エピソード40 対峙

「伊織、なんでお前ここに・・・」

 曹瑛の声はかすれている。足下の大きな血だまりを見て伊織は息を飲んだ。

「早く手当を」

 曹瑛に肩を貸そうとした伊織を榊が蹴り飛ばす。容赦など無い本気の蹴りに、伊織の体はやすやすと吹っ飛ばされた。曹瑛が怒りを込めて榊を見上げた。榊は無慈悲な極道の顔をしていた。


「取引をぶち壊してくれたな、お前の命で償ってもらう」

 榊は長刀を抜いた。よく研ぎ澄まされた刃が割れたガラス窓から射す月の光を映して妖しく輝いた。榊は長刀を構える。その姿は隙がなく、相当の手練れと曹瑛は直感した。その集中力、頸椎の隙間を狙い、一太刀で首を飛ばすこともできるだろう。


「榊さん!!もういいだろ」

「結紀、お前も来たのか、だがどいていろ。俺も極道だ、落とし前をつけなければならない」

 駆け寄ろうとする高谷を制しながら、榊は曹瑛から決して目を逸らさない。

「立て」

 曹瑛はゆらりと立ち上がる。色白の顔がさらに血色を失い、月明かりに立つ姿はまるで幽鬼のようだ。榊の長刀が曹瑛に向けて振り下ろされる。


「うわあああ!!」

 その間を割って伊織が目の前に飛び込んできた。曹瑛は榊の目が一瞬細められるのを見た。伊織の背を榊の長刀が裂く。突っ込んだ勢いで伊織は曹瑛もろとも地面に転がる。曹瑛はよろめきながら伊織に駆け寄った。薄手のジャケットの背中がぱっくりと切り裂かれている。伊織はそのまま動かない。曹瑛は怒りに震える手で伊織の背をなぞった。榊がゆっくりと近づいてくる。

「お友達と仲良く死ね」

 榊は再び長刀を構えた。そして曹瑛の肩口めがけて振り下ろす。孫景は銃の照準を榊の胸に合わせ、引き金に手をかけた。高谷は唇を噛んで祈るように目を閉じる。


 カーン!!

 金属が弾かれる音が聞こえ、長刀を振り下ろした榊の動きが止った。榊は熱と衝撃を感じて胸元を見た。そこには銀色の小さなナイフが刺さっていた。長刀が手から滑り落ち、コンクリートの床に転がった。目の前が暗転し、意識が遠のいてゆくのを感じた。榊はそのまま後ろに倒れ、動かなくなった。

「若頭!!」「榊さん!!」

「鳳凰会はもう終わりだ・・・!!」

 鳳凰会のスーツ達は動揺し、次々に逃げ出していく。そこには傷ついた者たちだけが残っていた。


「曹瑛!!伊織!!」

 孫景が二人に駆け寄る。曹瑛は手にしたものを床に放り投げた。孫景はそれを見て、思わず声を上げて笑い始める。床に転がったのはテフロン加工のフライパンだった。

「こいつはいいぜ、どこに隠してたんだ」

「ここだ、おい伊織、起きろよ」

 曹瑛は伊織のジャケットをめくる。榊の太刀筋は伊織のジャケットを切り裂いたのみで、フライパンのために肉を切ることはできなかったようだ。いや、曹瑛には分かっていた。榊は伊織が自分をかばったとき、瞬時に身を引いたことを。


「瑛さん・・・」

 恐怖のあまり気絶していた伊織がのろのろと起き上がる。目の前に力無く座り込む曹瑛の姿があった。

「瑛さん!!」

 曹瑛が生きていることを確認して、思わず抱きついた。

「伊織、痛い・・・」

 生きてはいるが出血が酷い。緊張が解け、次第に曹瑛の意識が薄れていく。伊織の手にはべっとりと血がついている。

「どうしよう、瑛さん死なないで・・・」

 伊織は取り乱し、震える手で曹瑛の頬に触れた。まだ暖かい。しかし、曹瑛は俯いたまま答えない。

「瑛さん・・・今度、餃子パーティしようって約束しただろ」

 曹瑛がうっすらと目を開けた。蒼白の顔に笑みを浮かべている。

「そんな約束していない」

「じゃあ、今約束しよう」

 曹瑛は頷きながら伊織の頬をペチペチと叩いた。

「孫景、この血止めてくれないか。本気で死ぬ・・・」

 曹瑛は力なく孫景を見上げた。高いぜ、と言いながら孫景は的確に止血の処理を施している。


 振り向くと、倒れたまま置き去りにされた榊の側で高谷がしゃがみ込んでいた。榊の体に触れようとして、その温もりが失われているのが分かってしまうのが怖くて震える手を引っ込める。

「榊さん・・・兄さん・・・」

 曹瑛の投げたナイフを胸に刺したまま、榊は動かない。高谷はその傍らで涙を流している。孫景が高谷の横にひざまづき、ナイフを抜いた。高谷はヒッと小さな悲鳴を上げる。切っ先には少量の血がついているだけだった。


「榊は眠っているだけだ」

「え・・・」

 高谷が涙でぐちゃぐちゃの顔を向ける。孫景は高谷の手を取って榊の頬に触れされた。温かい。高谷の瞳からまた涙が溢れた。

「生きてる・・・」

「麻酔薬を塗ったナイフだ」

「曹瑛さんは兄さんを助けてくれた・・・」

 榊がもし伊織を斬っていたなら、曹瑛はメインのナイフ、M9バヨネットで榊の心臓を貫いていただろう。榊が小さなうなり声を上げ、身悶える。

「兄さん・・・」

「結紀・・・なんでここに」

 榊は目を細めて弟の顔を見つめる。高谷は兄の手を強く握る。

「兄さんを迎えに来たよ」


 発電機のモーターはいつの間にか止っていたが、工場内に光が射してきた。日の出が近い。高谷は榊を支えながら龍神の詰まったトランクケースを見つめている。榊はタバコに火を付けた。一呼吸分だけ肺に煙を吸い込み、うまそうに煙を吐き出した。ガラス窓から差し込む朝日が眩しくて、目を細める。そして火のついたタバコをケースに投げ入れた。ビニール袋が溶け始め、やがて少しずつ火が燃え広がっていく。煙が高く上がり始め、炎はスーツケースを焦がしながら龍神を灰にしていく。

「これでいい」

「うん・・・ありがとう、兄さん」

 高谷は龍神のために命を落とした秋生のことを想い、また涙を流した。榊はそっと高谷の頭を抱く。曹瑛は薄れ行く意識の中、二人の後ろ姿を眺めていた。


「じゃあ、こっちは怪我人がいるから先に退散するぜ、高谷は榊と一緒に帰るだろ」

 孫景が曹瑛を抱えて立ち上がる。

「はい・・・ありがとうございます」

 高谷は涙を拭い、笑顔を見せた。

「伊織・・・」

 曹瑛が顔を上げる。

「曹瑛、もう寝とけよ、体力消耗するぞ」

 孫景があきれて言う。

「あれ・・・」

 曹瑛の力ない指先がコンクリートに転がったテフロン加工のフライパンを指していた。命を救ったフライパンを置いていくなということか。伊織はフライパンを拾い、曹瑛に肩を貸した。

 シャッターをくぐり、外に出ると昇る朝日が見えた。軽四のところに戻れば、目の前に朝日を反射してキラキラと輝く海が見える。

「伊織の故郷の海はここより綺麗か」

「うん、島がいくつも浮かんで、水面がキラキラ光って、その中に船が通り過ぎていくんだ。いつか瑛さんにも見せてあげたい」

「伊織ちゃん、泣いてるのか」

「あはは、いろいろありすぎて今頃泣けてきた・・・でも早く瑛さんを病院に」

「そうだな」

 曹瑛の長身を狭い車内に押し込んで、車は走り出した。

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