エピソード28 難しい距離感
烏鵲堂を出て、曹瑛と伊織は互いに何を言えばいいのか分からなかった。唇を引き結んで、俯きがちに歩く伊織を曹瑛は横目で見やる。
伊織をなんでも屋に連れていったのが間違いだったか、しかし隠しておくのも筋が違う。もうこの国の作法は大方頭に入っているため、ガイドの手伝いは必要無い。
伊織が拒否すれば、曹瑛はそれで契約は終わりにするつもりだった。
不意に、伊織が雑貨屋の前で足を止める。伊織は日用品をたたき売りしているワゴンに積んであった箱を取り上げた。
「お昼は家でタコパしましょうか」
曹瑛はタコパの意味が分からない。箱のパッケージを見ると、丸いだんごのようなものを鉄板で焼いている写真がついている。
「瑛さんはタコ食べられますか」
「いや、食べたことがない」
「もしダメだったら他の具材入れてもいいか」
途中、いつものスーパーで食材を買ってマンションに帰った。昼食の準備は伊織に任せることにして、曹瑛はタブレットで調べ物をしている。
キッチンから独特な匂いが漂ってきたので興味を惹かれた曹瑛はタブレットを置き、伊織の背後に立った。
「わ、びっくりした。気配消して背後に立つのやめてくれませんか」
伊織の文句はスルーして、曹瑛はまな板の上に置かれた食材を凝視する。
ゆでられたタコの足。赤と白のツートンカラーのぶよぶよした身がくるりと丸まっている。それだけでもおぞましいのに並んだ吸盤はさらにグロテスクだ。
「これ、食べるのか」
「細かく切って、小麦粉を溶いた生地に包んで焼きます。たこ焼きっていいます」
「たこ焼き・・・伊織はタコパと言っていたが」
「たこ焼きパーティの略です」
曹瑛は眉を顰めて首をかしげた。タコを丸ごと焼くわけでは無し、2人なのにパーティという。
「準備できました」
伊織が刻んだ材料や溶いた小麦粉をボウルに入れたものを持ってきた。炒めた麺が皿に盛ってある。
「ソース三昧ですけど、これは焼きそば」
あれはたこ焼きで、これは焼きそばという。日本語は難しいと曹瑛は思った。
「大学時代に関西の友人が多くて、下宿先でよくタコパしてたんですよ。関西人に作り方を習ったから自信あります」
何が根拠の自信か分からないが、美味しいものができたということか。
一定間隔でまるい穴が空いたホットプレートがテーブルの中央に置かれている。伊織が雑貨屋で買ったのはこの特殊な鉄板だったのだ。
穴に小麦粉の生地を流し込んで刻んだタコ、天かす、青ねぎをふりかけていく。はみ出してきた生地を整え、焼き色がついてきたら竹串でつついて返せばきれいなボール状になっていく。曹瑛は物珍しそうにその手さばきを眺めていた。
「焼き上がりましたよ。これお好みソースと、マヨネーズ」
曹瑛はあつあつのたこ焼きを口に含む。独特の甘味ソース、マヨネーズの酸味のアクセントは絶妙で思わず目を見開いた。
外側はパリパリで中はもちもち、先ほどの不気味だったタコの足は臭みも無く、歯ごたえがあって美味い。
曹瑛は黙々と食べ始めた。その様子に、曹瑛はたこ焼きを気に入ったと伊織は確信して嬉しくなった。
「変わり種にチーズ入りもありますよ、最後にはチョコレート入れてデザート風にしましょう」
食後に曹瑛が淹れた温かい西湖龍井を飲みながら一息つく。
「瑛さんが俺をあの店に連れていってくれて嬉しかったよ」
「意外に物怖じしないんだな、お前は」
「そりゃ、めちゃくちゃ怖いよ・・・本物の銃なんて初めて見たよ。でも、瑛さんの今回の仕事、・・・じゃない、やろうとしてることは間違ってない。瑛さんの友達も助けになるって」
友達、と曹瑛は一瞬考えて鼻で笑った。
「孫景のことか。あいつは面倒ごとに首を突っ込んで暴れたいだけだ」
「瑛さんにも友達いるんだなって」
「ただの商売上の腐れ縁だ」
「俺は、友達でもいい?」
伊織の言葉に曹瑛は内心戸惑った。裏社会で生き抜く上で友など必要はないと思っていた。
「ごめん、瑛さんはまだお客さんだ」
曹瑛は無言だ。伊織はその間に耐え切れず、食器を片付け始めた。曹瑛は何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。
夕方までの時間、曹瑛はタブレットで情報収集、伊織は部屋の片付けにいそしんでいた。
「今晩、GOLD HEARTに行く」
取り込んだ洗濯物を持ったまま、伊織は動きを止めた。曹瑛が以前のような書き置きではなく、ちゃんと教えてくれたのが意外だった。
「いってらっしゃい」「お前も行くぞ」
二人同時だった。置き去りにされないのは嬉しいけど、あの店に行くのは気が乗らない。
酒を楽しめない伊織にとって、バーという場所はどうにも気後れしてしまう。しかもあの店は完全に初心者お断り、玄人向けの雰囲気だ。
「そうだ、孫景さんと行けば」
「東口のうまいラーメン屋を案内してもらおうか」
「ちょっ、それズル・・・」
バイトの契約は有効だった。そう言われると伊織は断りようがなかった。
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