エピソード21 意外な弱点

 新宿のマンションに荷物を置いて、夕食に出掛けた。伊織は元同僚と行ったことのある駅前のシュラスコの店を選んだ。和牛のローストビーフがすこぶる美味かったのでまた行きたい店だった。

 店内はほぼ満席、移動中に予約をしておいて正解だった。通された席は一番奥の2人がけの席。ダウンライトの店内は落ち着いた雰囲気で、曹瑛もリラックスしている。

「お肉食べましょう。和牛のローストビーフも美味しいんですよここ」

 曹瑛は伊織にメニュー選定を任せている。


「せっかくだから飲みますか」

「・・・いや別に」

 曹瑛は乗り気では無い様子だ。

「とりあえずビールかな」

 伊織は下戸だが、肉にはビールという人並みの庶民感覚は持ち合わせていた。ローストビーフと冷えた生ビールがやってきた。

「冷たいな」

「ビールが温かったらクレームものですよ・・・あ、もしかして、冷たいものを飲まない風習があるんでしたっけ」

 中国では体を冷やすことを嫌う。若者の間では意識は変わってきているが、田舎では年寄りは冷えたものを口にしない者も多い。曹瑛は冷えたグラスをしばし見つめていたが、ビールに口をつけた。


 ローストビーフが無くなるころに、ウエイターが大きな串に刺した牛肉を持ってきた。目の前で切り分けてくれる。肉塊にナイフが通る様子を曹瑛はまじまじと見ている。大ぶりの赤味肉が皿に山盛りになった。追加で注文した羊串もテーブルに並ぶ。

「ハルビンでも羊串は街中の屋台で売っている。小ぶりだがスパイスが効いて美味い」

 羊肉は日本では一般的ではないが、中国ではよく食べるものらしい。

「ハルビンか・・・瑛さんの故郷に行ってみたいな」

「寒いぞ」

 冬はマイナス30度と言っていたことを思い出した。

「行くなら夏にしておこう」


 デザートはビュッフェコーナーに並ぶ。曹瑛は真剣な眼差しでスイーツを選んでいる。伊織はフルーツを中心に盛り付けた。曹瑛はプリンやロールケーキ、アイスクリームなどを器用に盛って帰ってきた。

「そんなにたくさん・・・」

「黙れ」

 仏頂面でもくもくとスイーツを食べる姿は見ていて面白かった。


 店を出て、マンションまで歩く。ビルの合間を吹き抜ける夜風が気持ち良い。結局、お酒は最初のビールのみだったが、アルコールがすぐに顔にでる伊織は頬が火照っており、ほろ酔い気分だ。お前はすぐ酔えるから経済的だな、と酒の強い同僚たちにはよくからかわれたものだ。


「えっ」

 不意に曹瑛が背後から首を絞めてきた。伊織は驚いて振りほどこうとする。首を絞めるというより、肩に手を回して寄りかかられている。

「ちょっと、瑛さん?」

「*********」

 早口の中国語で何やらブツブツ呟いている。曹瑛の顔は耳まで真っ赤だった。足どりも覚束ない。

「え、嘘。あのビールだけで酔っ払ったの?」

 伊織は間抜けな声を上げた。グラスビール一杯でこんなに酔えるのか。どんどん体重がのしかかってくる。

「えええ~」

 伊織は半泣きで長身の曹瑛を支えながらマンションに辿りついた。道中ずっと早口の中国語が聞こえてきた。伊織には全然意味が分からなかった。いや、そもそも意味のある発言ではないのだろう。まさか、曹瑛がこんなに酒に弱いなんて。 


「着きましたよ」

 完全に脱力した曹瑛をソファに転がした。そのまま安らかな寝息を立てている。

「酒、弱すぎですよ」

 そういえば、新宿の店で聞き込みをしていたとき、注文したカクテルをそのままタカヤにくれてやったような気がする。あの時、一滴も飲んでいなかったのか。甘い物好きで、酒に弱い暗殺者か。伊織は思わず吹き出した。

 冷蔵庫のペットボトルを取り出し、テーブルに置く。

「喉渇いたらどうぞ、常温にしておきますね」

 返事はない。この様子だと朝まで眠っていそうだ。

「今日は楽しかった」

 曹瑛の声が背後で聞こえる。振り返るとソファに横になったままだった。


 翌朝、伊織が目を覚ませばテーブルに朝食の用意があった。お粥に卵入りの中華スープ、茶葉卵、青菜だけのシンプルな野菜炒めとヘルシーなメニューが並ぶ。バスルームから聞こえていたシャワーの音が止まった。曹瑛は昨夜はそのまま眠ってしまったらしい。曹瑛が頭をガシガシ拭きながらバスルームから出てきた。

「昨夜はすまなかった・・・酒に酔って、前後不覚に」

 伊織は吹き出した。曹瑛の顔があまりにバツが悪そうだったからだ。

「ビール一杯で酔っ払う人初めて見ましたよ。中国の人ってお酒が強いイメージあったから」

「誰もがそうとは限らない。今日は依頼したものが届いたから池袋へ行く」

 曹瑛はまた仏頂面に戻った。

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