エピソード54 水滸館潜入

「俺は右端の奴を狙う」

 曹瑛は杉の幹の間を縫って、音も無く消えていった。

「騒がれたら面倒だ、同時がいいだろう」

 孫景が左端、榊は中央の男に狙いをつけた。それぞれ分散していき、伊織と高谷が残された。正面には曹瑛と下見をしたとき確認したレストランの厨房の搬入口がある。見張りが片付いたらあの鉄の扉から館内に侵入できそうだ。


「搬入口に防犯カメラがありますね」

 高谷が控えめに指さす。

「あ、ホントだ」

「見張りが片付いたら防犯カメラの映像を録画して、警備室のモニタに流します」

 高谷はノートパソコンの準備を始めた。今電源を入れると気づかれてしまうので、画像処理をするのは3人が見張りを倒した後だ。


 色が落ちかけた金髪男の足下には、タバコの吸い殻がいくつも転がっている。今夜は中国マフィアとドラッグの取引と聞いているが、夜中じゅうここで見張りを言いつけられており、退屈極まりない。おまけに雨も降り出しそうだ。

 損な役回りに誰に聞かせるともなく舌打ちをする。枝擦れの音がして振り向けば、目の前の雑木林が揺れている。


「誰かいるのか?」

 金髪男が恐る恐る茂みに近づいていく。ホテルから漏れる灯りはここまで届かない。茂みの奥は暗がりで何も見えなかった。

 またガサガサッと音がした。男はヒッと小さく叫んで後ずさった。

「どうした?」

 中央にいた坊主頭に黒ジャージの男が状況を尋ねる。林の中を小さな獣が駆け抜けていった。おそらく狸だろう。ここで昼間見張りをしていた奴が野生の狸を見たと言っていた。


「何だ、脅かすなよ・・・!大丈夫だ、狸だ」

 金髪が声を張り上げて返事をした。狸なんかにビビるなよ、と坊主頭が揶揄している。不意に暗闇から腕が伸びてきた。金髪は声を上げる間もなく、ジャンパーの胸元を捕まれ茂みの中に引きずり込まれる。自分を引きずり込んだ腕が誰なのかを知る間もなく、堅い木の幹にこめかみを打ち付けられ、意識は闇へと消えた。


 坊主頭は茂みの中に一瞬にして消えた仲間を見て、怒声を上げようとした。しかし、それはできなかった。背後から伸びた腕が首を締め付けている。喉が潰されて声が出ない。

 坊主頭は巨漢だが、さらにガタイの良い男が背後にいる。首を絞める腕の力はこれまで何度も素手のケンカをしてきたが、チンピラどもの比では無かった。


 坊主頭は渾身の力で抵抗を試み、足をじたばたさせる。すると、足が地を蹴らないことに気がついた。堅い腕の筋肉で気道を潰されて呼吸ができない。坊主頭はふひっと間抜けな息を何度が吐き出したあと、白目を剥いて意識を失った。


 駐車場脇にいた野球帽の男が異常に気づいた。暗がりで何かが起きている。ズボンのポケットからジャックナイフを取り出した。ナイフを握る手は、恐怖と緊張に汗ばんでいる。目の前にスーツの男が現れた。


「てめぇ、何者だ?」

「そう聞かれて答える奴はいないだろ」

 榊はニヤリと笑う。野球帽はナイフを水平方向に振った。榊は構える姿勢も取らずに後ろに退いてそれをかわす。


 野球帽は激高してさらにナイフを振り回す。榊は首にかけていたマフラーで男のナイフを絡め取った。マフラーを振り払うと、ナイフは林の茂みの中へ飛んでいった。野球帽は丸腰になったと分かると後ろを向いて逃げだそうとした。

「獲物が無いとケンカもできないのか」

 榊は野球帽の胸ぐらを掴み、顔に一発拳を食らわせる。その体は吹っ飛び、玉砂利の上に転がった。だらしなく舌を出して気絶している。


「これで建物裏は片付いたな」

 孫景が坊主頭を引き摺っていく。高谷がそれを見てパソコンの電源を入れ、防犯カメラの映像をジャックし始めた。何も異常が無い状態の搬入口を数分間録画して、映像を監視モニタへ流すのだ。


「こいつらがのびてることを気がつかれたら面倒だな」

 榊も野球帽を抱えてきた。

「林の中に捨てるか」

「悪さしないようにこれだな」

 孫景がバッグからロープを取り出した。3人まとめて木に括り付けておくことにする。しかしロープがうまく締まらない。孫景が悪戦苦闘している。


「おう、案外難しいな」

 孫景は坊主頭を倒したときよりも額に汗をかいている。

「あのう、俺やりましょうか」

 伊織が顔を出した。

「伊織ちゃん、できるのか?」

 伊織はロープを孫景から譲り受けた。木の幹と一緒に3人のチンピラをぐるぐる巻きにしていく。


「ちょっとすみませんよっと」

 坊主頭の体を足蹴にして緩まないように締め付け、手際よく一方の端で輪を作り、中にロープを通していく。キュッと絞めると男達の体はがっちり木の幹に固定された。

「伊織ちゃん・・・そういえばロープワークが得意だって言ってたよな」

 孫景が腕組みしながら伊織の見事な手腕に感心している。

「じいちゃんから教えてもらったんです。漁船を持ってたから、何かと使うみたいで。運送屋の短期バイトをしたときも役に立ちました」

 曹瑛がその横で声を殺して笑っていた。


 高谷の防犯カメラ映像の差し替えが完了したようだ。息を潜め、厨房の搬入口に近づく。伊織は上目遣いにカメラを見上げた。緑のランプが点滅している。撮影は続いているが、映像は差し替わっているはずだ。

 曹瑛が搬入口のドアノブをひねると鍵は開いており、扉は開いた。孫景がバールを手にしているが、使わずに済んで伊織は思わずホッとする。


 搬入口から厨房へ。電気はついていない。ここはチンピラの残していった取引のしおりによれば警備無しの場所だ。その先のレストランもそのはずだった。飾り窓の外に稲妻が光った。テーブルに男が座っている。

「あいつを片付ける。高谷、カメラ画像の操作は厨房でできるか」

 曹瑛が一歩踏み出した。

「できます」

 高谷は力強く頷く。当初はレストランの端で仕事を進める予定だったが、邪魔者を片付ける必要がある。


「伊織は榊のサポートだ」

「わ、わかった」

 レストランを抜けて西側の階段から2階へ上がる必要がある。取引現場のダンスホールは2階中央だ。曹瑛は男の前に歩み寄る。スーツの男はテーブルに上げた足を下ろし、椅子にかけたまま曹瑛を睨み付ける。

 40代半ばくらいだろうか、その鋭い眼光は真っ直ぐに曹瑛を見据えている。そして口角を上げて白い歯を見せた。


「奴は合田蓮司、麒麟会の用心棒だ。刃物を使った殺人の前科がある。前科ならお前の方が多いかもしれないがな」

 榊が曹瑛に耳打ちする。合田がゆらりと立ち上がる。

「このままここでサボろうと思ったのによ、何だ貴様らは」

 酒焼けした低い声。


 榊は気をつけろ、と目くばせしてレストランを抜けて廊下へ出て行った。警備室を押さえるためホテル東側を目指す。

「榊さん、聞こえる?廊下の配置を伝えるよ」

 厨房の床に座り込んで高谷のパソコン画面を確認しながら、伊織が声を潜めてマイクに話しかける。榊は天井脇の防犯カメラに向かって親指と人差し指で輪を作った。イヤホンで音は聞こえているようだ。一方通行だが、伊織から敵の配置を伝えることができる。


「このガキどもが、いい度胸だな」

 合田は背中からドスを取り出す。鞘は床に放り出した。刃渡り30㎝はある。稲光に刀身が鮮やかに光った。

 ひょろりと背の高い男だ。烏鵲堂で入手した麒麟会のファイルに合田の情報があった。冷酷でどんな汚れ仕事でもこなす、およそ良心のかけらもない男だ。

 組に不利な裁判を起こそうとした弁護士の家族もろとも切り捨て、海に沈めたとファイルにあった。これは証拠不十分で立件されていない。抗争中の組のチンピラを刺して重傷を負わせた傷害事件で5年壁の中にいた。


 曹瑛は胸元から赤い柄巻のバヨネットを抜いた。黒い硬質な刃は暗闇に鈍い光を放つ。合田は刃物を見ても表情を全く変えない曹瑛を裏社会の人間だと直感した。合田は麒麟会には何の恩義もない、ただ金を貰って動く、それだけだ。

 侵入者は殺しても構わないと聞いている。この不遜な若者が苦痛に呻く顔を見てやりたい、それを考えて不揃いな歯を見せて笑った。


 合田がドスで斬りかかる。細身の長い腕を緩急をつけた動きでドスを振り回す。めちゃくちゃに振り回しているように見えて、曹瑛の急所を狙い体重をかけて踏み込んでくる。曹瑛は構えながら合田のドスの軌道を読み、ギリギリのところで避けている。

 合田が曹瑛の懐深く踏み込み、一文字に腕をなぎ払った。曹瑛のシャツが10㎝ほど切り裂かれた。


「にいちゃん、逃げてばかりでどうする?お前を殺したら次はそこに隠れている小僧たちを血祭りに上げてやるぜ」

 合田が笑いながらドスを向ける。曹瑛は合田の挑発に一切動揺を見せない。

 合田が再び踏み込んだ。曹瑛も合田の間合いに大きく踏み込んだ。先ほどまで逃げの体勢だった曹瑛が動いたことに、合田は目を見開く。その動きに一瞬気圧されるが、ドスで上方から斬りかかる。曹瑛はナイフでその刃を弾き飛ばし、合田の手首を掴み、瞬時にひねり上げた。そのままテーブルに腕を固定し、拳で腕の骨を砕いた。


 激痛に声にならない叫びを上げる合田の鳩尾に、間髪入れず肘を食い込ませる。合田はぐっと低く唸って後ずさり、さらに呻いて胃液を吐き出した。顔を上げると同時に顎を蹴り上げられ、細い体は吹っ飛び、壁に激突した。合田は埃かぶった絨毯にへたり込み、気絶した。顎がひどく歪んでいる。おそらく骨が砕かれている。完治しても人相は変わってしまうだろう。


「左手でも飯は食えるだろう」

 曹瑛は一切息が乱れていない。しかし、怒りで震える拳を握りしめている。以前なら後腐れがないように“始末”していた。だが今日の目的は龍神の取引の阻止だ。合田を一瞥して曹瑛は厨房へ戻った。

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