エピソード44 果たされた約束

「餃子パーティをしたいと言っていたな」

 スーパーへ向かう道中、曹瑛が伊織に向き直って真顔で確認する。伊織はそのギャップがおかしくて思わず吹き出した。ムッとする曹瑛にひたすら謝る。


「ごめん、だってそんな怖い顔で言うから」

「真面目に聞いている」

「約束、覚えていてくれたんだ」

 鉄工所での戦いの後、傷を負った曹瑛を元気づけようと勢いで取り付けた約束だった。

 何故咄嗟にそれを思いついたのかは今となっては謎だ。楽しかったたこ焼きパーティと、曹瑛の故郷ハルビンのおいしい水餃子の話が結びついたのかもしれない。


「約束は守れるうちに済ませておきたい」

 確かに、この調子ではいつ八虎連や日本のヤクザに狙われて命を落としてもおかしくない。そういうことか、と伊織はしょぼくれて肩を落とした。


「どうした、気が進まないのか」

「そういうことなら、これが片付くまで、いい。最後に約束をちゃんと守ってくれたらそれで・・・」

 ぺちっ。額にデコピンが飛んできた。地味に痛くて伊織は額を押さえる。

「これが終われば、また別の約束をすればいい」

 曹瑛は本気でそう思ってくれているのだろうか。ぶっきらぼうだが意外と律儀な男だ、と伊織は思う。


 スーパーの店内、曹瑛の指示で食材をカートに投入していく。あんに使う豚肉の他に野菜もテキパキと選んでいく。薄力粉を渡されて、伊織は目を丸くした。

「餃子、皮から作るんですね」

「その方が美味い」

 本場の味を再現してもらえるのか、伊織は期待に胸が躍る。裏社会で暗躍している人間も買い物したり、ご飯を作るんだよな、と不思議な感覚で買い物をする曹瑛の姿を眺めていた。

 曹瑛は大入りの買い物袋を持つと言い張っていたが、怪我人だからと伊織は断固拒否した。


 マンションに戻り、早速餃子作りに取りかかった。ボールに薄力粉と水を混ぜてこねる。

 伊織が粉まみれで格闘しているうちに、曹瑛は餃子のあんを準備していた。中身は豚肉の他にニラ、白菜、せりと野菜もたっぷりまぜる。じゃがいもの千切りはサイドメニューにするという。


「故郷では羊の肉もよく使うが、こっちではメジャーではないらしい」

「羊肉は普段食べないです。でも、羊も美味しそうですね」

「皮はそのくらいでいい、しばらくラップがけで冷蔵庫に」

 次に曹瑛からネギとショウガを渡され、みじん切りにする。薬味に使うようだ。


「瑛さん、腕は大丈夫?」

 利き手ではない方の腕を銃で撃たれているはずだ。ダイナミックにあんを練る曹瑛の姿に撃たれたことを忘れているんじゃないかと心配になった。

「腕は掠っただけだ」

「無理しないでくださいよ」

「これもリハビリだ」

 餃子作りがリハビリとは、伊織は思わず笑ってしまった。冷えたあんを取り出して棒状に伸ばして適当に切っていく。それをさらに伸ばして皮を作った。

 あんを入れて軽くひだを作りながら包む。曹瑛は手際よく均一な大きさで餃子をどんどん作っていく。


「意外に難しい、コツあるのかな」

「慣れだな」

 並べてみると、どちらが包んだのか一目瞭然だ。年季が違う、と曹瑛は得意げだ。伊織の包んだ餃子の形が曹瑛が作る整った形に似てきた頃には、材料をきれいに使い切っていた。

 目の前には山盛りの餃子が完成している。調味料の風味だけでも食欲をそそる匂いだ。

「すごい、これ全部食べきれるかな」

「小ぶりだから案外食べられる。でも、半分は冷凍しておくか」

 大きめの鍋にたっぷりの水を入れ、火にかける。曹瑛はその横で炒め物とスープを作っている。


 伊織がテーブルを拭いているところに、玄関のチャイムが鳴った。思い当たる尋ね人はいない。伊織は足音を立てないように静かに玄関に近づく。曹瑛もその背後でナイフをいつでも抜けるように構えている。のぞき穴から覗くと、スーツを着た見慣れぬ男が立っていた。

「知らない人だ、誰だろう」

「伊織、下がっていろ」

 ドアの前の人物はもう一度チャイムを鳴らした。曹瑛が警戒しながらドアを開ける。


「お前か、宮野伊織はいるのか」

 目の前の人物の不躾な態度に、曹瑛があからさまに嫌そうな顔になる。

「え、俺」

 伊織が曹瑛の横から顔を出した。ドアの前に立っていたのは榊だった。普段は後ろに流していた前髪を下ろしており、雰囲気が全く違ってまるで別人だ。


 仕立ての良いピンストライプのスーツにグレーのシャツ、紺色のネクタイ。どう見てもカタギには見えないファッションはやっぱりヤクザだった。

「え、何で・・・!!」

 動揺する伊織を榊はじっと見据えている。その背後から高谷が顔を覗かせ、ゴメンと両手を合わせ、舌を出していた。


「邪魔していいか」

 いいかと尋ねるものの、拒否という選択肢は選ばせてもらえないようだ。

「断る」

 曹瑛が立ちはだかる。一歩も譲らない雰囲気に、榊も眼光が鋭くなる。

「どけ、俺は宮野伊織に用がある」

「お前、やっぱり死にたいのか」

「何だと・・・?」

 曹瑛も榊も本気のケンカモードになってきた。まさに一触即発。高谷は榊の後ろでおろおろしている。


「瑛さん、話を聞こう」

 伊織が殺気ムンムンの曹瑛を玄関から引っ張って部屋に押し戻した。榊は伊織に一礼して靴を脱ぐ。

「ゴメンね、伊織さんにどうしても会いたいって榊さんが・・・」

 高谷が申し訳なさそうに謝る。

「何で俺に?瑛さんじゃなくて」

「そうなんだよ」


 曹瑛は腕組みをしながらキッチンから榊をじっと睨んでいる。

「あの、俺が宮野伊織ですけど」

「榊英臣だ。昨日の詫びを入れにきた」

「え・・・」

「カタギの君を傷つけるつもりは無かった、すまない」

 榊は伊織に深々と頭を下げた。曹瑛がチッと聞こえよがしに舌打ちをする。伊織が榊に蹴られたり斬られたりしたことに腹を立てているのが見てとれた。


 黒づくめのヤクザに頭を下げられて、伊織は恐縮して頭を振る。

「あのときは俺も必死だったし・・・」

「これは詫びの品だ」

 榊は高谷が持っていた大きな紫色の風呂敷包みを受け取って差し出す。ヤクザからの贈り物なんて、正直受け取りたくない。伊織は思わず声が裏返った。

「え、いや、やめてくださいこんなの、怪我もなかったし、大丈夫ですから」


 必死で断ろうとしたが、榊はさらにスーツの内ポケットから厚みのある封筒を取り出し、伊織に差し出した。

「なんですかこれ・・・」

「見舞金だ」

「いやいやいや、いらないです、本当に!」

「ヤクザが一度出したモンを引っ込められると思っているのか、これは受け取ってもらうぞ」

 眉間に皺を寄せた榊の顔が伊織に迫る。もはや脅迫でしかない。伊織は怯えながら曹瑛に助けを求める視線を送った。


「もらっておけ伊織、お前がそれで許すというならな」

「許すも何も、恨んでなんかいませんよ」

「斬られたジャケットとフライパン、それに蹴られた腹の慰謝料だ。その男の顔を立ててやれ」

 伊織は渋々榊の誠意を受け取った、


「昼飯時に邪魔したな」

 榊は用件を達成して気がすんだのか、呆然とする伊織を背に帰ろうとする。

「あの、ちょっと待ってください。お昼まだなら良かったら一緒に」

 伊織は曹瑛の方をチラリと見た。曹瑛は冷凍庫に一度入れた餃子を取り出した。伊織はそれを見て小さくガッツポーズをした。

「ご馳走になろう」

 榊の返事に、伊織は二人の客人をテーブルに案内した。

 

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