エピソード55 静かな進撃

「なんとも慈悲深い」

 曹瑛の顔を見た孫景が呟く。聞き耳を立てながら普段がどのような仕事ぶりだったのか、考えたくないと伊織は思った。


 高谷のセットした監視カメラの映像に集中する。榊が進む廊下には手前と奥で見張りが2人。取引のしおりによればエントランスに重点的に人数を割いている。警備室を押さえておけば、しばらく騒ぎは起きないだろう。

 カメラ制御の場は確保できたので、ホテルの外にいる奴らもある程度片付けて取引の場に向かうことにする。


「窓の外を覗いたが、配置図にない黒服がうろうろしているな」

 曹瑛が戻ってきた。

「麒麟会のやつらじゃない。八虎連だな。もしかしたら劉玲が連れている九龍会の手下もいるか」

 八虎連なら必ず銃を所持しているだろう。数が多いと面倒だ、と曹瑛は思った。

「この取引に出張ってくるとは思えないが、幹部が来ているとなればわからんな」


「榊さん、その柱の次の柱の前に男が立ってる」

 伊織が小声でマイクに向かって話す。榊はイヤホンで伊織のガイドを聴いている。この水滸館は大正時代に建てられた歴史的な建築で、和モダンというのか、瀟洒な作りになっている。それに以前の持ち主がバブル期にさらに大がかりな改装を行い、窓枠や柱なども立派な木材を使い、緻密な彫刻が施してある。廊下にもその立派な柱が並んでいる。

「あっちを向いた、チャンスだ」

 伊織の声に榊は柱の陰から飛び出し、男の背後を取った。口を塞ぎ、首筋にナイフを突きつける。男はくぐもったうめき声を上げていたがナイフに気づき、大人しくなった。体は震えている。榊はあらかじめ開けておいた客室に男を蹴り入れた。

「いっちょあがりだな」

 パソコン画面をのぞき込みながら孫景が楽しそうにしている。

「榊さんは強いけど、向こう見ずなところがあるから」

高谷は心配そうな顔で見守っている。


「瑛さん、大丈夫だった?・・・え、その傷・・・!」

 伊織が振り向けば、曹瑛のシャツが裂けている。見れば、血は流れていない。シャツだけが切り裂かれただけのようだ。

「服だけだ、怪我はない」

 右前腕複雑骨折、顎骨骨折のあのチンピラを心配してやった方がいい、と思ったがこちらを見上げる伊織の顔があまりに悲壮感が漂っていたので口に出すのはやめておいた。


 榊が部屋から出てきた。男をのしたのだろう。玄関の前を走り抜け、建物の東側へ進む。その先に敵は一人だ。何も起きないのでヒマだと思っているのだろう、スマホを見ながら廊下を行ったり来たりしている。

「榊さん、気をつけて。そいつ背中に銃を持ってる」

 カメラをアップにすると男のスーツのベントの隙間から黒いものが覗いているのが見えた。廊下の突き当たりの窓の外で稲妻が光った。男は反射的に窓の方を振り向いた。

「おっと、動くなよ」

 振り返ると銃を持った見知らぬ男が自分の鼻先に突きつけている。リーゼントの男は慌てて自分の背中を探った。ズボンに挟んでいたはずの銃が無い。

「てめえ、何者だ」

「一般市民だ」

 榊はニヤリと笑う。銃のグリップの底で男の頭を殴った。気絶した男を客室へ投げ入れる。ホテルの見取り図によれば、次の部屋が警備室だ。ここで監視カメラのモニタを見張っているはずだ。異常があれば伝達する役も兼ねているだろう。榊はドアノブを回した。鍵はかかっていないようだ。静かに扉を開ける。


 中には8つの監視カメラのモニタが並び、3人の男が椅子に座ってタバコを吹かしている。先ほどすぐ前の廊下で仲間が2人やられた様子も高谷の差し替えた異常なしの録画映像のおかげで、全く気が付いていなかった。榊の姿を捉えた男達は揃って立ち上がる。

「おい、何者だ?」

「なんでここに入って来れた?」

 黒いジャージ、赤い柄シャツ、迷彩服それぞれが榊に向けて威嚇する。

「お前らの仲間が仕事しないからだろ」

 榊の挑発に、黒ジャージが額に血管を浮かせながら机の脇に置いた金属バットを手にした。そのまま勢いをつけて振りかぶる。榊はそれを避け、男の顔に肘を入れた。金属バットを奪い取り、迷彩服のこめかみをフルスイングで振り抜いた。あまりのめまぐるしさに一瞬呆然となった柄シャツがあわててドスを抜くが榊はドスを持つ手にバットを振り下ろした。柄シャツが叫び声を上げて手を見ればおかしな方向に指が曲がっている。

「ひぃいい」

 情けない声を上げる男の延髄に手刀をたたき込み、黙らせた。鼻を潰された黒ジャージの男がふらふらと立ち上がってきた。まだ戦う気があるらしく、榊に飛びかかる。榊は身をかがめて足に体重をかけ、その反動で黒ジャージの腹に拳を突き上げた。

「ぐふっ」

 黒ジャージは鮮血を吐いて倒れた。これで警備室はしばらく機能しない。


 パソコンのカメラ映像で、警備室から榊が出てきたのを確認する。

「さすがだな、怪我もしてないようだ」

 孫景の言葉に高谷はホッと胸をなで下ろした。

「伊織さん、ありがとう」

 伊織のサポートに高谷は頭を下げた。榊なら自分がいなくてもうまくやっただろう、と伊織は思った。

「さて、俺は外回りを片付けてくるぜ。2人はしばらくここに隠れていられるか?」

 孫景が伊織と高谷を交互に見る。2人は無言で頷いた。銃を持っている男がうろうろしているのだ、怖くないわけは無い。だが、孫景を見張りだけにしておくのは戦力の無駄使いなのは分かっていた。

「伊織、何かあったら言え」

 曹瑛はイヤホンをつけたままにしておくという。戦闘のサポートではなく、伊織と高谷がピンチのときに使うものになる。

「瑛さん、本当に気をつけて」

 伊織は曹瑛の手を握った。冷たい革の手袋の感触に曹瑛が別の世界の人間だということを思い知らされる。顔を上げると曹瑛が口角を上げてぎこちなく笑っていた。そのまま手を放し、廊下へ歩き出す。

・・・劉さんに、似てるかもしれない。伊織はふとそう思った。


 孫景は厨房を出て裏口から建物の西側に回った。壁に身を隠してのぞき込むと、黒いチャイナ服の男達が立っている。5人は見える、木の陰にもいるだろう。裏口の麒麟会の見張りが消えたことは気が付いていないのは、連携を取ってはいないからだろう。孫景は腰に差したベレッタに触れてみる。2,3人仕留めることができても後が続かないだろう。派手な銃火器は持ち込むなと曹瑛に釘を刺されていたが、こんなに敵がいるならグレネードランチャーでも持ってくれば良かったと舌打ちした。孫景は建物の裏を見回す。

「仕方ねえ、平和的解決にするか」


 水滸館裏手から何か音がする、とチャイナ服の見張りが騒ぎ出した。1人、2人と連れだって裏手に集まってきた。総勢8名。音がするのは物置小屋のようだ。鉄の扉が開いて明かりがついている。警戒しながら男たちが物置小屋に入っていく。ガラクタが放置されたがらんとした小屋の中で鼻にかかった可愛い声の日本のアイドルの曲が流れている。1人がそれを知っているらしく、口ずさみはじめた。もう一人がやめろ、と頭を叩いた。音源はスマートフォンからだった。大音量で再生されている。男達が全員物置に入ったところで、孫景が扉を勢いよく閉めた。ガンッと重い音がして、男達が振り向いたときには扉が閉まっていた。男達は騒ぎ立て、扉に殺到する。孫景が扉に鉄パイプでつっかえ棒をしたことで男達は閉じ込められてしまった。

「朝には気づいてもらえるだろう、それまで仲良く歌ってな」


 孫景は物置小屋を後にして、建物の正面へ回る。正面はやはり見張りが多い。曹瑛と榊が取引現場に乗り込んだときに少しでも増援を減らしておきたい。駐車場の車に目をつけた。ピックアップトラックの窓を割り、サイドブレーキを解除した。車の中に散乱する書類を適当にねじり、ガソリンタンクを開け、書類を突っ込んだ。湖に向けて傾斜のついた芝生に車を押し出す。二台を押さえながら書類にジッポで火を点け手を放した。書類が燃え始めガソリンタンクに火がついた瞬間、トラックは火の玉と化し湖へ向けて加速する。眩しい火柱と爆発の轟音に麒麟会、八虎連の男達が何十人も走ってきた。車の処理でしばらく手が離せないだろう。孫景は木の陰に身を隠し、男達と入れ違いにエントランスから水滸館へ戻った。

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