エピソード57 極道の流儀

 木下の匕首が榊の体幹を貫いた、かに見えた。木下が榊を狙って突進してきたとき、榊は体をずらして木下の腕を脇の間に捉えていた。

「榊、貴様・・・!」

 木下が呻く。憎しみを込めて榊を見上げている。匕首を持った腕は榊の腕に固定され、動かすことができない。榊は木下を捉えたまま、右の拳を構えた。

 木下が目を見開く。渾身の力を込めた拳が木下の顔面に振り下ろされた。細身の体は吹っ飛び、絨毯に転がる。鼻から派手に血を流している。鼻骨は折れているだろう。


 転がった匕首を蹴り飛ばし、榊は木下に近づいてさらに腹を蹴りを入れる。木下は情けないうめき声を上げて、身体を丸めている。

 その様子を見た坊主頭のガード役が榊に向かって動こうとした。

「待てい」

 麒麟会坂本の鋭い声。坊主頭は踏みとどまり、榊を睨付ける。


「これほどの敵がいると知りながら乗り込んできたんだ、わけを聞こう」

 坂本の言葉に榊は再び無言で頭を下げた。榊はコートを拾い上げて羽織り、坂本の側に立つ。麒麟会の黒服は榊の動きを警戒している。榊は胸ポケットから写真を撮りだし、テーブルに置いた。


「これが龍神の真実です」

 坂本は写真を手に取った。そこには凄惨な死の現場が写し出されていた。路地裏で、ホテルの一室で、河原で。ヤクザの見せしめの制裁でもこれほどの惨状はなかなか無い。血に塗れた現場には狂気の暴力が感じられた。

 坂本は目元をピクリと動かした。そしてさして興味が無さそうに写真を放り出す。テーブルの端で写真を見た黄維峰が顔をしかめた。

「これはどういうことだ?」

 坂本が榊に尋ねる。


「龍神の中毒者の末路です。市場に出回っているどのドラッグよりも依存性が高い。そして、末期症状では耐えがたい殺意を覚える。人格が豹変し、脳内麻薬が分泌され凶暴な力を得て殺人を犯す」

 坂本は黙って聞いている。坊主頭が写真を横目で見るや、体をすくめて目を逸らした。


「これは人間を兵器として利用するための実験だ。龍神が出回れば、街が血に染まる。一切の取引をやめて欲しい」

 榊の言葉は重く響いた。ダンスホールは静まりかえる。坂本は沈黙を守り、目を閉じている。突然、黄が笑い声を上げた。


「末期のジャンキーが人を殺すのは当たり前だろう。龍神の製法は秘伝中の秘伝、ごく限られた地域でしか作られない上質な毒だ。それに坂本さん、この取引はおたくとの独占販売だ。卸値も破格、こんないい話は他には無いぞ。日本全土を仕切れる程の金が手に入る」

 黄が派手な身振りで演説する。坂本はゆっくりと目を開けた。


「榊、お前の言いたいことはよく分かった」

 坂本が立ち上がる。惨たらしい写真をまとめて榊に押しつけた。不穏な雰囲気が流れる。曹瑛は表情を変えず、動きを見守っている。

「極道は年々シノギが厳しくなっている。わしらも資金繰りには苦労している。他の組織が手を出せなかったこの取引は良いチャンスだ。お前のところの柳原は下手を打ったようだがな」

 坂本は榊の前に立った。銀縁めがねの奥の瞳はじっと榊を見据えている。坂本が号令をかければ、榊も曹瑛も囲まれることになる。坂本がどのような判断を下すか、これは賭けだ。

「だが、わしらは極道だ、外道ではない」


 坂本は榊の肩をポンと叩いた。そして黄に向き直る。

「黄さん、この取引は無かったことにしてくれ。そしてこの国では二度と龍神の取引をしない」

 黄が血相を変えた。歯茎をむき出しにして怒りに震えている。背後のチャイナ服の男達も殺気立ってきた。胸元から銃を取り出し、臨戦態勢になっている。

「これだけお膳立てしてやったのに、ビビりやがったか。貴様らよくも邪魔しやがったな」


 黄は榊と曹瑛を睨む。坂本はテーブルの上の龍神の取引文書を破り捨てた。

「榊よ、お前うちの組に来ないか。若頭補佐で迎えてやるぞ」

 坂本が去り際に榊を見上げた。

「俺にはやはり極道は務まりません、だがこの場は俺たちで落とし前をつけます」

「そうか・・・お前ほどの極道は他にいない、残念だ」

 坂本は振り向かず手を振った。榊はその背に深く礼をした。坂本の判断ひとつで運命が変わっただろう。ガードの坊主頭が木下を抱えて坂本の後についていく。黒服の手下も共にダンスホールを出て行った。黄は怒りにまかせて机を殴りつけた。

「この国のヤクザは腑抜け揃いか」


 曹瑛と榊は並んで黄の前に立つ。黄は笑いながらチャイナ服の部下の後ろに退いた。総勢20人はいるだろうか、皆銃を持ち、二人を狙っている。

「やれそうか」

 榊が曹瑛に訊ねる。

「お前を守ることはできんぞ」

「バカ言え」

 曹瑛の言葉に榊は笑う。この至近距離、銃で狙われたら、何発かは食らうことになるだろう。乱闘に持ち込めば安易に発砲をさせずに済むかもしれない。

 榊は額から汗が落ちるのを感じた。曹瑛も覚悟をしているようだ。


「瑛さん、榊さん、合図したらやつらから離れて」

 イヤホンから伊織の声が聞こえた。曹瑛は榊を見やる。榊も小さく頷いた。詰め襟の男達が間合いをつめてくる。曹瑛と榊はいつでも動けるよう構える。

 突如、ダンスホールの明かりが落ちた。窓も閉め切られたホールは一面の闇となる。先ほどまで明るすぎるほどの照明に目が慣れていた男達は、視界を奪われ、騒ぎ出す。


 どたばたと絨毯を踏みならす音が聞こえた。周りを何者かが走り回っている。詰め襟達は混乱し、中国語で口々に叫ぶ。闇の中で方向も分からない。

 気が付けば、体が引っ張られた。側にいた仲間とぶつかる。どんどん引っ張られて、仲間達とおしくらまんじゅうの状態になった。何かに締め付けられている。身動きが取れない。

 急に目の前が明るくなった。再び照明がついたようだ。詰め襟達は自分達の状況を見て一瞬ポカンとしたが、大声で騒ぎ始めた。


「こいつはいい」

 榊が笑っている。チャイナ服の男達の腰周りにロープが何重にも巻かれ、20人まとめて絡め取られていた。ロープががっちりと締め付けられ、動けば動くほど食い込んでいく。誰かが逃げだそうとして無理に動いた。塊のまま男達は絨毯に転がって身動きが取れなくなっている。

 曹瑛はホールの舞台袖に隠れた伊織の姿を見つけた。バツが悪そうにしている。危ないから厨房に隠れていろと言ったのに、曹瑛はため息をついた。しかし、助けられたのは事実だ。ホールの照明を落とし、孫景と伊織でロープを持って走ったのだ。


「おっと、動くなよ。狙ってるぞ」

 孫景が床に落ちた銃をひとつひとつ回収していく。サブマシンガンを手にして詰め襟の男達を牽制する。ひとり残された黄は曹瑛を睨付けている。

 高谷が舞台袖から顔を出した。

「チャペルに明かりがついている。もしかしたらここに龍神を隠しているのかも」

 ハッキングした監視カメラの映像で、それまで真っ暗だった一つに明かりがついたようだ。

「ここはお前一人でいけるか」

 榊が曹瑛に声をかける。

「ああ」

 曹瑛の返事に榊はホールを出ていった。高谷も慌てて後を追う。孫景も武器を回収し終わって、頑張れよ、と曹瑛に手を振って後に続いた。伊織は舞台袖で曹瑛を見守っている。


「貴様、取引を無茶苦茶にしやがって、殺してやる」

 黄が机の脇に置いた長刀を手にした。曹瑛は赤い柄巻のバヨネットを取り出して構える。

「お前は兄を殺した」

「お前の兄だと?どのガキだったか、もう覚えてねえな」

 黄は哄笑した。曹瑛は無言で黄の懐に踏み込んだ。曹瑛のナイフが頬をかすめた。黄の頬が裂け、血が流れ出す。黄は指で血を拭い、ペロリと舐めた。目を見開き、長刀で曹瑛に斬りかかった。

 曹瑛はそれをその場で身を翻してかわし、黄の腕を切りつけた。そのまま背中を蹴り飛ばす。

 黄はバランスを崩したが、すぐに持ち直し長刀を突き出した。鋭い刃が曹瑛の腕を切り裂く。


「瑛さん!」

 舞台袖にいる伊織はカーテンを握りしめて曹瑛の戦いを見守っている。腕の傷口から血が流れ落ち、絨毯に赤い染みを作った。

「フフ、切り刻んでやる、そのあとはあのガキだ」

 黄が唇を歪めて笑う。曹瑛はナイフを握り直した。その瞳は底知れぬ怒りを湛えている。曹瑛の全身から殺気が漲っていた。黄は曹瑛の殺気に呑まれた。曹瑛は黄の間合いに踏み込み、手首を返してナイフを突き出した。流れるような動きで肉を裂いていく。曹瑛のスピード攻撃をかわすのが精一杯で、黄は後退していく。腕にナイフを突き立てられ、黄は長刀を手放した。

「ぐっ・・・貴様」

 出血に体力を奪われ、片膝をつく。

「お前は終わりだ」

 曹瑛は黄の長刀を拾い上げた。それを構えて黄の前に立つ。その目は殺気に漲っている。


「お前はこうして幼い兄を斬った」

「どのガキだ?覚えてねえな・・・」

 黄は己の血しぶきの飛んだ顔を上げた。目元はやつれ、皺が深く刻まれている。曹瑛を挑発する口調ももはや生気はない。曹瑛は冷酷な表情で黄を見下ろした。この男の命で償ってもらう。


 黄は胸元から銃を取り出し、震える手で曹瑛に狙いをつけた。相討ちでも構わない、撃てるものなら撃てとばかりに曹瑛が長刀を振り下ろそうとした瞬間。ガンッと間抜けな音が響いて黄の体が崩れ落ちた。目の前に伊織が立っていた。その手には中華鍋を持って。

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