エピソード30 カクテルの名は再会

 曹瑛が次にどうでるのかわからない。しかし、榊は組長に代わって大きな取引をする予定なら、よもや警察の世話になるようなことはしないだろう。

 おそらくここで銃を使うことはない。そう確信した伊織は気持ちを落ち着けて、目の前の青く透き通ったカクテルを見た。


「ねえ、マスター。このカクテルの由来教えてよ」

 妙に明るい伊織の声に、曹瑛の殺気が消えた。榊も銃を懐深くしまったようだ。いかにもベテランの、口髭を生やしたマスターが品の良い笑顔を浮かべる。


「このチャイナブルーはライチリキュールにグレープフルーツジュースを加えた、さっぱりとした味わいが特徴です」

「綺麗な青ですね、でもなぜこれがチャイナなんです」

「チャイナと言っても、中国のことをさしているわけではありません。景徳鎮をイメージしているんですよ」

「景徳鎮って、たしかお皿とか」


「景徳鎮は江西省の街の名前だが、白磁にコバルト、つまり青だ、で絵付けした陶器の代名詞になっている。その青をイメージしているということだ」

 曹瑛が伊織とマスターの会話に口を挟んだ。淡々としてはいるが、いつもの口調に戻っている。伊織は内心安堵した。

 しかし、榊が隣にいる一触即発の状況は変わらない。


「マスター、これはどういう由来だ」

 曹瑛も自分に出されたカクテルについてマスターに尋ねる。曹瑛がグラスを揺らすと深紅の液体が波打った。

「そちらはカーディナル。赤ワインにカシスリキュールを加えたものです。カーディナルの意味は枢機卿です。ちなみに、カクテルにも花言葉のような意味合いがあるんです。チャイナブルーは“自信家”、カーディナルは“優しい嘘”」

「えっ、俺が自信家に見えます?」

 伊織が驚いてマスターに訊ねる。

「いいや、もっと自信を持っていいですよ、という思いを込めて、そちらの彼は言葉よりも色かな。その赤が似合うと思ってね」


 それだけ言ってマスターは他の客に呼ばれていった。曹瑛は小さく笑ってカクテルに口をつけた。

「瑛さん!!」

 伊織が曹瑛の手を止めた。怪訝そうな顔の曹瑛、必死に頭をふる伊織。榊はその様子が目に入らないのかのように、ひとりブランデーを飲んでいる。

「瑛さんダメでしょ、お酒」

 伊織が小声で曹瑛に耳打ちする。曹瑛は伊織を一瞥してカーディナルを半分飲んでしまった。隣に敵がいるというのに、どういうつもりなのだろう。

 

 榊がフィリップモリスに火をつけようとしている。使い慣れたミッドナイトブルーのデュポンからは火花が散るだけで火がつかない。ガス切れなのだろう。

 曹瑛がポケットに手を入れた。榊はその気配を察知して身構える。曹瑛は手にしたジッポに火を灯した。榊は無言で口にくわえたタバコを近づけ、火をつけた。

「礼は言わんぞ」

 榊は煙を肺に吸い込み、ふっと吐き出した。


「榊さん、お待たせ」

 背後から榊に声をかける者がいた。

「結紀」

 榊が結紀と呼んだ男の顔を見て、伊織は思わず目を見開いた。そこに立っていたのは、先日この店で龍神の話を聞いたタカヤという青年だった。

 タカヤも伊織と曹瑛を認めてはっとした表情になる。

「榊さん、この人たちと知り合いなの?」

 高谷も思わぬ再会に戸惑っているようだ。榊は何も答えない。曹瑛はカクテルを飲み干し、席を立った。伊織も慌てて立ち上がる。


「また会おう」

 曹瑛はそれだけ言って去っていく。

「次に顔を見たらオヤジの落とし前、キッチリつけさせてもらう」

 榊は曹瑛の背を一瞥し、またカウンターへ向き直った。静かな怒りに鳥肌が立った。任侠映画のワンシーンにエキストラで参加している気分だ。

 伊織も慌てて曹瑛を後に続こうとしたが、どうしても気になってタカヤに話しかけた。

「君はこの前、タカヤって呼ばれてたよね」

「俺は高谷結紀たかやゆうき 。あんたたち一体・・・」

「そっか、タカヤって名字だったのか。あ、行かないと」

 曹瑛はすでに会計を済ませた後だった。


 高谷は榊の隣に座る。

「結紀、知り合いなのか」

「知らない。数日前、突然やってきて秋生のことを聞かれた」

 榊のこめかみがピクリと脈打つ。龍神のことだと瞬時に理解したのだ。

「やはりそうか」

「龍神・・・あいつらは榊さんを止めにきたんじゃ・・・」

「誰にも俺の邪魔はさせない」

 榊はブランデーを一気に煽った。高谷は心配そうな顔で険しい表情の榊を見つめた。


 不夜城の喧噪を抜け、曹瑛と伊織は静かなオフィス街を歩いていた。この時間は残業を終えて駅に向かう人とまばらにすれ違うだけで、ほとんど人通りがない。

 曹瑛は先ほどから無言だ。やっぱり今日もとんでもない目に遭ってしまった。伊織は緊張が解けて、一気に疲労が噴出した。足取りが重い。ヤクザに銃に、曹瑛は職務質問に掴まったら絶対に逮捕されるようなナイフを手にしていた。あれをいつもコートの下に隠し持っているのだろうか。


「伊織、俺は嘘は嫌いだ」

「え?どうしたの急に・・・もしかしてカクテルの話」

「********」

 出た、早口の中国語。曹瑛はフーッと獣のようなため息をついた。耳まで顔を真っ赤にして、目はじっとりと据わっている。


「ちょっと、さっきまでまともだったのに!?何で」

「********」

「もう信じられない」

 伊織はふらふら明後日の方向に行きそうになる曹瑛を引っ張りながら、なんとかマンションへたどり着き、その長身をソファに横たえた。目覚めたときのためにペットボトルのミネラルウォーターをテーブルに置いておく。

 シャワーを浴びてリビングを覗くと、視線がやや泳いでいる曹瑛が半身を起こしていた。手にしたミネラルウォーターは半分空になっている。

「瑛さん、大丈夫」

「ああ、頭が痛い・・・」

 顔をゆがめて頭をくしゃくしゃとかいている。伊織はため息をついた。


「瑛さんお酒飲めないんでしょこうなるのに何で飲むんですか、しかも横に銃持ったやつがいるのに」

 伊織の小言が半ば説教になってきた。命に関わることだ。曹瑛は面倒くさそうにうなだれている。

「酔いはコントロールできる」

「う、嘘ばっかり・・・!!」

 伊織はドン引きした。あれだけ酩酊して一体何がコントロールなのか。


「気を張っていたら酔わない」

「そ、そうなの」

 酔いとはそんな便利にコントロールできるのか。

「店を出るまでは意識はあっただろう」

「確かにそうだけど、後ろから急に襲われるかもしれないじゃないか」

「榊はそんな男では無い」

 なんの根拠で、と伊織は呆れた。

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