第3章 鳳凰会編

エピソード22 古書店 烏鵲堂

 曹瑛の目的地は裏路地の古本屋だった。スマホのナビで地図を頭に入れた曹瑛はスタスタと先を歩いて行き、伊織はただ後をついて行く。表通りには同人誌やアニメグッズの店が並び、若者で賑わっている。そこはひっそりと隠れ家のように古書を扱う店で、烏鵲堂と達筆な字の看板があった。烏鵲はカササギの意味だと曹瑛が教えてくれた。


「伊織は立ち読みでもしていてくれ、俺は用事を済ませてくる」

 曹瑛は狭い本棚の間を抜けて、店の奥に消えていった。伊織は書棚を見回した。古本独特のほこりっぽい据えた匂いが鼻をくすぐる。古い本が雑多に並べてあり、中国からの輸入書籍も多いようだ。歴史書全巻をまとめたものや、文豪の小説全集が棚の上にぎっしり並んでいる。

 客は老人がひとり、中年女性がひとり。かなりマニアックな店だ。こういうところにマニア向けのレア本なんかが眠っているのだろう。


「オヤジ、品を受け取りに来た」

 曹瑛は本の整理をしていた老店主に中国語で声をかけた。丸い金縁眼鏡をくいと持ち上げて老店主は曹瑛を見上げる。70代後半くらいだろうか、愛想の良さそうな老人だが曹瑛を値踏みする眼光は鋭い。

「奥だ」

 そういって、手にした本を置いて立ち上がった。老店主がぐいと押すと、書棚が奥にスライドし、その先に薄暗い地下へ通じる階段が現れた。スイッチを入れるとぼんやりと裸電球が点灯する。冷えた空気が流れ出してくる。曹瑛は老店主についてコンクリートの階段を地下へと降りていく。


 地下は広さ20畳ほどの空間で、コンクリート打ちっぱなしの床、部屋の中央には古風な中華風装飾の見事なテーブルが置いてある。

「あんたの依頼品じゃ」

 老店主は曹瑛に高級万年筆が入るくらいの大きさの、細長い黒色のケースを渡した。曹瑛はそれを受け取ると、蓋を開けて中身を確かめた。

「まさか、自分で使うわけではあるまい」

「当然だ」

 曹瑛はコートのポケットにケースを締まった。

「あとはこれじゃな」

 老店主は清朝を彷彿とさせる美しいアンティーク棚の引き出しから拳銃と弾丸を取り出した。

「FNブローニング・ハイパワー、シングルアクション 9mmパラベラム弾」

 曹瑛はグリップを握り、狙いを定めてみる。握り心地は差し支えない。

「地味な選択じゃな」

「これはお守りみたいなものだ」

「なるほど、あんたの獲物は別にあるんじゃの」

 曹瑛は老店主に中国元の束を渡した。老店主はそれを受け取り、箪笥の引き出しにしまう。2人は階段を上がり、書棚は元の位置に戻った。こんな場所に隠し通路があるなどと、誰も思わないだろう。


「これ、買います」

 何も知らない伊織が本を手にして老店主に声をかける。「よくわかる中国語入門」だった。老店主は本を紙袋に入れ、温厚な笑顔で伊織に手渡す。

「中国語の先生ならここにおるから心強いな」

 老店主はなまりの無い日本語で話しかける。伊織は彼が中国人とは気が付いていない。

「瑛さんが教えてくれるとは思ってないけど、せっかくだから勉強しようと思って」

 伊織ははにかみながら頭をかいた。曹瑛はいくぞ、とさっさと店を出て行く。伊織も慌てて後に続いた。

「瑛さんか、あの男がな」

 老店主はその背中を眺めながら誰にともなくつぶやいた。


「うどんが食べたい」

 新宿駅を出たところで曹瑛が立ち止まった。曹瑛が自分からリクエストしてくるとは珍しい。伊織は嬉しくなった。初めて会った日に、伊織が連れて行った讃岐うどんを気に入っていたのだ。

 ちょうど昼時で、店内は混雑している。2人がけの席を確保して、セルフサービスの列にならんだ。

「釜玉にする」

「これ、生卵をまぜるやつですよ、いいんですか」

「日本では普通なのだろう」

 故郷では生卵を食べる習慣がないと言っていたが、食べてみたくなったのだろう。天ぷらやおにぎりを選んで会計を済ませ、着席する。曹瑛は生卵がのったうどんにしょうゆを垂らして、しっかり混ぜている。伊織が食べる様子を観察していたのだ。


「故郷にはうどんに似たものはあるが、こんな食感ではない」

「コシがあって、もちもちしていて美味しいですよね、本場のはもっとコシがあるかな」

「それはお前の故郷に近いのか」

「ええ、海にかかる橋を渡ればすぐ。行ってみたいですか」

「別に、聞いただけだ」

 帰りにスーパーで食材を仕入れてマンションに帰った。曹瑛がソファでタブレットに集中しはじめたので、伊織は烏鵲堂で購入した中国語の本を読み始めた。

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