エピソード20 光と影

 浅草から夕方最後の水上船でお台場へやってきた。クルーズも楽しんで、最後は買い物だ。伊織はお上りさんなのでベタな観光地には一通り行ったことがあり、それが役に立った。

「お台場はショッピングモールです。ぶらぶら歩いてみますか」

 曹瑛は店員に服を見繕ってもらい、何着か購入した。伊織は無職になったばかりで倹約しようと思っていたが、欲しかったシャツをアウトレットで見つけてつい買ってしまった。


「あれ、伊織くんじゃない」

 不意に背後から声をかけられた。振り向けば元職場の先輩だ。パンツスーツに片手にはタブレット、新店舗の取材に来たのだろう。三つ年上の女傑と呼ばれる先輩で、上司の信頼も厚い。

「あ、有田先輩、お疲れ様です」

「仕事やめちゃったんだね、あれはひどかったよね」

「ええ、まあ。肩叩きですから仕方がないです」

 伊織はバツが悪そうに頭をかく。


「次どうするの?」

「まだ考えてなくて」

「そっか、充電期間だね。伊織君の天然なキャラは癒しだったんだけどなあ・・・ところであそこの彼、伊織くんの知り合い?」

 有田がこっそり指さした先には、レジに立つ曹瑛の姿があった。

「めちゃくちゃカッコいいじゃない、友達なの?紹介して欲しいな」

「い、いや・・・あの人は・・・」

 困った。有田は押しが強い。普通の気さくな観光客なら仲良くなってアドレス交換でもすればいいだろうが、曹瑛は違う。


「知り合いなんだ、観光案内してて」

 曹瑛は伊織の傍らに立つ。有田はこんにちは、と愛想の良い笑顔を向けた。営業スマイルって抜けないんだな、と伊織は思う。

「コンニチハ・・・スミマセン、ワタシニホンゴワカラナイ」

 え?伊織は思わず裏声で叫びそうになり、それを押し殺した。曹瑛は肩を竦めて申し訳なさそうな顔をしている。

「あ、海外のお客さんなのね、え?中国?伊織くん中国語できるの?」

「できませんけど・・・スマホアプリで意思疎通を」

「そっかあ、ちょっとハードル高かったな・・・じゃあまた!」

 有田はすんなり諦めて去って行った。伊織はその背中を見送る。

「瑛さん・・・器用なんだね」

「面倒はご免だからな」

「すごく上手かったよ、日本語できない外国人の真似」


 日がすっかり暮れて、街の灯りがぽつぽつと輝き始める。海沿いの公園は夜景を楽しむカップルでいっぱいだ。伊織は曹瑛にテイクアウトしたコーヒーを手渡す。海を渡る風はかすかな潮の香りと冷たい空気を運んでくる。

「こっちが砂糖入り」

「・・・ありがとう」

「いろいろ買ったね」

 曹瑛は肩に大きなバッグをかけ、さらに手持ちで手提げを2つも持っている。

「基本、現地調達だからな」

「そうなんだ・・・」

 ベテランの傭兵みたいだなと伊織は思った。曹瑛が空を見上げる。目線の先にはライトアップされた大観覧車があった。


「あれ、乗りたいですか?」

 伊織は曹瑛を観覧車の乗り場へ案内した。待ち時間は十分程度、何組ものカップルが列を作っている。ゴンドラに案内されるときに後ろの女の子二人と一緒なのか訊ねられた。一緒に乗ってもいいですよ、と若い女の子は言ってくれたが、伊織は断った。

「女と一緒でも別に良かったぞ」

「瑛さん日本語できない外国人のふりするでしょ」

 ふん、と曹瑛は笑った。ゴンドラはゆっくりと高度を上げていく。高層ビル群、隙間を走る道路の街灯、車のテールランプ、夜の闇に散りばめた宝石のように輝いている。狭いゴンドラに男2人膝をつき合わせているという悲しい現実を忘れさせてくれる。


「瑛さんて何歳なの?」

「そんなことを聞いてどうする?」

「40歳」

「・・・違う」

「28歳」

「違う、なんでそんなにブレるんだ」

 曹瑛は面倒臭そうにため息をつく。

「さすがに20代はないか」

「お前の3つ上だ」

「え、何で俺の」

「お前のプロフィールは依頼前に見た」

「そっか、俺の情報筒抜けなのか」

 空港で顔が分かったのは、バイトの請負人が勝手に伊織の情報を曹瑛に流していたからだ。個人情報保護とは一体。窓の外には遠く東京タワーが赤い光りを帯びている。


「瑛さんはずっと今の仕事を続けるの」

「・・・いずれは引退したい」

「引退したら何をしたい?」

「・・・お前、そんなこと聞いて面白いのか」

「教えてよ」

「本屋にでもなるかな。日がな一日、本を読んで過ごしたい」


 ガタン、とゴンドラが揺れた。いつの間にか一番高いポイントに到達したようだ。

「瑛さん、その夢叶うよ」

「なぜそう思う」

「この観覧車、一番高いところで願い事をしたら叶うってジンクスがあるんだ」

「馬鹿らしい」

 曹瑛は鼻で笑った。伊織は真面目な顔をしている。


「俺はその夢なら手伝いたい」

「俺を引退させる気か」

「本屋さんは危なくないだろ」

 曹瑛は伊織の額を軽く小突いて窓の外を見た。あの光の中には暗い影がある。このまま取引が成立すれば新宿の歓楽街だけでなく、龍神の狂気は広がっていく。

 誰の依頼でもない、自分の意思で行動を起こすのは初めてだった。これが終われば本当に引退できるだろうか、曹瑛は自問したが答えは出なかった。

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