エピソード23 故郷の味 

 午後5時をまわるころ、うたた寝をしていた伊織は香ばしい匂いに目を覚ました。曹瑛がキッチンに立って料理をしている。

「瑛さん、俺が作るよ」

 伊織は慌ててキッチンをのぞき込む。曹瑛は浅草で買った包丁で豚肉を捌いている。その手つきや、プロ顔負けだ。

「なかなかいい」

 曹瑛は和包丁の切れ味にご満悦だ。その顔が本気で嬉しそうなので、伊織はこれは手出しできないと椅子に座って様子を眺めていた。

「故郷の料理を食べさせてやる」

「ハルビンの料理⁈」

 ハルビンの料理とは、伊織には全然想像がつかなかった。先ほど買ってきた食材は豚肉、じゃがいも、ピーマン、茄子。とにかく楽しみだ。


「豚肉を揚げてくれないか」

「は、はい」

 伊織は張り切って腕まくりをした。衣のついた豚肉を油に落としていく。温度はIHなので設定しておけば良い。曹瑛はピーマンやじゃがいもを一口大にして鍋に放り込んで炒め始める。中華調味料を用意して目分量で手際よく加えている。

「料理、好きなんですね」

「好きなわけじゃない、必要だから覚えただけだ」

 伊織は金色になった豚肉を油から上げていく。曹瑛はピーマンとじゃがいも、茄子の炒め物を皿に避け、鍋を手早く洗って次に揚げたての豚肉にとろみを入れて炒め始める。甘い香りが漂って、伊織は思わず喉を鳴らした。


「もう一品作る」

 曹瑛はごま油を軽くまわすと、トマトをざく切りにして鍋に入れた。

「トマト、炒めるんですか!?」

「中国のメジャーな家庭料理だ」

 卵を3つボールでといて、トマトと一緒に炒め軽く塩コショウを振りかけて皿に盛り付けた。テーブルに並ぶ料理は色合いのバランスも良く、美味しそうだ。ごま油と中華スパイスの香りがたまらない。


「いただきます!やばい・・・美味すぎる」

「それは鍋包肉だ」

「この、甘いのと酸っぱいのバランスがたまらない」

 伊織は笑顔で肩をすくめた。さくっと揚がった豚肉に、酸味のある甘酢あんかけがよく浸みている。ピーマンとじゃがいも、茄子の炒め物に箸を伸ばす。

「地三鮮という、手軽な家庭料理だ」

「じゃがいもとピーマンと茄子がこんなに美味いなんて、この卵もふわふわで、トマトってこんな使い方もあるんですね」

 伊織はひたすら感動していた。どれもご飯が進む味で大盛り2杯よそってしまった。

「ごちそうさまです、瑛さんありがとう、めちゃくちゃ美味しかった!」

 感激を隠さない伊織に、曹瑛はやや引き気味だったが内心は嬉しかった。


「先にシャワーを使っていい」

 促されて伊織は先にシャワーを浴びることにする。曹瑛はタブレットを触っているので邪魔しない方がいいだろう。

 バスルームのドアが閉まった音を確認し、曹瑛はショッピングモールで買ったファー付きの白いハーフコートを羽織る。烏鵲堂の店主から受け取った黒いケースを内ポケットに、逆のポケットには手になじんだナイフM9バヨネット。刃渡り約17㎝、簡素なデザインの軍用ナイフだが、グリップをまるごと取り替えて鮮やかな赤い柄巻を施している。

 

 そのまま部屋を出ようとして曹瑛は立ち止まる。キッチンにあったメモに走り書きをして、テーブルに置いた。

-出かける

 曹瑛は自嘲した。本来は気にする必要などない。しかし、自分がいなくなって心配する伊織の顔が瞼に浮かんた。もちろんこんな書き置きで安心するはずもないだろうが、無いよりはマシだ。


 曹瑛はマンションの部屋を出て、駅へ向かった。目指すは六本木のバー。ターゲットは闇世界のドラッグ「龍神」を日本で取り扱おうとしている組織、鳳凰会組長の柳沢誠司だ。ネットで送られてきた写真は50代半ば、狡猾な相貌の男だ。鳳凰会は関東の組織の中でも新興で、縄張りも狭くケチなシノギをしている。己だけがのし上がるために中国マフィアと手を組み、龍神で荒稼ぎしようというのだ。

 下手をすれば組ごと飲み込まれる危険があるため、普通は手を出さない。しかしそれだけのリスクを冒しても柳沢にとって龍神は魅力的な商材なのだ。これらは東京にいる華人ネットワークを使って得た信用できる情報だった。


 夜の六本木は新宿歌舞伎町とはまた違う雰囲気がある。強引な客引きはなく、道行く人たちの客層も違う。オフィス街を抜けて、商業ビルの一角に店の看板を見つけた。曹瑛は地下に降りる薄暗い階段を降りてゆく。

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