エピソード35 本題
料理はきれいに片付いた。最後の鶏ドラム一本を曹瑛と孫景で取り合いになるほど好評だった。
デザートに、近所の焼きたてパンの店のロールケーキを切り分けてテーブルに出した。クリームたっぷりで生地はふわふわ、店の自慢の品らしい。午前中には売り切れるそうなので入手できたのはラッキーだった。曹瑛は温かい烏龍茶を淹れている。
「で、話を聞こうか」
孫景が切り出した。高谷は3人の顔を見回して、話し始めた。
「はい、榊さんのことです。龍神というドラッグ、あなたたちの方がよく知ってますよね。日本で取引を始めようとしています。あんなものが入ってきたらめちゃくちゃになってしまう」
高谷は目を伏せて唇を噛む。同性の恋人を龍神のせいで喪っている。
「組の親分が独占で扱うことを決めたとき、榊さんも最初は止めていました。けど、親分が入院して、もしかしたらもう出てこれないかもしれない。それで榊さんが組を代表して取引をすることに」
高谷は悲痛な表情で唇を噛む。危険なドラッグに大切な人間が次々に巻き込まれていく不安を思うと、伊織は心が痛んだ。
「榊さんが引き継ぐことになったんだ・・・取引を辞めることはできないのかな」
「伊織ちゃん、榊が取引を辞めたところで他の組織が取引を始める。そういうものだ。榊は他のヤバい組織が流通経路を押さえるのを防ぐために、自分が矢面に立とうと考えているんだろう」
孫景の説明に納得がいった。榊はやむなく取引に応じようとしている。でも、その先は?高額で仕入れて、在庫を抱えておくだけということはできないだろう。龍神を製造している八虎連も効果を見たいわけだから、それを許すはずはない。
「榊さんも悩んでると思う。もとは強欲な親分が事後を考えずに始めた取引だけど、自分が尻拭いをするつもりなんだ。あの人はそういう人だから」
高谷は唇を震わせ、うなだれている。伊織が横目で見ると、曹瑛は無言でロールケーキを食べている。
「取引はいつだ」
孫景が訊ねた。そこは気になったらしく、曹瑛はフォークを持つ手を止め高谷を見つめている。
「それは分かりません・・・龍神に関わることは一切教えてくれません」
「お前は榊の恋人か?」
突然の曹瑛の質問に、孫景も伊織も高谷に注目した。そこは伊織も地味に気になっていた。
「榊さんは・・・俺の兄貴です。母親が違うから異母兄になります。でも、俺のことを気にかけてくれて今通っている大学の学費も榊さんが援助してくれているんです。本当の兄と思っています」
そういえば、曹瑛には兄がいたと言っていたことを思い出した。伊織は曹瑛をチラリと見た。何の反応もない。
「榊さんは危険な取引と承知で龍神に手を出そうとしています。鳳凰会はとても小さい組です。のし上がるための賭けに出ているんです。でも、それまでにきっと日本の他の組織からも狙われることになります。だからどうか、榊さんを助けてもらえませんか」
高谷の必死な声音に伊織は何も言えなくなった。孫景もタバコを吹かしたまま天井を見上げている。
「助けることはできない」
曹瑛が沈黙を破る。
「龍神に関わる奴はすべて消えてもらう」
高谷の目には涙がにじんでいた。この返答も予測はしていたのだろう、動揺はしていないようだった。さすがの孫景も何も言わず、気の毒そうな表情で高谷を見つめている。こればかりはどうしようもない、そう思っても口にしないのだ。
「ありがとうございます、ごちそうさまでした」
高谷は気丈に笑顔を作って立ち上がる。伊織も思わず席を立った。ちょっと下まで送ってきます、と一緒に部屋を出た。
「何と言っていいか・・・」
伊織と高谷はエントランスで立ち尽くしている。
「いえ、話を聞いてもらえただけでもありがたかったです」
「榊さん、いい人なんだ」
「はい、俺には育ててくれた人たちがいますが、本当の家族は榊さんしかいないんです。・・・あの、伊織さんは曹瑛さんとはどういう関係なんですか?」
「俺はバイトで雇われたんだよ」
「え?バイト・・・バイトで裏の仕事を?」
高谷が目を丸くして驚いている。
「いや、俺は一般人だよ。今は失業中で、最初は観光案内のバイトで雇われていたけど、買い物ついていったり住み込みで料理したり、便利屋みたいな感じ」
説明が難しい。本当に自分は一体何なんだろう、伊織は首をかしげた。
「でも、もうクビなんだ。さっき瑛さんに出て行けって言われてさ。俺が怒らせちゃって。それなのに孫景さんが押しかけてきて結局戻って来ちゃった」
「2人は友達かと思っていました。すごく息が合ってたし。曹瑛さんは心を許してるんだなと思いましたよ」
「そんな馬鹿な、都合良くこき使われているだけだよ」
伊織は自嘲する。
「それに、クビって・・・曹瑛さんは龍神の件に伊織さんを巻き込みたくなかったんじゃないですか」
「・・・それ、孫景さんにも言われた」
「俺はそういうの、結構鋭いんですよ」
高谷は人差し指を立て、得意げな表情を向ける。
「俺もあの日言われたんです。もうしばらく会わないって。その話のためにあの店に行ったんです」
「そうか・・・榊さんは高谷くんを大事にしてるんだね」
「ねえ、伊織さん、これ俺の携帯番号。もし、何かあったら連絡してほしい」
高谷はメモ帳に名前と番号を走り書きして、一枚破って伊織に渡した。繊細な文字は高谷の性格を表わしている気がした。
「わかった」
「伊織さん、いい人だね。ありがとう」
高谷はそれだけ行ってエントランスを出て行った。
「あれで大学生か、しっかりしてるな」
伊織は誰にともなく呟いた。これから部屋に戻らなければならない。出て行けと言われてから何故かのんきに客人と昼飯を食べることになってしまい、話がうやむやになっている。伊織は気が重かった。自分はどうしたいのだろう。ガイドのバイトを完遂したいのか、いや違う。それはもうどうでもいい理由だった。曹瑛のことを放っておけない、ここまで関わってしまったのに、これで終わりなんて。
伊織は目をぎゅっと閉じて、見開いた。心は決めた。やっぱり出て行かない、そう切り出してみよう。
「伊織ちゃん、俺帰るわ」
エレベーターが開いて、孫景が出てきた。
「えっ、帰っちゃうの?」
「話は済んだからな」
何かとフォロー上手な孫景にできればいて欲しい気持ちもあった。でもそれは甘えだと分かっていた。
「・・・俺、戻ります」
「おう、あいつのこと頼むわ」
「俺は何もできないけど」
「飯おいしかったぜ、ごちそうさん」
「そうじゃなくて・・・」
孫景はじゃあ、と片手を上げてそのままエントランスを出て行った。伊織はエレベーターのボタンを押す。足が重かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます