エピソード43 帽子の男

「そんなに見つめられると照れるな」

「続きを言え」

 曹瑛はおどけて頭をかく孫景を睨みつける。

「八虎連は日本の別の組織に声をかけた。鳳凰会のようなケチな組織じゃない。本家筋に当たる麒麟会だ。構成人数およそ500人、その下に伸びる末端合わせて1000人は下らないだろう。関東を支配下に置いているといっても過言ではない」

「最初から派手な販路でいくことにしたのか」

 だんごの串を皿に置いた曹瑛はタバコに火を点けた。


「ここ最近、この辺で起きている事件は残虐な案件が目立つようになっている。報道では詳細が表沙汰にはされていないが、情報屋界隈では龍神が絡んでいるとも言われている。効果は確実、ここで販路を拡大して一気に盛大なデモンストレーションを行う腹だな」


 一段と話が大きくなってきた。伊織は曹瑛の顔をちらりと見る。全く動揺はしていない。ただ面倒くさそうに眉根に皺を刻んでいる。

「日本の組織も金の旨味には勝てないということだな」

「それに勝手にシマを荒らされるよりは、自分らが仕切っていた方がいいだろう。また懲りずに取引をするらしい。情報が入ったら連絡する」

「孫景、もうひとつ」

 曹瑛が立ち上がろうとする孫景を引き留めた。

「帽子のこと」

 曹瑛の眼光が鋭くなる。横浜の廃工場にいた曹瑛を撃った黒づくめの帽子の男のことだ。孫景はもったいぶった素振りで、写真とレポートが綴じられたファイルを取り出してテーブルに置いた。

「忘れてたぜ」

 曹瑛はそれを奪うように搔っさらって読み込んでいる。


「お前んとこの組織なのに知らなかったのか?」

「八虎連は大所帯だからな、それに幹部クラスの顔は知られていないことが多い。この件であいつを見つけたのはある意味奇跡だ。逆に末端の暗殺者の顔なんて幹部は興味が無い」

 何やら因縁がありそうだった。

「よほど恨みがあるようだな」

「黄維峰・・・俺をこの世界に放り込み、年端もいかぬ兄を殺した男だ。・・・組織的誘拐に殺人、汚い履歴が並んでいる、次に会ったら必ず仕留めてやる」

 曹瑛は静かな怒りを露わにしている。淡々とした口調だが、肌がピリピリする程の殺気を感じて伊織は何も言えなかった。

 あの帽子の男が曹瑛の幼い兄を殺した。曹瑛が榊を殺さなかったのは、榊を慕う高谷の姿が自分に重なったからかもしれない、伊織にはそう思えた。


「ごちそうさん。曹瑛も元気そうで何よりだ」

「フライパン、ありがとうございました。さっきの話が本当の用件だったんですよね」

「まあな。曹瑛、これだけ手伝ったんだ、この件で動くときは連絡しろよな」

 それだけ言って孫景は帰っていった。軽口を叩いているが、曹瑛のことは心配してくれているらしい。孫景を見送ってキッチンに戻ると、曹瑛が食器を片付けようとしていた。それを止めて、休むように促した。


「ちょっと、瑛さんはそこじゃないよ」

 毛布を持って定位置のソファに横になろうとした曹瑛を伊織が制した。

「怪我人なのに、ベッドで寝ないと回復しないですよ」

「俺はこっちの方が慣れている」

 曹瑛は言い出したら聞かないところがある。しかし、寝返りもままならない狭いソファでは体力も回復できないだろう。伊織はファイティングポーズを取り、曹瑛と対峙した。


「ベッドで寝てください。たまには言うこと聞いてください」

「ほう、やるのか?」

 曹瑛は面白がっている。

「い、今なら俺でも勝てる気がする・・・!」

 曹瑛が一歩近づく。伊織は後ずさった。曹瑛は怪我人とは思えぬ素早さで腕を伸ばした。伊織はビクッと身を震わせ、思わず目を閉じる。曹瑛の大きな手が伊織の髪をくしゃくしゃにした。

「分かった」

「・・・シーツも替えましたから」


 曹瑛は観念してベッドへ向かう。伊織とはリーチが全く違った。手負いとはいえ、プロの暗殺者には勝てそうにない。しかし、言うことは聞いてもらえて伊織は安心した。曹瑛は大人しくベッドに潜り込んだ。

「はぁ・・・良かった」

 一仕事終えた気分だ。洗い物を食洗機に入れて手早く片付け、シャワーを浴びる。温かい湯が泥のような疲労を洗い流していく。洗面台に映る体を見て、横腹に大きな青あざができていたのを見て驚いた。

 そういえば、曹瑛を助けようと、何も考えずに走り出しとき、榊に蹴り飛ばされたのを思い出した。ヤクザの本気のケンカキックだった。


「名誉の負傷かな」

 伊織はソファに横になりながら腹をさすった。中学生のとき、ヤンキー同士のケンカが行きすぎたことがあって、見かねて止めに入ったことがある。生意気だと蹴られたりどつかれたりした。弱いくせに何とかしようという妙な気概だけはあった。

 体中に青あざを作って帰ったら、父親からはなんで勝てなかったんだとどやされた。それでも、息子が勇気を出してケンカを止めたということはひそかに誇りに思っていたと後々母親から聞いたことがある。ふと、そんなことを思い出した。


 リビングに行くと、曹瑛がソファで眠っていた。ベッドがよほど落ち着かないのだろう。無理に起こそうとすれば、きっとまた首を絞められる。

 伊織は仕方なくベッドに潜り込んだ。


***


 伊織は無意識にふとんを蹴り出した。目を開けると見慣れた白い天井が見えた。頭はまだぼんやりしている。遮光カーテンの向こうはずいぶん日が高くなっているようだ。今何時だろう、スマホの時計を見ればすでに午前9時をまわっている。

「うわっ、遅刻!」

 慌てて体を起こす。節々が痛い。顔を洗って、服を着替えて・・・あれ。遅刻ってどこにだ。会社はすでに退職している。疲労のせいか、ずいぶん寝ぼけている。のろのろと起き上がり、カーテンを開ける。薄曇りの空の合間からは気だるい日差しが降り注いでいた。

 

 頭をガシガシかきながらリビングに行けば、曹瑛は定位置でタブレットを操作していた。

「瑛さん、今日はどこか出かけるの」

 曹瑛は薄手のグレーのパーカーに黒のTシャツ、ジーンズ姿だ。こうしているとその辺にいる普通の兄ちゃんに見えなくもない。

「買い物に行く」

 またどこかに不穏なものを調達しに行くのだろうか。そもそもその足で動けるのか。いや、こういうときこそ手助けをしないと。伊織も着替えて外出できる準備をした。

「スーパーだ」

「え」

「昼飯の食材を買いに行く、リハビリだ」

 そんなのんきな買い物だったのか、伊織は肩すかしを食らった気分だった。

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