エピソード27 二つ名
「立ち話もなんだ、奥でお茶でもどうじゃ」
絨毯が敷かれた洋風の部屋に壺やブロンズ像など豪華な調度品が並んでおり、伊織は口をポカンと空けたまま部屋を見回す。
勧められてオーク材のテーブル席に腰を下ろした。アンティークの食器棚には美しい文様のカップや茶器がずらりと並んでいた。
曹瑛は足を組んで座り、テーブルに広げたレポートに集中している。店主が茶盤の準備を始めた。ティファールのポットから湯気が立ち上る。
「で、伊織くんは何が得意なんだ」
孫景は伊織に興味津々だ。横向きに大股開きに座り、伊織を値踏みしている。曹瑛とは違った迫力のある男だ。
「得意なこと、別に無いです」
「なんだよ、もったいつけるなって」
大きな手でバシバシ肩を叩かれてちょっと痛い。
「ああ、強いて言えば書道ですかね。最近やってないですけど」
「書道」
「小学校、中学校と賞をもらいました」
孫景は眉根を寄せる。その顔が怖くて伊織は引いた。店主が茶を差し出す。伊織は礼を言って口をつけた。
妙な緊張で口の中がからからだったのでありがたい。優しい風味が心を落ち着けてくれた。
「他には」
「あっ、魚を捌けますよ」
「ほう」
「ロープのほどけない結び方得意です、あと神社やお寺巡り好きがです」
孫景の首がだんだんかしげられていく。伊織も思わず逆の角度に首をかしげてしまう。曹瑛に大丈夫かコイツ、と目線を送るが曹瑛は無視してレポートに没頭している。
「孫景さんの得意なことって何ですか」
伊織は話につまったらとりあえず相手のことを聞け、と営業時代に先輩に口を酸っぱくして言われたことを思い出した。
「俺は個人でブローカーをしている。武器のことは詳しいぜ、半分趣味みたいなもんだ」
「武器、使えるんですか」
「取り扱っている重火器は全部使えるぞ。でも、曹瑛は刃物専門だからな、俺のおすすめには耳も貸さないんだよあいつ」
曹瑛が不機嫌な顔で余計なことを言うなと孫景を睨んでいる。
「伊織も使ってみるか、おすすめはな…」
「孫景、やめろ」
孫景が胸元から銃を取り出そうとするのを見かねた曹瑛が止めた。そのあとに中国語で文句を言っている。
「あんた、本当に一般人なのか」
「この間まで会社員でしたけど、最近無職になって今は瑛さんの日本観光・・・ではもはやないですけど、案内のバイト中です」
「仲介人に丸め込まれたらしい」
曹瑛が口を挟む。孫景はぶっと吹き出して豪快に笑っている。伊織はいたたまれなくなり、お茶を啜った。
「久々に笑ったぜ。ところで鳳凰会の親分を病院送りにしたの、お前だろ。今回のやり方聞いてお前と思わなかったぞ」
「ここは異国だ、派手に立ち回りたくない」
曹瑛はチラリと伊織を見やり、不機嫌そうに返事をする。
「どういうこと」
伊織が孫景の方を振り向く。
「こいつには“東方の紅い虎”って二つ名があってな、見せしめのために現場はいつも血の海、天井まで血飛沫が散って、そりゃもう凄惨な光景を作り上げる。俺でもぞっとするよ。こいつは刃物マニアだ、どこを切れば血が噴き出すのか心得ているんだよ」
伊織は絶句した。曹瑛の本業は暗殺者と聞いていたが、正直実感が無かった。実際の生々しい仕事ぶりに動揺を隠しきれない。
曹瑛は目を細めてそんな伊織の様子をじっと見ている。
「鳳凰会の柳沢には龍神をくれてやったんだろ」
「龍神の恐ろしさ、身に染みただろう」
曹瑛は手にしたファイルを閉じた。それを店主に返す。
「いくらだ」
「この件の金はいい。龍神が拡散されたら商売もやりにくくなる。お前さんに協力するのは得策じゃ」
「ほう、金にうるさいじいさんが」
孫景がおどけた様子で肩をすくめた。
「孫さんよ、あんたも曹瑛と組むためにここに残っておったんじゃろう」
「ま、そういうことだ。お前が珍しく個人的に動いてると聞いてな。手助けがいるだろ?伊織だけで足りるのか」
「黙れ。伊織、行くぞ。おやじ世話になったな」
曹瑛は茶を飲み干し、席を立った。伊織もつられて席を立つ。孫景が名刺を伊織のポケットにねじこんだ。
「なんかあったらいつでも連絡くれ」
孫景は人なつこい笑顔を向ける。伊織ははい、とだけ言ってすでに階段を上り始めた曹瑛の後を追う。
「あ、そうだ」
出口から伊織が顔だけ覗かせる。
「店長さん、お茶をごちそうさまでした」
それだけ言うと、階段を駆け上がっていった。孫景は老店主と顔を見合わせて笑い出した。
「伊織はなかなか度胸がある」
「しかし、虎はどういうつもりなんじゃ。利用しているとも思えぬが」
店主は茶を片付けながら不思議そうに首をかしげる。孫景は曹瑛が置いたファイルをめくっている。
「曹瑛にもお友達ができたってことか。しかしここに連れてくるとは空気の読めない奴だ。・・・鳳凰会の若頭、榊 英臣か。いい面構えをしている。組長の柳沢より骨だぞ」
「鳳凰会の柳沢がやられて日本の組織も浮き足立っているようじゃ。龍神はそれほど危険なシノギでもあるし、その分うまみも大きいと知れ渡ったじゃろう。取引は榊が継続するようじゃ」
「わかった、じいさんまたな」
地下室を出て行く孫景を見送りながら、老店主はたのんだぞ、と中国語で誰にともなく呟いた。
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