エピソード39 機転

「曹瑛、やるな」

 孫景がニヤリと笑う。曹瑛を追って鉄工所にたどり着いた3人は、建物の裏手に非常階段を見つけた。孫景が見張りのチンピラをぶっ飛ばし、鍵をこじ開けた。

 そして今、曹瑛の戦いを上から見守っている。伊織も孫景の後ろから恐る恐る顔を覗かせて、階下の様子を見つめている。曹瑛の流麗な動きは、まるでアクション映画を見ているようだった。


「曹瑛は人体の急所を心得てるからな。スマートに見えてあの一撃は重い。しばらく起き上がれんだろう。しかし、あいつ頑張ってるな」

「頑張ってるって、どういうこと?」

「まだ誰も死んでない」

 伊織は通路の奥の柵に縛られて呻いているヤクザ2人を見つめた。きっと、殺してしまう方が確実なのだろう、でもそれをしていない。しかし、まだ榊と八虎連の幹部、それに部下たちも5人は残っている。高谷は心配そうに榊の様子を見つめている。

「心配するな、伊織。あの数なら一人でなんとかなるって」

 突如、大きな破壊音がした。シャッターがこじ開けられ、八虎連の詰め襟集団が突入してきた。およそ20人はいる。あっという間に曹瑛を取り囲んでしまった。

「おお、数の暴力だな。これはマズイかもしれん」

「孫景さん、どうしよう!?」


 曹瑛は周囲を見回し、舌打ちをした。黒い帽子の男をサングラスごしに睨み付ける。

「なんだ、先ほどとは比べものにならんほどの殺気だな」

 曹瑛はサングラスを外した。その瞳には静かな怒りの炎が宿っている。曹瑛を取り囲んでいた詰め襟の男たちが、恐れをなして半歩後ずさった。

「俺はお前に兄と、人生を奪われた」

 曹瑛は怒りに震える拳を握りしめ、唇を歪める。

「お前、もしかしてあのときのガキか?大きくなったな、まだ生きていたか」

 帽子の男は嬉しそうに叫ぶ。髭にも頭にも白いものが混じり、目元には幾重にも皺が走っているが、覚えている、あの時の男だ。曹瑛の記憶が鮮明に蘇る。灰のような雪、笑う男の黒い帽子、そして兄の体から流れた赤い血。

「お前が龍神を扱っているとはな」

「俺がここに来たのは使い走りだよ」

 榊が帽子の男を睨む。この取引は、八虎連にとって所詮その程度の扱いなのだ。


「龍神の真の目的は、お前のような狂気の戦士を即席で作ることだ。お前は運良く今まで生き残ったようだが、これからは兵士も使い捨ての時代だ。未だガキを売らなきゃ食っていけないような極貧の村はたくさんある。お前のようなガキはいくらでも手に入る」

 曹瑛の口の端から、赤い血が一筋流れたのを榊は見た。抑えがたい憤怒に、歯を食いしばっているのだ。

 帽子の男は長刀を手にした。あのときと一緒だった。あの刀で兄を斬った。曹瑛は手になじんだ赤い柄巻のバヨネットを握りしめた。いくつもの銃口が曹瑛を狙っている。曹瑛はもはやそれを全く意に介していない。ただ帽子の男への復讐心にその身を震わせ、瞳の色は狂気に変わる。


 帽子の男は長刀を構えるそぶりを見せた。が、次の瞬間、胸元に隠し持った銃で曹瑛の左肩を打ち抜いた。

「ぐっ・・・」

 よろめきながらも倒れない曹瑛の大腿を間髪入れず撃った。曹瑛はその場に片膝をつく。流れ出す血がコンクリートの床に染みを作り始める。帽子の男はそのまま曹瑛の頭に銃口を押し当てた。熱を持った鉄がじりじりと皮膚を焼く。

「俺も年でな、飛び道具に鞍替えしたんだよ」


「おい、待て。こいつに話を聞かないのか」

 見かねた榊が止めに入った。

「何も聞くことはない。こいつはただの組織の犬だ。飼い主に噛みついた頭の悪い犬は殺すしかない、そうだろう」

 曹瑛は顔を上げて帽子の男を睨む。帽子の男は感情が欠如した濁った瞳で口元には下卑た笑みを浮かべている。

「命乞いをしないのか、大した度胸だ。だが、したところで結果は同じだがな」

 トリガーが引かれた。カチリという音が耳元で響く。最期に喉元に食らいついてやる。出血に朦朧とする意識の中、曹瑛は震える足に力を込めようとした。


 ドンドンドン!!!

 不意に鉄工所内に何かを叩く音が響き渡った。そして鉄を蹴破る派手な音。

「FBI!!」

 場内の男達は突然の展開に沈黙した。しかし、次の瞬間騒然となる。

「なんだ!?なんで日本にFBIが来るんだ?」

「ドラッグの取引を嗅ぎつけたのか?」

 屈強な男たちが、今何が起きているのか分からず混乱している。


 突入する靴音。それもかなりの大人数だ。次の瞬間、マシンガンの銃声が交錯する。そしてヘリの爆音が鳴り響いた。

「うわあああああ!!」

「撃たれた!!」

「ひいいいい!!」

 その場にうずくまるもの、シャッターの外へ逃げ出すもの、大人数がパニックになり、大騒動となった。曹瑛はその混乱に隙を見せた帽子の男の銃を持つ手にナイフを突き立てた。男は銃を落とし、大きく舌打ちをした。

「お前は八虎連の子飼いの暗殺者、組織を裏切った者の末路を知っていような」

「俺は逃げない」

「生意気なガキだ。榊さんよ、これが必要だろう」

 男は帽子を目深にかぶり直し、榊に長刀を放り投げた。

「引くぞ!」

 帽子の男の一声で詰め襟集団は逃げるように引き上げ始めた。


「伊織、やったな!でも何でFBIなんだよ」

「昨日観たハリウッドアクション映画を思い出して・・・」

 曹瑛まさに大ピンチのとき、伊織は鉄工所の監視室に走った。作業現場の指示出しマイクが使えることを確認し、スイッチを最大にひねった。スマホで映画のワンシーンを大音量再生したのだった。

 FBIの敵のアジト突入シーンなんてふざけすぎているとは思ったけど、混乱を招くには充分だったようだ。孫景と伊織は急ぎ階下へ走る。孫景はトランクケースを抱えていた詰め襟に蹴りを食らわせた。伊織は膝をつく曹瑛の側に駆け寄った。

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