エピソード61 共同戦線

「いただきます」

 伊織は定番のかぼちゃのほうとうにした。鉄鍋で出されたほうとうは具だくさんだ。

 まずはスープを味わう。こくのある味噌味がいい。面は平麺でもちもち、甘みのあるスープに絡めて野菜と共に口に運ぶ。


「ふう、美味しい」

 伊織は幸せそうに、目を細めた。スープの旨味で麺が引き立つ。もちもちした麺は歯触りが良い。かぼちゃにしいたけ、ごぼうと、野菜もふんだんに入っている。


「これは美味いな!俺はうどんが好きやけど、この麺も食べ応えあってええなあ。味噌の風味がええ」

 劉玲は一口ごとに感想を述べながら食べている。よほど気にいったのだろう。曹瑛は相変わらず黙々と箸を動かしている。その様子から口に合ったと見える。


「ほうとうは禅僧の手により中国から日本にもちこまれた「饂飩」が語源で、武田信玄が野戦食として用いたことから甲州地方に広く根付いた・・・だって」

 伊織がメニュー表に書いてある解説を読み上げる。

「中国と日本は繋がりが深いですね」

 高谷がしみじみと呟く。

「せやな、中国にもこんな平打ち麺がある。西安のビャンビャン麺とか似てるわ」

 劉玲が箸で麺を持ち上げながら説明する。西安の名物料理で、幅広の麺に羊肉、野菜を乗せて汁に絡めて食べる料理だという。


「びゃんびゃん麺てこんな字なんやで、読めへんやろ」

 劉玲がスマホの画面で文字を見せてくれた。漢字の部首を詰め込んだような複雑な文字で、58画ある。

「へえ、面白いですね」

 劉玲のキャラクターと関西弁のせいか、テーブルの空気が打ち解けてきた。曹瑛と真反対の明るい性格が救いだ。

 もし、兄が殺されていないと知っていたら曹瑛もこんな根暗な性格にならなかったのかもしれない。


 きれいに鍋をたいらげて、食後にコーヒーを注文した。曹瑛に榊、孫景はタバコに火を点ける。

「うわ、あんたらタバコ吸うんかい」

 劉玲が手で煙を散らしながら、顔をしかめる。曹瑛はそれを無視してテーブルに肘を突きながら煙を吐き出す。

「タバコは体に悪いで、なあ伊織くん」

「まあ、そうですよね」

 伊織の祖父も父もヘビースモーカーだった。やめろと言われても絶対にやめないその姿をずっと見てきたのでその忠告が無駄というのは百も承知だ。そんな祖父は心疾患で亡くなった。


「劉玲さんはもう上海に帰るの」

 伊織の質問に、劉玲はコーヒーを口に飲みながら考えている。

「曹瑛、お前はどないするんや」

 質問が突然曹瑛に向いた。曹瑛は伊織を挟んで劉玲の方をちらりと見やる。


「ハルビンへ帰る」

「え・・・!」

 曹瑛の一言に伊織は振り返った。曹瑛は灰皿でタバコを揉み消し、最後の煙を吐き出している。そうだ、もう曹瑛の日本での用は済んだのだ。

「俺も久々やし、帰ろかなハルビン」

 劉玲が曹瑛の顔をのぞき込む。

「・・・勝手にすればいい」

 曹瑛は龍神を扱う八虎連を叩くと言っていたのを思い出した。ハルビンに戻り、組織と戦うつもりなのだ。


「龍神は八虎連の中でも黄のいた組織だけが扱っている。毒専門の組織だ。やり方が汚いので煙たがられていると聞く」

 孫景も情報を調べていたようだ。

「しかしどこで栽培しているのか手がかりがつかめない。その精製法も独自に入手して門外不出という」

「組織を潰せば龍神がこの世から抹消できる」

 榊がニヤリと笑う。

「ほう、おもろいやないか。せやけどあんたらだけでどないするんや」


「俺は一人で動く」

「曹瑛、ここまで来たんだ。俺も一緒に行くぜ」

「俺も行こう」

 孫景と榊が曹瑛を見た。曹瑛は二人に目を合わせようとしない。

「瑛さん、俺も行く」

「いい加減にしろ」

 伊織の言葉で曹瑛は静かに怒りを露わにした。


「八虎連は生半可な組織じゃない。これまでのようなお遊びでは済まない」

「それなら余計に一人じゃ危ないだろ」

 曹瑛は頭を抱えた。また同じパターンだ、しかし今回ばかりは話が違う。

「日本観光案内のバイトは終わり、俺は自分の意思でハルビン旅行に行く。いいでしょ」

「全然良くない・・・だが勝手にしろ。俺とお前とは別行動だ」

 曹瑛はそっぽを向く。


 見かねた劉玲が伊織の肩を叩いた。

「伊織くん、俺と一緒に行くか」

「え、本当に?」

「夏はあんまり見所は無いんやけど、古い街並みとか好きならきっと面白いわ。日本が使ってたホテルやらビルやら残ってんで。それに餃子やビールも美味い」

「わ~楽しみです」


 不意に横から腕を掴まれた。

「・・・俺が案内する」

 伊織の目の前に超絶不機嫌な曹瑛の顔があった。

「え、良いの?瑛さん」

「この男は何を企んでいるかわからない」

「実の兄にその言い草はないやろ。ほんまにお前は可愛ないのう」

「一体どういうつもりだ?お前の目的は何だ?」

「俺もその話に乗ろうってことや。龍神はこの世に存在したらあかん」

 劉玲も龍神の根絶に一役買おうという。


「それは九龍会の命令か」

 曹瑛は劉玲をまっすぐに見据えている。

「命令やない。俺の意思や。九龍会は龍神のことは目をつぶっとる。上納金が欲しいからな。けど、厄介と思ってるのも確かや」

 九龍会の命ではなく、個人的な動きだと言っているがどこまで本当なのか。


「龍神の流通は誘拐やテロ資金につながる、ええことやない」

 劉玲の顔は真剣だった。それまでの柔和な笑みは消えていた。体の奥から湧き上がってくる怒りを感じ、伊織は思わず息を呑んだ。その言葉に嘘はないだろう。


「ほな、一緒に飯が食えて楽しかったわ。ありがとう」

 また連絡する、と言って劉玲は席を立った。伊織に五千円を握らせて飄々と去っていった。もらいすぎなので返そうとしたが、曹瑛が取っておけという。九龍会の幹部なら金は有り余っているから気を遣うなということらしい。


 車組と合流できたので、結局孫景たちと一緒に帰ることにした。

「劉玲さんてつかみ所がないですね」

 伊織がぼやいた。

「九龍会の幹部とは思えないな。曹瑛の兄というのが一番意外だが」

「育った環境が全然違う、もはや他人だ」

 榊を一瞥し、曹瑛がつまらなそうに答える。二度目の再会でも兄弟の会話はほとんど無かった。いつか二人きりで30年の溝を埋められる時間があればいいのに、と伊織は思う。山をいくつか抜けて車は高層ビル街に戻ってきた。


「ハルビンにはいつ出発する」

 榊が尋ねる。

「ノープランだな。そもそも龍神をどこで栽培しているのかも分からん。お前は知っているのか、曹瑛」

 孫景の問いに知らない、と曹瑛は短く答えた。


 新宿に到着し、解散となった。

 久々のマンションの部屋だ。伊織は慌ただしく洗い物を洗濯機に放り込んだ。

 曹瑛は湯を沸かしてグラスに茶を淹れている。ベランダの窓を開ければ都会の喧噪が聞こえてきた。一気に現実に引き戻された気分になる。

 片付けを終わらせて、伊織はソファに倒れ込んだ。曹瑛の淹れた茶を口に含むと柔らかい花の香りに心が落ち着く。


「瑛さん、これ返すよ」

 伊織が厚みのある封筒を差し出した。曹瑛が一人横浜に向かう時、伊織に置いていったバイト代だった。

「俺、仕事らしいこと何もしてないし、それに友達からお金なんてもらえない」

「友達だと・・・お前が勝手に思っているだけだろう」

 曹瑛は顔を背ける。伊織は少なからずショックを受けた。


 友達というものは一方通行では成り立たない。自分だけが勝手に思い込んでいるだけだったなんて。伊織はうなだれた。

 ハルビンには無理矢理一緒に行くが、その先はどうなるのだろう。自分は日本に帰ることになり、曹瑛との縁はそこで切れてしまうのだろうか。


 曹瑛が横目で見れば、伊織は未だかつてないほど暗い影を落とし、落ち込んでいた。

「伊織・・・」

「瑛さんの友達のハードルってどんだけ高いの?俺だけ勝手に友達って思ってたなんて・・・それにお兄さんにも瑛さんの友達ですって言っちゃったよ、俺とんだ勘違い野郎だ」

「いや、あのな」

 伊織がまくし立てる。曹瑛はその勢いに押されている。


「友達じゃなかったら知人ならいいわけ」

 逆切れする伊織に、曹瑛は困り果てて眉間を抑えている。

「・・・わかった、友達だ」

「これでお互い同意の上で友達だね」

 伊織は満面の笑みを浮かべた。そして封筒を曹瑛に返した。

「だから、お金はいらないよ」

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