エピソード49 それぞれの信念

 孫景の部屋に全員が顔を合わせた。男5人が入ると10畳の部屋も手狭に感じてしまう。机の上に地図や高谷のノートパソコンを並べた。孫景はドローンで撮影した映像のSDカードを高谷に手渡す。高谷はSDカードをノートパソコンのスロットに入れ、ドローンの空撮映像を再生する。

「前日だからまだ警備は手薄だな、なかなか良く撮れてる」

 孫景は映像を見ながらご満悦だ。


「駐車場付近に2人、ホテル正面に2人・・・チャペル周辺にも配備してるな」

 黒いスーツの男たちが敷地内を歩いている映像が映っている。榊がフィリップモリスに火を点ける。榊がと曹瑛にタバコを勧める。孫景も手を伸ばして3人分の煙が上がり始めた。昭和の刑事ドラマの作戦会議のようだ、と伊織は思った。窓を開けないと燻されてしまいそうだ。

「裏手にも2人いたな。八虎連側はまだ来ていないようだ。今日周辺を警備しているのは日本の組織の奴らだけだな」

 曹瑛が煙を天井に向けて吐き出す。

「明日になれば八虎連もやってきて、警備が倍になるかもってところか」


 孫景の航空写真とドローン映像で、ホテル周辺の様子や警備配置もだいたい予測できた。高谷の防犯カメラ映像と曹瑛が手に入れた館内の見取り図を見比べてみる。

「森に阻まれて電波が悪かったかな。ちょっと映像が不鮮明ですけど」

 高谷がパソコンを操作すると、防犯カメラの映像が4分割で表示された。ノイズが入っているが、人が動いている様子は分かる。

「すごい、これホテル内の映像が見えてるんだ」

 伊織は映像をのぞき込んでひたすら感心している。

「防犯システムに侵入しました。こちらの準備した映像を監視用のモニタに映すこともできますよ」

 高谷はシステムに強いらしい。パソコンのキーをクリックするとカメラの映像がどんどん切り替わっていく。

「こちらがホテル内に潜入したときに、この異常なしの映像を出しておけば警備の目をごまかせるってこと?」

「そうです」

「映画みたいだ・・・」

 呆然とする伊織の言葉に高谷は笑っている。榊は水滸館の見取り図と防犯カメラの映像を見比べている。


「ずいぶんたくさん設置してるな、これはどこだ」

 孫景も画面をのぞき込むが、同じような廊下の映像で見分けがつかない。

「これは2階の廊下ですよ」

 伊織の言葉に全員が振り向いた。伊織は画面を指さす。

「これ、階段の手すりが見えます。窓の外は木だから2階西の端の廊下です」

 皆が伊織の顔を見つめたまま、次の言葉を待っている。

「ここはエントランス入って右手の廊下です。ステンドグラスの光がうっすらと床に映っています。これはレストラン前、図面で言うとここで・・・」

 伊織は画面を切り替えながらカメラの場所を特定していく。曹瑛は図面に配置をメモしていった。


「伊織ちゃん、やるな」

 孫景が伊織の背中をバシンと叩く。かなり剛力なのでちょっと咽せてしまった。

「そんな・・・ありがとうございます」

 伊織は広告代理店で働いていたころ、クライアントの開催するイベントに立ち会いに行くことも多かった。それで図面を読んだり、カメラ映像を見てスタッフや客の動きを判断したりというスキルが知らず身についていたようだ。


 警備の状況はだいたい分かった。見張りは銃を持っているだろう。どうやって突入するのか、取引を阻止するにはどうするか、段取りを決めていった。武闘派の3人の物騒な会話が飛び交っている。

「俺たちの殴り込みは決まったとして、防犯カメラの映像をどうするかな」

 榊はノイズの入る防犯カメラの映像を見ながら2本目のタバコに火を点けた。

「ホテルの部屋を確保できたらそこでリアルタイム映像の確認と偽映像の流し込みができます」

「危険だな・・・お前をそこまで巻き込みたくはないんだが」

 榊は高谷の案に難色を示している。可愛がっている弟を危険に晒したくはないというのが本音だった。


「俺も高谷くんと一緒に行く。2人なら最悪バレてもなんとかなるかも・・・」

「お前は留守番だと言っただろう」

 曹瑛が厳しい口調で諫める。伊織は唇をかんで俯いた。曹瑛の気持ちは分かっている。危険な取引の現場に連れて行きたくないと思っている。

「伊織ちゃんが敵の動きをイヤホンで教えてくれたらやりやすいかもな」

 孫景が提案する。伊織はそれならできるかもしれない、と答えた。曹瑛は孫景を睨付けている。

「2人は自分の身を守れない。無理だ」

 曹瑛は断固拒否の姿勢だ。足手まといはご免とも思っているのだろう。これまで1人で行動してきた曹瑛にとって仲間と行動することは、失敗のリスクが増すというマイナス面が強い。


「よし、俺が裏方の面倒見るわ」

 孫景が自分の胸を叩いた。高谷と伊織は孫景の顔を見つめる。

「おいおい、そんなに見つめるなよ」

「孫景さん、ありがとう」

 2人は孫景に礼を言った。曹瑛はチッと小さく舌打ちしている。

「孫景、頼むぞ。伊織はフライパンで戦えるかもしれないが、結紀は頭はいいがこの通りヒョロいからな」

「ちょっ・・・榊さんその言い方」

 伊織が榊にくってかかる。今日もフライパンを持っているのか、と榊に揶揄されて伊織はふくれ面になった。


「出発は明日夜6時、この部屋に集合でいいな」

 1人考え込んでいた曹瑛が不意に立ち上がった。榊と孫景も同意して、解散した。部屋に戻り、曹瑛はマルボロに火を点け、頭を抱えている。伊織はその横で気まずい空気に何も言えず俯いている。

「瑛さん・・・」

「伊織、お前は宿で待つと言っただろう」

 曹瑛の責めるような声の響きに、伊織は思わず肩を竦める。

「そう、だけど、やっぱり俺も何か役に立ちたくて」

 これは本心だ。伊織は声を振り絞る。曹瑛はため息とともにタバコの煙を細く吐き出した。


「こうなることは分かっていた」

 それなのに、なぜ連れてきたのだろう。曹瑛は自問している。今回の取引は厳戒態勢で行われる。しかも、日本側の組織、麒麟会は鳳凰会よりもずいぶん規模が大きい。人員も武器も前回と比べものにならない。

 孫景は信頼できる、しかし何が起きるか分からない。

「お前に何かあれば俺は一生後悔することになる」

「え・・・」

「だから連れて行きたくなかった」

 曹瑛はタバコを揉み消して伊織をじっと見つめている。

「自分の身は自分で守れ」

 曹瑛の言葉に伊織は無言で頷いた。以前、歌舞伎町で龍神によるドラッグ中毒の男に襲われそうになったとき、危うく曹瑛に助けられた。榊の刀からも曹瑛が守ってくれた。曹瑛と一緒にいれば安心、という気持ちがどこかにあった。


 しかし、突き放されてみると不安の波がじわじわと押し寄せてくる。曹瑛は組織を裏切るという危険を冒してまで戦おうとしている。自分の人生を取り戻すために。自分はそこまで覚悟を決めて何か行動を起こしたことがあるのだろうか。信念はあるだろうか。伊織は拳を握りしめた。

「わかった。だから瑛さんも頑張って」

 伊織は顔を上げて笑った。ちょっと無理矢理だったかもしれない。顔がひきつっているのが自分でもわかった。友人として曹瑛を助けたい。今はそれが自分の信念だ。伊織の表情に覚悟を見た曹瑛は唇を噛み、目線を逸らした。

「危ないときはイヤホンに向かって言え」

 伊織はハッと顔を上げた。

「気が向いたら助けに行く」

 こういうのをツンデレというのだろうか。曹瑛の口調は穏やかなものに戻っていた。


「夕食の前に温泉に行きましょうか」

 伊織はクローゼットからバスタオルを取り出す。ホテルの案内によれば、露天風呂から富士山が一望できるそうだ。温泉は好きだった。地元にいるとき、よく家族で近くの旅館の日帰り温泉を利用していた。そのときの楽しかった思い出のせいかもしれない。

 自分のアパートでは風呂が狭すぎて湯を張る気にならなかったし、曹瑛が借りている新宿のマンションには広い浴槽があったが、結局シャワーで済ませていた。久々の湯船に思わず心躍る。

「共同浴場なのか」

「そうですね」

「水着など持っていない」

「風呂に入るのに水着はいりませんよ」

 曹瑛は怪訝な表情を浮かべている。行ってみましょう、と伊織は曹瑛に浴衣とバスタオルを渡す。気が進まない様子の曹瑛の手を引いて、展望露天風呂へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る