エピソード67 乱闘騒ぎ

「高谷くん、大丈夫」

 伊織は自分と同じくナイフで脅されている高谷を横目でちらりと見やる。恐怖に怯えているかと思いきや、高谷は不敵な笑みを浮かべている。榊は弟の命が危険に晒されているにもかかわらず、取り乱すことなく落ち着き払い、静かな怒りを露わにしている。男の一人が曹瑛の前に立つ。背の低い男がいきがりながら頭一つ高い曹瑛を見上げる姿は正直、みっともない。男はサバイバルナイフを取り出し、曹瑛の目の前でチラつかせる。

「お前が裏切り者か」

「もとよりお前らに忠誠など誓っていない」

 曹瑛は無表情で淡々と言い放つ。

「気に入らねえ奴だ。その綺麗な顔を切り刻んでやる」

 

「ぎぁあああ」

 不意に、高谷を捕まえていた男が甲高い叫び声を上げた。伊織が驚いて振り向くと、男がガクガクと痙攣しながら地面に転がった。解放された高谷が手にペンの様なものを持っている。先端に青白い火花が散ったのが見えた。伊織を脅す男は訳が分からず動揺している。

「えい」

 男の腕の力が緩んだ隙をみて、伊織は力一杯ジャンプした。子供の頃から石頭が自慢だった。悪ガキとケンカしたときはいつも頭突きで勝った。

「うがっ!」

 伊織の真下からの強烈な頭突きを受けて、何か叫んでいた男は舌を噛んだ。中国語で喚いている。


 曹瑛に対峙していたチビが、仲間の叫び声に一瞬振り返った。曹瑛は男のサバイバルナイフを瞬時に奪い取り、太ももに突き立てた。男はぎゃっと悲鳴を上げ、地面に転がった。男を飛び越え、伊織の前に駆けてくる。

「伊織、しゃがめ」

「はいっ」

 伊織は曹瑛の声に答えながら、意外に素早い身のこなしでしゃがみ込んだ。伊織という盾が無くなり、背後にいた男は迫り来る曹瑛の怒りの表情に驚愕した。その側頭部めがけて勢いをつけた曹瑛の右のハイキックが綺麗に入った。男は叫び声を上げながら吹っ飛ばされた。そのまま曹瑛は転がる男を追い、腹にブーツのつま先を食い込ませる。男の投げ出したナイフを拾い、身もだえしながら逃げようとする男のジャンバーの裾にサバイバルナイフを突き立てた。 


 男たちの人質という保険は無くなった。しかし、ここで逃げたすのは面子が許さないようだ。榊はコートのポケットから腕時計を取り出し、ハンカチで拳をくるみ、文字盤を拳の上になるよう握り込んだ。坊主頭の巨漢が榊に殴りかかる。榊はそれを悠々と避け、腕時計をつけた拳で男の頬を殴り飛ばした。坊主頭は脳天に来たらしく、ふらふらとよろめく。榊はその顔に正面から拳をたたき込む。文字盤が粉々に砕け、男は盛大に鼻血を吹いて、受け身も取らずにブッ倒れた。

 短髪の男が劉玲を狙い、ナイフを振り回す。劉玲は軽いステップでそれを避ける。その背後からチャンスとばかりにツーブロックの男もナイフで襲いかかる。

「おお、二人がかりで怖いやんか」

 劉玲は軽口を叩きながら軽やかに身をかわし、男たちをあしらっている。

「死ね」

 ナイフを繰り出した短髪の足を狙い、ローキックを放つ。男はバランスを崩して地面に転がった。その腕を踏みつけ、サバイバルナイフを取り上げる。呻く男の腹を蹴り、黙らせた。

「ほれ、これであおいこやろ」

 劉玲はナイフをくるくると回転させ、弄んでみせる。その手慣れた動きに、ツーブロックの男は背中に冷たいものが落ちるのを感じた。半ばヤケクソ、ヒットアンドアウェイで劉玲に斬りかかる。劉玲は適当にナイフでの打ち合いに付き合っている。

「あんた、ぬるいで。殺し合いなんかしたことあらへんのやろ」

 劉玲の瞳がギラリと光る。凄まじい速さで繰り出されるナイフ捌きに男の服はどんどん切り裂かれる。男は身を守るのが必死で、後ずさるしかない。気が付けば、頭に衝撃があり地面に転がっていた。劉玲の足が天に向かい真っ直ぐに伸びていた。放たれた前蹴りがクリーンヒットしたのだ。

「兄ちゃんの負けや」


 その様子を見て逃げだそうとした2人組の前に孫景が立ちはだかる。

「仲間を置いていくとは性根が腐ってやがる」

 二人をひょいとつかみ上げ、頭をゴツンとぶつけた。二人は気絶し、孫景が手を放すと力無く地面に突っ伏した。革ジャンの男がポケットから銃を取り出そうとしている。孫景はその手が引き金を引く前に、突進した勢いを乗せてラリアットを食らわせた。男は銃を落とし、地面に転がる。孫景は銃を拾い上げ、男に狙いをつけた。

「こんな公共の場所でぶっ放そうとする奴があるか」

 孫景は呆れながら銃を分解して、その部品をバラバラと地面に落とした。男は孫景に向かってわめき散らしていたが、孫景は男を蹴り上げて黙らせた。


 最後の長髪を榊が羽交い締めにして落とし、決着がついた。広場には無残な男たちが呻きながら転がっていた。まさに阿鼻叫喚だ。

「伊織、大丈夫か」

 呆然と佇む伊織に曹瑛が声をかける。

「うん、平気」

「切られたのか」

 俯く伊織の頬に紅い筋が見えた。男の腕が泳いだときにナイフの切っ先が軽く当たったのだろう。曹瑛はサバイバルナイフで地面に縫い付けた男の側に歩み寄る。前髪を乱暴に掴みあげ、ナイフを男の顔に当てた。男はヒッと声にならない叫びを上げる。


「瑛さん、何するの」

「こいつの頬を削いでやる」

「いやいやいや、それはやばいって、やめてお願い」

「お前を傷つけた」

「俺の傷って・・・このくらい絆創膏で大丈夫だよ」

 伊織の必死の懇願で、スプラッタな現場になることを避けることができた。男は仏でも見るような顔で伊織を見上げていた。


「いろいろ聞きたいころがあんねん」

 劉玲がしゃがみ込んで地面に突っ伏した男に尋ねる。誰がしゃべるか、という意思表示で顔を背けるが、いかつい男たちに囲まれ目の前にナイフを突き立てられたら、諦めるしかない。

「何で俺たちを襲ったんや」

 劉玲が中国語で尋ねる。

「そこの、裏切りものに懸賞金がかけられている」

「ほう、そら曹瑛も有名人になったもんや」

 曹瑛は面白くなさそうに舌打ちしてタバコに火を点けた。

「懸賞金をかけたのはどこの組織や」

「八虎連だ」

「支部はどこや、お前らの長は誰か言うてみろ」

「・・・董正康」

「お前らのところに黄維峰という幹部がいるか」

「・・・いる」


「董正康か、八虎連でも鼻つまみものと聞く。龍神のような毒の売買や誘拐が主で食いつないでいる」

 孫景が吐き捨てるように言った。

「董正康、俺たち兄弟を買った2人組のうちの一人や。黄維峰と董正康、若い頃からつるんでろくでなしやというわけや」

「狙いは董正康の組織だな」

 榊が壊れた腕時計を放り投げた。高谷と一緒に屋台街を散策していたときに買った偽物のロレックスだ。もともと用途はこのためだった。

「せやな」

「龍神の製法もそいつが握っているというわけだな」

 曹瑛が劉玲の顔を見る。

「次の目的が決まったな」

 男たちはニヤリと笑いあった。


 ホテルへの帰り道、自分より10も年下の高谷が物怖じしないことに伊織はひたすら感心していた。

「まあね、新宿の裏通りで遊んでいろいろ経験したから」

 にっこりと笑う顔は愛嬌がある。

「それスタンガンてやつ?」

「うん、外側はペンに見えるでしょ。自作だけど意外と使えたよ。伊織さんも持っとく?」

 遠慮しとく、と言って愛想笑いでごまかした。使い方を間違えて自分が感電しそうだ。明日は董正康の組織の事務所を捜索、それと必要な武器の調達。飲み会の帰りにいい汗かいた、という雰囲気で解散してそれぞれの部屋に戻っていった。

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