋館には「黒龍書店」と看板が掲げられていた。年季の入った瀟洒な建物だ。


 ガラス扉を開けて店内に入れば、1階部分は小さなギャラリーになっていた。臙脂色の壁紙に真鍮の立派な額に入ったハルビンの古い街並みを描いた風景画が何点か飾られている。天井からは光量を落としたシャンデリアが吊り下げられている。奥の階段を上れば2階部分が書店になっていた。洋風の大きな書棚に本がずらりと並ぶ。読書スペースには存在感のあるアンティークの木のテーブル、柱にはアールデコ風のランプが使われており、モダンで洒落た雰囲気だ。


「すごい、おしゃれな本屋さんですね」

 伊織は本屋らしからぬ雰囲気に驚いた。ここの本はちゃんと売り物なんやで、と劉玲が教えてくれた。お客さんは椅子に掛けて読書を楽しんでいる。店の中央には平積みに本が積まれていて、放送中のドラマの原作本や、SF大作、歴史もの、日本の有名作家の中国語訳本なども並んでいた。


「用事があるんはこの上なんや」

 ショッピングの目的は本屋ではないらしい。上の階へ上がる階段にはポールにロープが張ってあり、関係者以外立ち入り禁止という意味の中国語が書いてあった。劉玲はポールをひょいと避けて3階へ上がっていく。曹瑛もそれに続く。

「立ち入り禁止とあるけど・・・」

「行こう、俺たちは関係者なんだよ」

 適当なことを言う榊に背中を押されて、伊織も曹瑛について3階への階段を上がった。3階の部屋はプライベートルームと看板が立っている。部屋を覗けばまるで大正浪漫な雰囲気の高級感あふれる部屋だった。天井には花の形を模したランプ、緻密な模様の厚みのあるカーテン、窓の一部はステンドグラスだ。重厚な黒木の家具が並ぶ。劉玲は部屋の奥へ進み、黒い扉をノックした。


「いらっしゃいませ、私はここの店主、郭京文です」

 少し間を置いて、扉が開くと、黒い丸レンズのサングラスに青地に金色の鳳凰の刺繍が見事なチャイナ服の男が立っていた。曹瑛ほどではないが、細身で背が高い。劉玲について皆も部屋に入る。臙脂の絨毯に白い壁、部屋には窓が無い。一方の壁は黒い木の棚が据え付けてある。中央には円卓と革張りの椅子が置いてあった。伊織はその雰囲気に池袋の烏鵲堂を思い出した。


「何をお探しでしょう」

「せやな、俺はヨーロッパ製のナイフにしよ」

「それでは、こちらイタリアマセリン社製レギオンはいかがでしょう」

 郭京文は壁面の黒い引き出しを音も無く引いた。中には美術館のコレクションのように鈍色に光るナイフが並んでいる。その中から1本を取り出し、円卓の回転台へ置き、劉玲の方へ回した。

「これはなかなかええな、形がおしゃれや。アメリカ製は丈夫なんやけど趣がないわ」


「お前は新調せえへんのか?」

 劉玲が曹瑛に尋ねる。

「俺は長年手になじんだものがいい。消耗品はあるか?」

 チャイナ服の男は別の引き出しから小さなスローイングナイフを取り出し、回転台で曹瑛の方へ回す。曹瑛はそれを手に取り、重さや質感を確認している。

「試してみますか?」

 郭京文が壁のダーツボードを指し示す。

「3本ほど貸してくれ」

 曹瑛は手の平に収まるサイズのスローイングナイフを3本を取り上げた。軽く弄んで手首のスナップを利かせ、ナイフを放った。伊織にはナイフの軌道が早すぎて全然見えなかった。3本のナイフはボードの中央とその左右に均等に刺さっていた。

「悪くないな、20本もらおう」


 孫景は催涙弾やC4プラスチック爆弾、時限装置などアクション映画に欠かせない武器をあれこれ購入している。郭京文がどうしてもこれを、榊に日本刀をプレゼントしている。

「おお、よく似合いますね!あなたはまさに侍です」

 郭京文は日本人の客が来たが嬉しそうだ。榊が刀を抜く仕草を見て大感激で喜んでいる。高谷はプログラミングで制御できるカードキーや怪しげなUSBメモリなどシステマチックなものを相談していた。

 伊織は完全に居場所がない。

「伊織くんは何にする?」

 劉玲に尋ねられて伊織は困った顔で頭を振った。武器なんて持たされても何もできない。曹瑛が郭京文に何か中国語で話している。曹瑛が郭が取り出したものを伊織の手に握らせた。

「伊織はこれだ」

「何、これ・・・」

 それは痴漢撃退用の強力催涙スプレーだった。曹瑛がどこまで本気かは分からないが、それなりに自分のことを考えてくれたであろうチョイスに、複雑な思いはありながらも感謝した。この店の買い物は劉玲が九龍会の経費で落としてくれた。

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