エピソード38 襲撃

 無骨なアルミ製の作業台に大きなトランクケースが2つ。帽子の男がそれを開くよう指示した。傍に立つ黒い詰め襟が蓋を開ける。蛍光灯の光を反射してキラキラと禍々しい光を放つ袋詰めの白い粉末がぎっしりと詰め込まれていた。キロ単位で包装された龍神だ。榊はそれを見て、目を顰めた。

「確かに」

「では金を半分は現金、半分は口座に」

 帽子の男は訛りのある日本語を話している。

「承知した」

 榊は組の者に金を持ってくるよう指示した。黒いスーツの男が仰々しく豪華な絵柄の風呂敷包みを抱えてきた。風呂敷を広げると、中には封をしたままの万札が積まれていた。


「今やどこもかしこも電子決済だが、やはり現金はいい。特に日本の紙幣は質が良くて好きだ」

 帽子の男が札束をパラパラと捲った。手触りを確かめ、すかしを見て本物と確認する。

「龍神は最高級の毒だ」

 帽子の男はケースから龍神を一袋取り出した。ずしりと重みがある。毒は中国語の隠語でドラッグのことだ。

「南米や東南アジアの粗悪品とは精度が違う。それに製法も秘伝ときている。しかも、これはある意味日本製だよ」

 口元に醜悪な笑みを浮かべる。榊は嫌悪したが、それを表情には出さなかった。


「日本は我が国土に偽りの国家を作った。そこで暗躍したのが関東軍防疫給水部本部、通称七三一部隊。細菌兵器を研究し、非道な人体実験を行っていたのは知っているか。敗戦が濃厚になったとき、国際社会の批判を恐れ、戦後を待たず解体された」

 帽子の男は続ける。

「軍幹部は罪を逃れることを引き換えに、多くの研究資料を欧米の手に渡した。しかし、いくつかは捕虜の手で持ち出された。そのひとつが龍神の製法だ。その精製は極秘とされ、貧しい東北地方の糧を支えたのは皮肉なものだ・・・それが今、日本に帰ってきた。運命を感じるではないか」


 帽子の男に、榊。役者は揃った。曹瑛は天井を見上げた。大きな旧式の蛍光灯が4つ、それが光源だった。コートの内側に仕込んだ小型のナイフを立て続けに撃った。パリンと乾いた音がして、ガラス片が階下に降り注いだ。明かりは4つとも消え、鉄工所内は瞬時に暗闇となる。

 黒づくめの男たちは騒然としている。曹瑛は二階廊下から3メートルの高さの大型機械の上に音も無く飛び乗った。そのまま男たちの背後につく。

「何だ?停電か?」

「いや、破片が上から振ってきたぞ。誰かが電灯を壊したんだ!」

 突如、闇に包まれた工場内で目が慣れぬ男たちは、敵を探して怯えながら周囲を見回している。ドサッ、と重い音がした。恐怖にヒッと声を上げる者がいる。くぐもった呻き声、そしてまた何かが地面に落ちる音。


「おい、誰がいるぞ」「出てこい!!」

 鳳凰会も八虎連もそれぞれに母国語で叫んでは恐怖に怯え、混乱している。

「お前ら、落ち着け」

 榊が叫ぶ。その一声で鳳凰会のスーツたちは押し黙る。八虎連も幹部とみられる帽子の男が中国語で号令をかけると、その場は静まりかえった。

「そこの発電機をつけろ」

 大柄なスーツの男が作業用の発電機のスイッチを入れた。モーターが回り始め、非常用の電灯が点く。天井の蛍光灯ほどの光量はないが、互いの顔は何とか分別できる。見れば、コンクリートの地面に鳳凰会のスーツが5人、八虎会の詰め襟の黒服が3人倒れていた。

「いつの間にこんなにやられた??何者だ?」


「榊さん、これはどういうことだ」

 帽子の男が榊に詰め寄る。

「俺にもわからん、取引の情報が漏れていたんだろう。どっちから漏れたかは今暴れてる奴を捕まえて吐かせばいいんじゃないか」

 榊は八虎連の裏切りの可能性を示唆した。帽子の影に隠れた目には怒りが宿っている。帽子の男は傍らの細目の男に何かを指図した。細目は龍神のトランクの蓋を閉めようとしたそのとき、ケースの蓋を持つ親指の付け根に何かが刺さった。

「ぎゃっ」

 どこからか飛来した小型のナイフ。痛みに叫び声を上げる。それを抜こうとするが、顎に強い衝撃を感じた。その瞬間、細目の体は吹っ飛んでいた。壁に頭を打ち付け、意識を失う。トランクの蓋は開いたままだ。


「このまま一人ずつ片づけようと思ったが、気が変わった」

「やはりお前か」

 榊は目の前に立つ黒いハーフコートの長身の男を睨み付ける。バーで会った男だ。また会おう、その約束通りここにやってきたのだ。

「貴様!!」

 鳳凰会の用心棒が曹瑛に銃を向ける。狙いをつける間もなく曹瑛が懐深くに入り込み、用心棒の腕を肘で跳ね上げた。乾いた銃声が響いたが、弾は空しく天井へ向かって飛ぶ。用心棒は鳩尾を曹瑛の鋭い拳で抉られ、腹から押し上げられた胃液を吐いてその場に倒れた。


「去死!」

 間髪入れず八虎連の詰め襟の男が銃を向ける。引き金を引くより早く、曹瑛が弾いたナイフが男の腕に刺さり、銃が地面に落ちる。曹瑛は銃を敵のいない方向へ蹴り飛ばし、その勢いのまま体の向きを変え男の顎を蹴り抜いた。平衡感覚を失った詰め襟は受け身も取らず、後ろ向きに倒れた。しばらく起き上がれないだろう。

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