東方伝奇ー平凡な元リーマンが異国の暗殺者と紡ぐ絆の物語

エピソード25 帰巣

　柳沢は血管がふつふつと湧き上がる感覚に襲われた。頭に血が昇り、全身に力が漲ってくる。目は充血し、限界まで見開かれた。溺れる者が酸素を求めるように体を折り曲げて深い呼吸を繰り返している。

　記憶が一気にフラッシュバックし、スピードが加速してそれが何かも分からない。

　ただ、何かを壊したい、そんな原始の暴力的な衝動に支配された。

「おやっさん！」

　気絶していた用心棒が起き上がり、柳沢の異常に気が付いた。側に立つ長身の男を視界に捕らえ、叫びながら殴りかかる。曹瑛はそれを難なくかわし、勢いづいた用心棒の後頭部に肘を食らわせた。

　用心棒は鏡に頭から突っ込み、飛び散った破片で血まみれになり床に転がって呻き声を上げている。

　曹瑛はトイレの鍵を開け、柳沢を蹴り出した。判断力などすでにない柳沢はふらふらとホールへ出て行く。

　組長の様子がおかしいことに気づいた取り巻きたちが、怒号を上げて立ち上がった。にわかに騒然となる店内。柳沢は近づいてきた用心棒に突如殴りかかった。

「おやじさんどうしたんすか！」「組長！」

　組の者が柳沢に集中している隙に、曹瑛はレジに万札を投げて店を出た。柳沢は見境を無くして取り巻きの男に次々殴りかかり、ブランデーボトルを掴み振り回している。

　騒ぎの中、1人冷静だった若い男はドアから出て行く白いコートの男の背を見ていた。大柄な男3人がかりで暴れる柳沢をやっと押さえつけている。柳沢は口から血の混じった泡を吹き出している。

「榊さん、おやじさんはなんでこんなことに！？」

「ドアから出て行った男がいる、追うぞ」

　舎弟をひとり連れ、榊と呼ばれた若い男は店のドアを開けた。

　その途端、乾いた破裂音が連続で響き渡った。まさか銃撃か！？舎弟は驚いて尻もちをついた。榊は身を伏せたが、すぐにそうではないことに気が付いた。火薬の匂いが立ちこめ、爆竹の破片が転がる。

　顔を上げると、階段の上で白いコートが翻るのが見えた。

「舐めた真似をする、おい、立て！ただの爆竹だ」

　若い舎弟の腕を引っ張って起こし、コンクリートの階段を駆け上がる。地上に出て辺りを見回すと、駅方向へ続く歩道に白いコートの男が見えた。

　奴は目立つが、距離がありすぎる。人ゴミの中に紛れられたらすぐに見失うだろう。

「おい、追うぞ！白いコートの男だ」

　榊は走り出した。駅に逃げられたら終わりだ。人ゴミをかき分けて走る。

　曹瑛は背後の追跡者の気配を悟った。やはり、あの若い男か。雑踏の中に溶け込みながらコートを脱いだ。

　高架下を足早に走り抜け、段ボールハウスに白いコートを投げ入れる。

「お、にいちゃんありがとな」

　歯の抜けたホームレスの老人が顔を出してにっと笑った。

「ああ、使ってくれ」

　曹瑛は駅の改札を抜け、ホーム階への階段を駆け上がる。

「榊さん、白いコートの奴なんていませんよ」

「クソ･･･」

　榊は舌打ちをする。

「あいつですか」

　舎弟は、駅前にたむろしている金髪長髪に白のダウンジャケットの男を指さす。違う、長身で黒髪の男だった。

　榊は改札の方を見た。追っていたシルエットに似た長身の男が一人、人混みに紛れて改札を抜けた気がした。

　しかし、よくあるグレーのパーカーだった。目立つコートはどこかで投げ捨てたのだろう。榊はまた舌打ちをした。

　あの様子では組長は助かるまい、と直感していた。もし命はあっても廃人となり残りの人生を病院のベッドで過ごすことになる。

「帰るぞ」

「え、いいんですか」

「見失った」

　榊はポケットに両手を突っ込み、店への道を引き返した。今後、面倒なことになる。そう思うと知らず深いため息が漏れた。

　曹瑛がマンションに帰ると、リビングに灯りがついており、ソファで毛布に丸まった伊織が寝息を立てていた。

　テーブルの上にはドラッグストアのレジ袋が置いてある。曹瑛は唇を尖らせて天井を見上げ、意を決して声をかけた。伊織はきっと文句を言うだろう、説明が面倒だ。

「おい、起きろ伊織。そこは俺の場所だ」

「ああ、帰ったの瑛さん」

　伊織は眠そうに目をこすりながら半身を起こす。時計は夜中の1時をまわっている。

「仕事、うまくいった？怪我はない？」

「ない」

「良かった。これ、瑛さんが怪我したときに必要になると思って」

　レジ袋には消毒液やガーゼ、包帯が入っていた。

「俺にできること、これくらいしか思いつかなかったよ」

　曹瑛はうなだれる伊織の肩を叩きながら、早く寝ろと促した。伊織は大人しくベッドルームへ向かい、ふとんに潜り込んだ。

　曹瑛はソファに座り、マルボロを弄ぶ。これまで人を殺めることに罪悪感を覚えた事は無かった。今日の仕事も普段より譲歩ある対応だ。それが、なぜか後ろめたい。伊織の戯言が思いの外胸に引っかかっているのか。

「なんでこんなにやりにくいんだ」

　曹瑛は頭を抱えて独りごちた。