エピソード46 マジックアワー

「瑛さん、榊さんのこと苦手なの」

「・・・何」

 突然の伊織の質問に、曹瑛は口の端を歪めた。榊と聞くとこの反応、実のところ聞かなくてもわかる。意識していることは確かだ。

「嫌いだ」

 曹瑛はつまらなそうに顔を背ける。


「どうして」

「人の忠告を聞かない石頭で、意地を張って俺にケンカを売った上に、お前まで斬った」

 意地っ張りなのは曹瑛も良い勝負じゃないかと伊織は思ったが、首を締められたくないので口に出さないでおいた。

「でも、榊さんを助けた」

 伊織はあの時、曹瑛に人の心の光を見た。彼は心無い殺人鬼ではない。

「お前が本当に斬られていたら、殺していた」

「高谷くんのお兄さんだから」

「そんなことは関係ない」


 曹瑛はこの話題から離れたいようで、機嫌が悪い。タバコをくわえたままジッポの蓋を開け閉めしている。

「榊さん強くて、格好いいよな」

「あいつは確かに腕は立つ」

 曹瑛は不本意ながら榊を認めているようだ。

「バーでお酒飲んでたのサマになってるし、スーツの着こなしもカッコいい。それに硬派な感じで、映画に出てくるインテリヤクザみたい」

「あいつ、お前と同い年だぞ」

「え、嘘だろ。あのハードボイルドな人が!?BMW乗ってたぞ、あれで32歳!?マジか・・・」

 榊を年長と思っていた伊織は頭を抱えてショックを受けている。曹瑛はそれを見てニヤニヤしている。


「俺なんて、酒飲めない、車は無い、あ、実家に帰ったら軽トラは運転できるけど、今や無職だし」

「安心しろ、今は榊も無職だ」

 曹瑛が伊織の肩を力強く叩く。その声にはどこか意地悪な響きがあった。

「瑛さん、もしかして対抗意識燃やしてる」

 伊織が人さし指を曹瑛の鼻先に突きつけた。

「あいつと戦えば俺が勝つ」

 意外にも本当に対抗意識を燃やしていたことに伊織は驚いた。曹瑛は呆けている伊織の額にデコピンをしてマルボロに火を点けた。


「ところで、この手土産なんだろう」

 榊が無理矢理置いていった風呂敷包みを解いてみた。

「豪華なパッケージだ」

 光沢のある高級感満載のダークブラウンの箱に赤色のリボンがかけてある。箱には帝国ホテルと金色の箔押しで印字してあった。リボンをほどき、箱を開けてみるとブランデーの良い香りがした。

「すごい、高級そうなフルーツケーキ、こっちの箱は100%フルーツジュースのボトル詰め合わせ」

 曹瑛は横目で見ながらタバコを吹かしている。

「甘いものばかりだ。瑛さん良かったね」

 伊織の何の気無い一言に、曹瑛は煙に咽せて咳き込んだ。


 曹瑛がタブレットで調べ物をしている間、伊織は部屋を掃除したり、布団を干したりと慌ただしく家事を済ませていた。

 三時になったので、フルーツケーキを切って、お茶にする。曹瑛は茶葉の準備をしている。

「中国茶にも紅茶ってあるんですね」

「そうだ、イギリスやインドだけじゃない。中国の福建省が紅茶発祥の地だ」

 曹瑛は茶盤を出して、茶芸を披露してくれた。艶のある赤色の茶は砂糖なしでも馥郁とした香りがする。すっきりした味わいはフルーツケーキとよく合う。


「さすがホテルのケーキ、文句なしに美味しい」

「そういう見栄っ張りなところがヤクザなのだろう」

 曹瑛は皮肉を言いながらも美味そうに食べている。スポンジ部分がしっとりと口当たりよく、大粒のドライフルーツがふんだんに使われている。そして口に含めば鼻に抜けるブランデーの芳醇な香り。たまには本当にいいものを食べるという贅沢はありだな、と伊織は思った。


 池袋の烏鵲堂に行く、と曹瑛が出かける準備を始めた。伊織も顔を洗って服を着替えた。裏通りの古本屋は相変わらず閑散としていた。本棚の裏の隠し階段を降りていく。

「仕事が早くて助かる」

 曹瑛は部屋の中央のテーブルに図面を広げている。金縁めがねのおやじは棚からファイルを持ち出し、曹瑛に渡した。


「この図面は」

「河口湖のホテルの見取り図だ。麒麟会が経営破綻した老舗のリゾートホテルを買い叩いて手に入れたという話で当たりをつけた」

 図面の端に水滸館と記載がある。大正時代に建てられた2階建ての洋館で、リーマンショックのときに株の運用に失敗した経営者が借金整理のために手放したということだった。


 ファイルには麒麟会の構成員の詳細な情報が綴じられている。強面のおっさんがずらりと並んでおり、中には殺人の前科がある者もいた。その目つきはまさに野獣だ。榊はヤクザとは言え、筋を通す男だった。

 曹瑛は図面とファイルを肩掛けカバンに入れた。


 烏鵲堂を出て、伊織は無言だった。河口湖での取引がシャレにならないヤバさだという実感が沸いてきた。いくら曹瑛や榊が強いとはいえ、相手は大人数の組織と、さらには中国マフィア八虎連もやってくる。二度の失敗を犯すほど愚かではないだろう。取引には万全を期してくるはずだ。


 正直めちゃくちゃ怖い。ああ、やっぱりヤクザとかマフィアなんて自分にはほど遠い世界だ。そして曹瑛はその違う世界で生きていると実感する。やがて遠くに行ってしまいそうな気がして、伊織は不意に寂しさを覚えた。


「今夜は外で飯を食う」

 不安げに俯く伊織に曹瑛が声をかける。

「え」

「伊織に助けられたからな、礼をしたい」

 思いも寄らない提案に呆けた伊織を置いて、曹瑛は歩き出す。もう行き先は決めているようだ。伊織は置いて行かれないようその背を追う。


 曹瑛に連れられてやってきたのは、東京駅の正面に立つビルの5階だった。Luminosとスタイリッシュにデザインされた看板が出ている。 

 シックな店内に品の良さそうな客が上品におしゃべりを楽しんでいる。

「予約はしてある、行くぞ」

 曹瑛はさっさと店内に入っていく。姿勢の良いウエイターに声をかけると、すぐに用意された席に通された。


 伊織はひたすら恐縮している。案内された席は顔が映るほどに磨かれた全面ガラス張り、正面には夕暮れに染まる東京駅の駅舎が見えた。

「すごい、駅舎が目の前に」

「夜に来ようと約束していた」

「そんな、フラグ回収やめてくださいよ」

 だんだんと日が落ちて、空は美しい紫色に変化していく。空を流れる雲が夕陽の光を反射して最後の輝きを放っていた。

 高層ビルの灯りが点り始め、丸の内駅舎がオレンジ色のノスタルジックな光で照らされている。伊織はただ無言でその神秘的な光景を眺めていた。


 ここは創作イタリアンの店だ。曹瑛はコース料理を予約していた。皿の上にちょこんと乗った洒落た料理が運ばれてくる。味つけもひとつひとつが丁寧だ。

「なんだか最後の晩餐みたい」

 伊織がしみじみひとりごちる。

 曹瑛がガラスにソーダ水を吹きそうになり、踏みとどまる。威勢よく危険な取引現場についてくる、と言いながらもやはり現実を知って伊織はショックを受けている。

「縁起でもないことを言うな」

「そうだね、本当の最後の飯は瑛さんの餃子が食べたいよ」

「そんなものでいいのか」

 おかしなヤツだな、と曹瑛は笑う。


 東京駅の駅舎前に立つ。

「故郷に帰りたくなったか」

「嫌なことがあると、故郷に帰ろうかなと思ってよくこの駅舎を眺めていました。でも、帰らずにもうちょっと頑張ってみようと思って今もここに残っている。だから、逃げ出さない」

「伊織はそんなに気負う必要は無いんだぞ」

「友達が困っていたら助けたいんだよ」

 その言葉には伊織の覚悟が感じられた。曹瑛がその言葉を否定することはなかった。


「榊も取引現場に来るなら、話をしておきたい」

 マンションへの帰り道、曹瑛の切り出した言葉に伊織は驚いて一瞬息が止った。

「勝手に動かれて邪魔されたくないだけだ」

 単独行動を好む曹瑛が榊と共闘しようという気になったことが意外だった。

「伊織、榊と連絡は取れるのか」

「えっと、まあ、うん」

 歯切れの悪い返事に曹瑛は怪訝な顔をしている。5階のフロアについた。借りている部屋の2つ手前で伊織が立ち止まる。

「どうした、部屋はこの先だ」


 伊織がおもむろにチャイムを鳴らした。しばらくして、ドアが開く。

「はい、ああ、伊織さんに曹瑛さん」

 高谷が顔を出した。高谷の背後には黒いジャージ姿の榊が立っている。シャワーを浴びた後なのか、濡れた髪をガシガシとタオルで拭きながら。

 予想の斜め上のご近所さんの姿に、曹瑛は動揺している。その生活感ありありの姿に、2人がここに住んでいることをようやく認識したようだ。


「何でお前たちがここに」

「榊さん、明日打ち合わせしましょう。また声をかけますね。それからケーキ、すごく美味しかったです」

 伊織が今にも文句を言い出しそうな曹瑛を遮って声をかけた。

「ああ、分かった」

 伊織が2人に手を振りながらドアを閉める。

「知っていたのか」

「じゃあ帰りましょう、瑛さん」

 伊織の笑顔に毒気を抜かれ、曹瑛はため息をついた。その表情には微かな笑みが浮かんでいた。

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