エピソード56 ダンスホールへ

 孫景が厨房に戻ると、伊織と高谷がパソコン画面を見守っていた。曹瑛は2階通路、ダンスホール付近に到着している。1階階段付近には黒服の男達が倒れている。曹瑛が通った後だ。

 榊も逆側の階段を上がり、曹瑛に合流するところだった。画面をダンスホールに切り替えると、屋外の騒ぎにざわつく様子があるが、取引はそのまま続行のようだ。広いホールにテーブルと椅子、そこに黒い帽子の男、黄維峰の姿もあった。今回の取引も黄が中心に動いているに違いない。

 壁に沿って麒麟会の黒服が十数名、向かいの壁側には八虎連のチャイナ服が同じくらい立っている。


「この人数で乱闘になったら二人じゃ無理だよ」

 伊織が青ざめている。二人にはホールの様子をイヤホンで伝えた。それでも後戻りする気配はない。突入する気だ。

「榊はまず麒麟会の会長に話をすると言っていたが、プランBはどうするつもりなんだろうな」

 孫景が腕組みしながら眉根に皺を寄せている。打ち合わせはしたものの、案外行き当たりばったりな計画なのだ。


「瑛さんは帽子男に復讐するつもりだ・・・また頭に血が上らなければいいけど」

「榊さんに恨みを持つ組関係者も多いと聞いています。俺も心配です・・・」

 伊織は高谷と顔を見合わせた。曹瑛と榊がホール前の扉に立った。


「俺たちもホールに行きます」

 伊織は立ち上がった。高谷もノートパソコンを閉じ、移動する準備をしている。

「ちょ、ちょっと待て、お前たちのお守り役を任されてるんだよ。そんな危ないことをさせたら、俺が曹瑛と榊に殺されちまう」

 孫景は慌てて伊織を落ち着かせようとした。窓の外で雷鳴と同時に稲妻が走った。その光に照らされた伊織の真剣なまなざしに孫景はそれ以上何も言えなかった。高谷も不安そうに唇を引き結んでいるが、その表情には前へ進むという強い意志を感じた。


「わかったよ、ホールまでの道は露払いが済んでるしな。それに外の奴らもしばらくは戻って来られないだろう」

 孫景の車爆破で対応に追われているに違いない。窓を叩きつけるほどの雨が降ってきたので、火災は落ち着くだろう。


「ホールに行ってどうする?伊織ちゃんも喧嘩するのか?」

 孫景は肩をすくめる。

「見取り図によれば、ホール左側の部屋が控え室になっていて、裏手に繋がっています。ネットで見た昔の写真では、ホールの奥には舞台がありました。おそらく、ホールの照明を操作する配電盤が舞台袖にあるはずです」


 伊織の話に孫景は頷いた。あとは進みながら話そう、と3人は走り出した。レストランを抜け、東側の階段へ向かう。階段の下に黒服が倒れている。呻き声を上げたので、孫景がもう一度のした。

 赤いカーペットの階段を駆け上がる。踊り場にあった大理石の彫刻が稲妻の光に影を落とし、伊織は声を上げそうになり、口元を押さえた。


「なんだかゲームみたい、現実味がないよ」

 伊織の言葉に高谷は笑う。

「ゾンビじゃなくてヤクザとマフィアですけどね」

 その掛け合いの意味は孫景には分からないようだった。2階の長い廊下は両側が客室になっている。通路中ほどに見える明かりがエントランス中央の大階段だろう。その正面にダンスホールがある。

 廊下をのぞき込むと、そこにも3人ほど黒服が倒れていた。曹瑛と榊はすでにホールに入ったのだろう。すでに二人の姿は見えない。


 踏み心地の良い絨毯の廊下を進む。部屋の扉には彫刻が施され、金属のプレートに部屋番号が記してある。天井はアーチ状になっており、小さなシャンデリアが等間隔に吊られ、温かい光で廊下を照らしている。気品のある良いホテルだ。こんなことではなく、客として宿泊したかったと伊織は思った。


 気絶して倒れているゴツい黒服を避けながら廊下を進む。伊織はホール横に当たる部屋のノブを回した。しかし、鍵がかかっているようだ。孫景がノブを力一杯回すと、ガチャと何かが壊れた音がして扉が開いた。

「開き方にはコツがあるんだよ」

 バカ力で壊しただけなのに、得意顔の孫景を高谷はすごいです、と持ち上げている。若いのに世渡りがうまいなと伊織は思った。


 部屋の明かりを点けると、鏡台が並ぶ控え室だった。当たりだ、この部屋は舞台に繋がっている。奥へ進むと舞台袖に出た。音響や照明操作用のパネルがある。伊織は高谷にパソコンを立ち上げるよう伝えて、パネルの前に待機する。そして孫景の方を向き直った。

「孫景さん、ここからはかなりアドリブになるんですが・・・」


「お前、確か鳳凰会柳沢組の榊か」

 椅子にかけているのは黒い帽子の黄維峰。その正面には麒麟会若頭の坂本憲吾が大股を開いて座っている。派手なピンストライプのスーツの50代、高校を出てやんちゃをしていたが先輩の縁で組に入り、忠義を尽くしてきた。極道の年季は長い。

 榊のいた柳沢組の組長は60代だったが、その柳沢より貫禄と威厳がある。坂本の脇にはガード役の大柄な坊主頭と目つきの鋭いやや細身なハーフコートの男。


「坂本さん、ご無沙汰です」

 榊が深く頭を下げる。麒麟会は鳳凰会の上部組織にあたる。鳳凰会は解散し、榊は今は極道ではない。しかし、筋を通している。

「表で派手にやらかしたのはお前らか。取引を失敗しておいて、またのこのこやってくるとはどういう了見だ、榊」

 細身の男が前にでる。榊は何も言わず男を睨み付ける。榊の纏う剣呑な雰囲気に、ざわついていた壁際の手下達は押し黙った。


「話があります」

 榊は細身の男を無視して坂本をまっすぐに見る。細身の男が匕首を取り出し、榊の目の前に突きつけた。

「舐めたことしやがって、榊、お前は前から気に入らなかったんだよ」

 榊も腰からドスを取り出した。曹瑛は無言のまま榊の後ろに下がる。組長の坂本も何も言わず、座ったままその様子を見ている。


「お前は木下か」

 榊がコートを脱いで床に放り投げた。スーツのボタンを外し、臨戦態勢になる。曹瑛は麒麟会のファイルで見た木下のレポートを思い出す。傷害事件で何度も起訴されるが、証人を徹底的に痛めつけるので逮捕されたことはない。刃物の扱いが得意な非情な男だ。その狂気の目は人を殺すことに快感を覚えている。服の下には蜥蜴と牡丹の入れ墨を入れていた。

「組の後ろ盾が無くなったんだ、お前は殺されても文句は言えねえな」

 木下が口の端を歪めて笑う。重心を落とし、は虫類のように舌を出して榊を威嚇している。榊も構えた。曹瑛は腕を組んだまま見守っている。


 木下が匕首を榊の体幹めがけて突き出す。榊は後ろに飛び、それを避ける。木下の首筋を狙い、ドスを薙いだ。木下は体を反らしてそれを避け、刃を返して榊に斬りかかる。

 榊はギリギリで避ける。手首をひねり、木下の脇腹を狙ってドスを突き出すが、木下はひらりとかわし榊の腕を切りつけた。

 スーツの布地が裂け、血が滲んでいる。木下の匕首は軌道が読みにくい。榊よりスピードがあり、体重移動が軽やかだ。一方榊は安定した攻撃を見せるが、木下は笑いながらそれを易々とかわしている。


 高谷はパソコンの監視カメラの画面を祈るように見ている。伊織も背後からのぞき込み、榊の動きを追っている。曹瑛は榊が本当にピンチなら助けてくれるだろうか。曹瑛は全く動く様子はない。

「榊が押されているな」

 孫景が顎を触りながら渋い顔をしている。木下の匕首が榊の脇腹を割いた。致命傷ではないが、榊に一方的に傷が増えていく。木下は獲物を切り刻むことで興奮しているのか、笑い声を上げて攻撃をヒートアップさせていく。壁際の黒服たちもそれを楽しんでいる。榊は頬の切り傷から流れる血を舐めた。鉄の味。喧嘩に明け暮れていた昔を思い出す。


「命乞いするなら殺さないでやってもいいぞ」

 木下が匕首についた榊の血を見せつけ、歪んだ笑いを見せる。

「かすり傷をいくら作っても俺を殺せないだろう」

 意外にも。榊は余裕の表情を見せた。木下は逆上し、榊に向かって突進した。匕首を低く構え、榊の内臓を抉ろうと狙いをつけている。榊はその場から動かない。

「榊さん・・・!」

 舞台袖に潜む高谷が声を押し殺して目を閉じる。伊織も監視カメラの画面から思わず目を背けた。


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