エピソード62 最後の晩餐

 ビルの谷間に溶けるように太陽が落ちていく。ギラギラと最後の輝きを放ち、空を赤く染めていた。

 ベランダにもたれて曹瑛は一人タバコを吹かしていた。紫煙が空に立ち昇って消えてゆく。街がネオンに彩られはじめ、人々は相変わらずせかせかと歩いていく。この風景も見納めか、と小さくため息をついた。

 この街には何の未練も無いはずだ。


 そもそも土地に対して未練を感じたことは無かった。ターゲットの近くに組織が用意した仮の宿で生活する、それが3日で終わることもあれば1ヶ月続くこともあった。そうやって中国国内を点々とした。

 日本に興味があったわけではない。口実にした観光ガイドの仕事をさせてやっておくかと思い、気まぐれで伊織に東京観光を依頼した。日本の観光地を巡った日々は案外楽しかった。


「友達、か」

 曹瑛は小さく呟いた。伊織とは住む世界が違う。ここまで引っ張ってしまったのはまずかった。

 のんきに友達ごっこをしていても、いずれまた別々の日常がある。自分に情が湧いていることが意外だった。

 誰とも干渉しないように生きてきた。

 それなのにここに来て急に暑苦しい連中がずっとついてくる。さらに死んだと思っていた兄まで。その変化に正直戸惑っていた。ベランダの網戸だけ閉め、部屋に戻った。


 伊織がソファを占領して眠っている。無防備な寝顔を見ると、思わずおかしくなった。このまま出て行ってしまおうか、と考えたが劉玲の顔を思い浮かぶ。

「俺が置き去りにしても、あいつが連れてくるんだろうな」

 曹瑛は独りごちてソファに腰掛け、脚を組む。カーテンがふわりと揺れる。夜気を含んだ涼しい風が吹き抜ける。


 不意にチャイムが鳴った。ここを知っているのは榊か孫景くらいのはずだ。曹瑛は警戒しながら立ち上がった。すると伊織も目をこすりながら起き上がる。

「あ、瑛さん俺出るよ」

 寝ぼけまなこでふらふらと玄関へ向かう。

「おい、気をつけろ・・・」

 伊織は一応のぞき窓をのぞいてドアを開けた。


「よう、買い出ししてきたぜ」

 孫景が買い物袋を持っている。その背後から劉玲が顔を出した。花柄のエコバックを掲げている。

「お前ら、何で・・・」

 顔を引きつらせる曹瑛を尻目に邪魔するで、と部屋に上がり込む。

「ごめんね、今晩一緒にご飯食べようって誘ったんだ」

 伊織が曹瑛に手を合わせた。


 劉玲が買い物袋をキッチンのテーブルの上に置き、中身を取り出す。小麦粉、キャベツ、豚肉、えびに焼きそば。孫景が机の上にホットプレートを出す。

「そばだけやと寂しいやろ、たこ焼きの準備もあるんやで」

「わあ、粉もん祭りですね」

「俺は関西に住んでたときにしっかり仕込まれたからな、相当に上手いで」

 賑やかな輪から取り残されて呆然とする曹瑛。またチャイムが鳴った。3人が食事の支度に忙しそうなので仕方なく玄関へ向かう。予想通りの来客だった。


「酒を持ってきたぞ」

 榊と高谷だ。榊は山梨で買った酒蔵の日本酒にビールのパックを手にしている。黒のジャージ姿に前髪を下ろした榊は元極道のいかつさがなりを潜めていた。

「曹瑛さんのためにスイーツもありますよ」

 高谷はケーキ屋の白い箱を見せる。

「そうか」

 曹瑛は思わず口許を緩める。全てはお膳立てのようだ。

 キッチンではお好み焼きとたこ焼きの準備が進んでいる。劉玲がノリノリでたねを仕込んでいる。


「お好みソースは足りるか」

 劉玲に聞かれて伊織は冷蔵庫を確認した。この間のたこ焼きパーティで買った残りが容器の半分しかない。

「おお、それだけじゃ到底足りんわな」

「俺買ってきます」

 伊織が言い出し、高谷も一緒に行くとついてきた。


 マンションから近いいつものスーパーへ歩く。

「伊織さん、今日は呼んでくれてありがとう」

 高谷がにっこり笑う。バーで会ったときは不敵な青年と思っていたが、背伸びをしていたように思える。

「うん、もしかしたら日本でこの面子が揃うのは最後かもしれないから」

「寂しそうですね」

「そう?今日はみんないて賑やかだよ」

「龍神の件が片付いたら曹瑛さんと縁が切れるのを心配しているんでしょう」

 高谷に心の中でわだかまっていたことを指摘された。伊織は空を見上げる。


「おかしいよね、最初は何か無愛想で怖い奴が来たって思ったんだ。無理矢理頼まれたバイトで何でこんな奴の相手をしないといけないんだって。俺、逃げようと思ってさ」

「うん」

「気が付いたら巻き込まれてた」

 伊織はわはは、と笑いながら頭をかいた。

「俺、バーで曹瑛さんに声をかけられたとき、怖かったよ」

「怖いよな、瑛さん」

「でも、河口湖で一緒に行動して、曹瑛さんの表情がすごく柔らかくなったと思った。きっと伊織さんのおかげだよ」

「そうなの、俺は普段通りなんだけど」

「それがいいんじゃないですか、榊さんもそうだけど、裏社会にいればそういう怖い顔になるんです」

「瑛さんこれが終わったらやりたいことがあるって言っててさ。俺はそれが叶うように応援したいと思ってる」

「俺は2人はずっといい友達だと思いますよ、だから心配しないで」

 高谷に背中を軽く叩かれた。20才そこそこの子に元気づけられるなんて、ちょっと気恥ずかしくなった。

「ありがとう、高谷くん」


 お好みソースを買い込んで部屋に戻ると、ビールの缶が5つ空になっていた。ボールに一杯のたねの用意ができており、ホットプレートとたこ焼き用プレートも保温で準備万端だった。


「ほな焼いていくで」

 劉玲がお好み焼きを作り始める。伊織はたこ焼きを担当した。どんどん焼いても男達がその分平らげていく。

「日本のお好みソースは最高だな」

 孫景が満面の笑みでお好み焼きを頬張る。ビールが回ってすでに顔が赤い。

「伊織はたこ焼き屋ができるんじゃないか」

「やだなあ榊さん、本気にしますよ」

 粉もんにビールは合うのでどんどん缶が空になっていく。劉玲は日本酒を冷やでちびちびやっている。曹瑛は自分の淹れたお茶を飲みながらたこ焼きをつまんでいる。


「お好み焼きの本場は関西地方なのか」

「そう、メジャーだから日本全国どこでも食べられますけどね」

 曹瑛の問いに伊織がたこ焼きをくるくると回しながら答える。

「お好み焼きに白ご飯がまた合うんやで」

 劉玲の言葉に、それは関西人だけだと伊織は心の中で突っ込んだ。


 あれだけあった大量のたねを焼き尽くしてしまった。プレートを片付けて高谷が持ってきたスイーツを開ける。

 フルーツが盛りだくさんのホール状のゼリーだった。透明なゼリーの中にベリーやりんご、桃などのフレッシュなフルーツがふんだんに閉じ込められている。見た目のインパクトに男達が低い声でおう・・・と唸っている。


「このお店、友達に聞いてて絶対今日買っていこうと思ってたんですよ」

 都会の若い子のセンスにはいつも脱帽する。どこか田舎根性の抜けない伊織は引け目を感じてしまう。

「ほど良い甘さが上品だな」

「ほんのりハーブの香りづけがしてある」

「これどこの店なん?高谷くん教えてや」

 さわやかなゼリーを食べながら繰り広げられる会話は女子会だが、大柄な男たちの集う絵面はむさ苦しいことこの上ない。


 食後に曹瑛と伊織と高谷はコーヒー、榊と劉玲、孫景は口直しに日本酒を飲んでいる。劉玲は先ほどからずっと日本酒だが酔っ払う気配は全くない。曹瑛とはいろんなことが真逆なのだなと伊織はおかしく思った。


「せっかく顔を合わせたからハルビンの件打ち合わせするか」

 孫景が切り出した。

「日本勢はパスポートあるのか」

 榊は昨年、組のシノギで上海に行っており、まだ充分期間も残っているという。高谷も学生になってから10年パスポートを取得している。伊織も仕事の研修旅行で2年前にハワイに行ったときに取得したので期限は残っていた。

「ほな、みんないつでも飛べるみたいやな」

「成田から春秋航空の直行便が3時間でありますね」

 高谷がスマホで航空券を調べている。明日あさっての便も空きがあるようだ。


「ハルビンに着いたらどうやって龍神の本拠地を探す?」

 榊がフィリップ・モリスに火を点ける。曹瑛ももらいタバコをして吸い始めた。

「龍神の製法を奪って消し去ることと、栽培地を叩く必要があるな」

 孫景はまたビールを空けた。

「黄の組織の事務所に手がかりがあるかもしれない。事務所はハルビン中心部のはずだ」

 曹瑛も事務所の場所は知らないという。八虎連も末端の組織がいくつもあり、曹瑛は本部から依頼を受けて動くので末端組織のことはすべてが分かるわけではないようだ。

「ということは、黄の組織の事務所を探すことやな、あとのことはそれからや」

 この戦いは一体何日で決着が付くのだろう。ハルビンでバイトはあるだろうか、と伊織は半分本気で考えはじめていた。

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