エピソード48 偵察

 甲州街道から首都高速へ、中央自動車道で山梨県へ向かう。榊の運転は安定しており、伊織は胸をなで下ろした。長いこと組長の車の運転手を務めていたからな、と榊は言う。下手な運転をしているとぶん殴られることもあったらしい。

「それならあいつは何回死んでるかわからんな」

 助手席の曹瑛が後部座席の孫景をチラリと振り返る。

「俺の運転は実用的なんだよ」

 孫景は不満そうな顔をしている。孫景の運転は相当荒い。しかし、凄まじくギリギリの幅寄せも車幅をきっちり把握しているからできる、と伊織は思った。横浜へ向かう途中で孫景のハンドル捌きをみていたが、めちゃくちゃなようで的確な判断をしていたように思う。


「傷は大丈夫なのか?」

 榊が曹瑛を一瞥する。

「ああ、問題ない」

 少し間を置いて、曹瑛が短く答える。伊織の横に座る高谷も緊張している気配が伝わってくる。

「弾は貫通していたか」

「らしいな、少し縫った」

「・・・足手まといになるなよ」

「それはこっちの台詞だ」

 不穏な雰囲気だが、互いに笑っているようだ。


「ところで、お前は日本に住んでいるのか?ずいぶん日本語が達者だな」

 榊の問いは伊織も不思議に思っていた。普通にしゃべっていて中国人だとは気づかれないだろう。

「こっちに来て1週間か、そんなものだ」

「国で習ったのか?」

「日本の大物ヤクザが中国東北地方を視察に来るというので、ガードを務めたことがあった。そのときに覚えた」

 伊織は会話に参加していないがそうなのか、と相づちを打っている。

「スカウトされなかったのか」

「断った」


 だんだんと景色が都会から山へと変化してゆく。新宿のマンションを出発して約2時間で河口湖周辺に到着した。もう午後2時をまわっている。ホテルのチェックインまで時間があるので、喫茶店で昼食を取ることにした。富士山の見えるテラスが売りの店で、晴れ渡る空に冠雪を残す山の姿は見事だ。


「なかなか良い眺めだな」

 曹瑛は食後の一服でマルボロに火を点けた。サンドイッチにパスタといった軽食ではあったが、地元の野菜や肉を使い、味付けも丁寧でリーズナブルな店だ。

「観光でのんびり来たかったですけどね」

 伊織がしみじみ呟く。就職で関東に移り住んで、初めて富士山を見たときに鳥肌が立つほど感動したのを覚えている。その荘厳で美しい姿にやはり富士山は日本のシンボルなのだと思った。一度、富士登山をしようと職場の同僚と話していたがそれは未だに叶っていない。


「これが龍神の取引がある水滸館の衛星写真だ」

 孫景がタブレットをテーブルの中央に置いた。

「ホテルの周辺は別の建物はない。ホテル前に専用駐車場があるから取引に関係するやつらはここを使う。車道はこの森の中を走る県道からホテル前に続いている」

 孫景が画像をなぞる。

「この道は何だ」

 曹瑛がホテルの脇を通る細い道を指さす。

「遊歩道のようだな、車は通れないだろう。下見ならこの道から逸れて近づくしかないな」

 榊は長くなったタバコの灰を落とした。


「結紀、どのくらい近づけば防犯カメラの映像が取れる?」

「ここ、カーブで建物と車道が近くなってるから車内で試してみる。もしダメなら建物の裏手に近づくしかないかな」

 孫景は自前のドローンを飛ばして水滸館周辺の警備を確認するという。曹瑛は建物周辺を歩いて自分の目で確かめるということになった。孫景にアナログだな、と言われて曹瑛は無言でその足を踏み抜いた。


 水滸館の裏手にあたる県道脇に車を停めた。フルスモークのバンは あまり良い印象はない。目的を完了したら手早く撤収する必要がある。

「じゃ、チェックイン前に腹ごなしといくか」

 孫景はドローンの入ったジュラルミンケースを小脇に抱えて森に入っていく。榊はいつでも車を動かせるようハンドルを握っている。高谷はノートパソコンを取り出して、黒い画面にキーボードをカタカタ打ち始めた。伊織には何をやっているのかさっぱり分からない。


 曹瑛も車の外に降りた。後部座席の伊織はスライドドアから顔を覗かせる。

「瑛さん」

 何と言えばいいか考えないまま呼び止めてしまった。気をつけて、なのか一緒に行きたい、なのか。伊織は唇を引き結んで曹瑛の顔を見つめている。

「何をしている、早く来い」

 伊織は車から飛び降りてスライドドアを閉めた。二人の背が森の中へ消えてゆく。

「ああいうの、ツンデレって言うんですかね」

 ノートパソコンのキーを打ちながら高谷が呟いた。

「俺には伊織が世話をしているように見えるがな」

 榊は窓の外へタバコの煙を吐き出した。


「ホテルと逆方向じゃないの」

 曹瑛と伊織は並んで森の中の遊歩道を歩く。看板には湖まで500メートル、と案内がある。途中、ランニングをする若い男女やウォーキングをする老年夫婦とすれ違ったので、観光客として怪しまれることはないだろう。

「こっちでいい」

 森が開けて湖が見えてきた。正面には富士山の姿もある。


「わあ、すごい、絶景!・・・あ、やばっ」

 伊織は思わず感嘆の声を上げた。が、すぐに自分で口を塞いだ。ここは敵地だったのをすっかり忘れていた。横に立つ曹瑛は富士山とは別の方角を眺めている。目線の先には水滸館があった。遠景ではあるが全体像が確認できる。そういうことか、と伊織は合点がいった。

 ホテル本館は中央がエントランスで左右に部屋が並んでいる。2階建てで、中央はドーム状になっている。ダンスホールの天井だろう。窓の数からして部屋は背面にもあるはずだ。図面によれば向かって左側がレストランだ。森に囲まれたチャペルは右手にある。だいたい50メートルくらいか、歩いて行ける距離だ。

「外にも警備がいるな」

 入り口、駐車場そば、チャペル周辺に黒い服の人影が見える。


「孫景がうまくやっていれば警備配置はわかるだろう」

 孫景はドローンを飛ばしにいっている。確認が済んだのか、曹瑛は踵を返した。伊織も慌ててついていく。森の遊歩道は木漏れ日が降り注ぎ、涼しい風が吹き抜けている。

「あんなに敵が大勢いる場所にどうやって乗り込むの」

 ハきっと敵は武器を持っているに違いない。撃たれたら血が出るし、痛い。ハリウッドアクション映画みたいだが現実は違う。

「孫景と高谷の情報を見て考える」



「瑛さん、傷は本当に大丈夫なの?」

 曹瑛の歩き方は自然だ。しかし、走ったり飛んだりして負荷がかかったときも普段通りの動きができるのだろうか。

「まだ少し痛むが、なんとか持つだろう」

 榊の前では強がりを言ってみせたのか。伊織は内心呆れた。

「あとは建物の裏手を確認して帰るぞ」

 遊歩道から逸れて森の中を進む。背の高い常緑樹は剪定されておらず、鬱蒼と茂っている。身をかがめながら水滸館の裏手に近づいた。木の幹から顔を覗かせる。


「あの辺りがレストラン裏手・・・厨房のようだな」

「搬入口がありますね」

「ここは警備が手薄かもしれない」

 広い敷地に柄の悪そうな2人がタバコを吸いながら携帯を眺めてうろうろしている。ゲームでもやっているのだろうか、完全に油断している。当日もこの調子で頼みたい。

 曹瑛と伊織が車へ戻ると、孫景も戻ってきていた。高谷も収穫があったようだ。日が傾き始めている。車は走り出し、今日の宿へ向かった。


 ロビーにはライトアップされたカラフルな和傘のディスプレイや、ウエルカムドリンクの用意があり、おもてなしの雰囲気に楽しいお泊まり気分が高まる。和傘の前でカップルや家族連れが写真を撮っていた。

 チェックインを済ませた後、浴衣を選ぶようスタッフに案内された。

「何色にする」

「どれでもいい」

「瑛さん、赤が似合うよ」

「・・・ならそれで」

 高谷も榊と思い思いに浴衣を選んでいる。孫景はTシャツにジャージで寝るということだった。部屋は畳を張り替えたばかりらしく、い草の匂いがした。畳のある部屋に泊まるのは久しぶりで、伊織は思わず楽しい旅行気分に心が弾んだ。

 縁側には机と向かい合った椅子、小さな冷蔵庫。障子を開けると窓の外には湖が見えた。

「わあ~景色も最高、いい部屋だ」

 満面の笑みで曹瑛を振り返る。曹瑛も伊織のハイテンションにおかしくなったのか笑っている。

「お前を見ていると、明日殴り込みに行くのを忘れそうだ」

「あ、ごめん・・・」


 曹瑛も和室は初めての様子で物珍しそうに部屋を眺めている。伊織はセルフサービスのお茶を淹れた。この後は明日の取引を潰す作戦を練るため、孫景の部屋に集まることになっている。

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