エピソード34 不穏な食卓

 トントンと包丁の軽やかな音が響く。大根を輪切りにして、鶏のドラムと一緒に圧力鍋に放り込む。目分量で調味料を入れて鍋をセットした。お湯を沸かしてほうれん草をさっと茹で、おひたしを作る。その間に汁物の具材を準備する。男4人、特に孫景はよく食べそうなので、炊飯器は5合炊きをしている。

 慌ただしくキッチンで昼飯の支度をしている伊織の横に、曹瑛が茶葉を取りに来た。


「これはどういうことだ」

 真横に立つ曹瑛がドスの効いた低い声で伊織に訊ねる。伊織はどきっとした。

「呼んでもない客が増えている」

 何故戻ってきたのか問い詰められるかと思えば、高谷のことだ。無論、孫景も本来はお呼びではない。

「マンションの下で会ったんです、相談があるとか」

「何故ここを知っている?」

「調べたって・・・」

 曹瑛がグラスを4つ取り出した。呼んでもない客、と言いながら無碍に扱う気はなさそうだ。


「どうやって調べた」

「ああいう子はそれなりのネットワークがあるのかもしれませんね。それに目立つんじゃないですか」

 伊織は曹瑛の顔色を覗う。

「何が」

「瑛さんが・・・」

 曹瑛がすごい勢いで伊織の方を振り向く。伊織はビクッと肩を震わせる。

「どういう意味だ」

「背が高いし、なんかその、雰囲気が目立つんですよ。今日もいつものスーパーで瑛さんと一緒じゃないのかって店員さんに聞かれましたよ・・・カッコいいんだって」

「意味がわからない」

 事実はどうなのか分からないが、自分のせいでマンションを突き止められてしまったことが大いに不満らしく、曹瑛は憮然としながらグラスと茶葉を持ってテーブルに戻っていった。ティファールで沸かした湯をグラスに注ぎ、客人に出した。


「で、何の用だ?」

 曹瑛は足を組んでテーブルに肘をついている。見るからに態度が悪い。威嚇するような態度に、高谷は肩を竦めて恐縮している。

「相談があるんだって、なあ」

 高谷とは全くの初対面の孫景が何故か2人の間を取り持っている。

「俺は高谷 結紀といいます。突然押しかけてすみません」

「なぜここが分かった?」

 曹瑛は萎縮している高谷に威圧的な態度を崩さない。


「あの界隈の仲間に聞いて、たまたまこの近くでバイトしてる奴がいて似た人を見たって。それで今日自分で探しにきたら本当にたまたま、そちらのお兄さんを見つけたんです」

「似た人だと」

 曹瑛の疑問に高谷はポケットからスマホを取り出した。スワイプして画像を表示する。

「おお、すごいな似てるぞ」

 画面をのぞき込んだ孫景はニヤニヤ笑っている。曹瑛はあからさまに舌打ちを漏らす。テーブルに料理を並べていた伊織も気になって一緒に画面をのぞき込む。


「へえ、すごいね、確かに似てる」

 曹瑛が伊織をやぶにらみする。画面にはイラスト風に描かれた曹瑛の似顔絵が映っていた。整った目鼻立ち、冷たい表情が特徴を捉えて上手く描けている。

「この絵、高谷くんが描いたの」

「結構似てるでしょ。あの日初めて会ったときにすごく印象的で、帰ってすぐに描いたんです」

 高谷は嬉しそうにはにかんでいる。不意に、俯いたままだった曹瑛が愛用のナイフ、バヨネットを取り出す。高谷は驚いてスマホをテーブルの上に手放した。スマホの画面を狙い、バヨネットを振り下ろす曹瑛の手を孫景が慌てて止める。バヨネットはテーブルに突き刺さった。


「お前、大胆だな!」

「顔を記録された」

 曹瑛が邪魔をするな、という表情で孫景を睨み付ける。

「もうスーパーの人にも覚えられてるからいいじゃない、瑛さん」

 伊織がスマホをかっさらって高谷に渡した。高谷は怯えている。曹瑛は無言でバヨネットを引き抜き、背中にしまった。


「お昼にしましょうか」

 伊織が皿を用意していると、曹瑛が立ち上がった。高谷はびくっとして曹瑛を見上げる。孫景も緊張して挙動を注視している。曹瑛はキッチンに向かい、汁物をよそい始めた。

「これは」

「豚汁です。豚肉にゴボウやにんじん、サツマイモを入れたお味噌汁ですよ。日本の田舎料理です」

 おたまで鍋をかき混ぜると具材がたくさん浮いてきた。味噌の風味もいい。テーブルに並んだのは鶏と大根の甘辛煮、豚汁、ほうれんそうのおひたしにふわふわの卵焼き。食材を多めに買っておいて良かった。我ながら色合いのバランスも良い。


「いただきます」

「すみません、なんだかごちそうになってしまって・・・めっちゃ美味しいですこの大根、味がよく染みてて」

 高谷は屈託のない笑顔を浮かべる。

「ついでだから・・・あ、俺は宮野伊織です」

「伊織さんですね」

 普通はこうやって自己紹介するんだよな、伊織は曹瑛と初めて会ったときのことを思い出す。あのとき曹瑛は名前すら教えてくれなかった。

「伊織ちゃん美味しいよ、料理上手いな。曹瑛はいつもこれ食べさせてもらってたのか」

「男料理で大味なものしか作れないですけど、それに会社員時代は余裕無くてコンビニやスーパーの惣菜だったから料理なんて久々で、でも口に合うなら良かったです」

 褒めてもらってるのに謙遜してしまうところがどこまでも日本人だな、と伊織は自嘲する。人に食べさせる機会なんて無かったので、褒められると照れてしまう。


「本来、お前たちは招かれざる客だからな」

 曹瑛は文句を言いながら、もくもくと料理に手をつけている。

 孫景が四角い白いパックを開けた。中のシートを剥がすと小さな茶色いマメが入っている。醤油をたらし、ぐるぐるとかき混ぜると糸を引き始めた。曹瑛はそれを凝視する。

「お前は食べたことないのか?これ納豆っていうんだぞ」

 スーパーに買い物に行ったとき、孫景がこれも、とカゴに放り込んでいたのを思い出した。中国人なのに納豆を食べるんだなと伊織は感心していた。


「クセがあるが美味いぞ、お前も食べてみるか?」

 曹瑛は興味を持ったらしく、白いパックを受け取った。しかし瞬間テーブルに置く。

「やっぱり俺はいい・・・匂いが・・・」

「食わず嫌いするなって」

「・・・刺すぞ」

 曹瑛の殺気に孫景は推し黙った。伊織も納豆は好きだったが、曹瑛に勧めるのは絶対にやめておこうと誓った。

「中国にも臭豆腐というのがあってな、それはもう強烈、独特の匂いだ。納豆よりもキツいぞ。でも食べると案外美味いんだよ」

「俺は好きじゃない」

 どうやら曹瑛は発酵食品が苦手らしい。

 

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