エピソード18 観光日和
伊織はテレビの電源を切った。昨日の出来事は本当に起きたことだ、テレビを通してそれがより一層リアルに感じられた。
「伊織、出かけるぞ」
不意に声をかけられ、伊織ははっと顔を上げた。曹瑛がハーフコートを羽織り、出かける準備をしている。伊織もあわてて服を着替えた。
「今日はどこに」
「東京を一日観光したい」
「はい?」
あまりに間抜けな声が出てしまった。観光て、本気で言ってるのか。それが顔に出てしまったようだ。曹瑛は真顔のまま指先で伊織のおでこを弾いた。
「伊織が勧める場所でいい」
「わ、わかりました・・・」
そもそもこれがバイトの本来の仕事内容だ。伊織は東京の観光スポットを思い浮かべてみる。日本は初めてだろうから、ベタなところでいいか。自分が東京に来たときに観光した場所にしよう。
しかし、曹瑛が何に興味があるのだろう。目的遂行のために都内を観察したいということかもしれない。それはそれで、観光案内という目的を果たせばいいか、ぐるぐると思案した結果、そう結論づけた。
「では行きましょう」
JR新宿駅まで歩いて向かう。時計は朝8時前。サラリーマンたちが続々と駅に向かっている。自分も一週間前はこの中の一人だったな、と伊織は妙に感傷的になる。「普通」から除外された異端者のような気持ちでスーツ姿の人たちを見送る。
「異様だな。皆同じ格好で、同じ速度で歩いていく。面白い光景だ」
曹瑛の言葉に、伊織は何が「普通」かなんて分からないものだと思った。人の波をかわしながら地下鉄を目指す。曹瑛は伊織の後を難なくついてくる。
「初日に渡した交通カードで改札を通れます」
「ペンギンだな」
真面目な顔でペンギンと言ったのがおかしくて、伊織はこっそり吹き出した。ホームは電車待ちのサラリーマンでごった返している。
「やっぱりこの時間は失敗だったな・・・」
「これも日本の風景だろう。別に構わない」
それを聞いて伊織は安心した。伊織の故郷ならこんな人出は大きな夏祭りがあるときくらいのものだ。
伊織はぎゅうぎゅうに押し潰されながら立ち位置を確保するのがやっとだったが、曹瑛はホームの様子や乗り降りの流れを冷静に観察していた。結局、東京駅まで満員電車を体験することになった。
「やっと着いた・・・ここが東京駅。赤レンガ駅舎が良い感じなんです」
丸の内南口のドームを抜けて改札を出る。清々しい朝日が赤レンガ駅舎を照らしている。
「この駅舎は国の指定重要文化財で、2012年に復元されたんです。もとは1914年に建てられたものです。このレトロモダンな雰囲気、絵になるでしょう」
伊織は広告代理店で東京駅の開業にちなんだイベントに関わったことがあり、思い入れがあった。地方者にとって、どこか故郷への郷愁を思い出させるデザインが好きで、仕事に疲れたときに、ふらりと夜景を見にきた。そのまま新幹線に飛び乗って地元に帰ろうか、なんて夜の駅舎を見上げて思ったものだ。
気がつけば、駅舎を見上げる自分を曹瑛が見つめていた。
「あ、すみません何だか一人でひたってしまって」
「思い出の場所か」
「俺が初めて東京に来て、降り立った場所です。故郷に通じる場所みたいなイメージがあって」
「故郷か・・・」
曹瑛は誰にともなくつぶやいた。
「夜も綺麗なんですよ。丸ビルの展望デッキから眺めたらいい景色が見られます。展望レストランもたくさんあって、ただめちゃくちゃ高いけど」
「またここに案内してくれるか」
「そうですね、今度は夜に来てみましょう」
また、が本当にあるのかと思ったが、曹瑛も気に入ってくれたことを伊織は嬉しく思った。じゃあ次、と向かったのは上野公園。
「上野は博物館や美術館がたくさんあるんです。土日はイベントをやっていて賑やかです」
晴れ渡る空に芽吹き始めた新緑が目に眩しい。科学博物館の前で伊織は立ち止まった。
「ここ、行きませんか」
伊織はここがお気に入りだった。日本列島の生き物、自然、そして地球のこと。童心に帰れる場所だ。
「恐竜ってロマンですよね」
自分をほったらかして展示に熱中する伊織に曹瑛は悪い気はしなかった。楽しむことを長いこと忘れていた気がする。伊織は巨大な恐竜の骨の模型を見上げている。
「恐竜の化石を発掘するのが子供の頃の夢だったんです」
「それは叶ったのか」
「いや、うちの庭に穴を掘って親父にしこたま叱られましたよ、それきり」
曹瑛はふ、と笑った。伊織は曹瑛の腕を引きながら館内をあちこち連れ回した。
「やっぱり浅草は行かなきゃ」
上野から銀座線で浅草へやってきた。雷門を見たときの案外小さい、という衝撃が忘れられない。それでも向かいの道路から見れば、浅草のシンボルの風格がある。仲見世通りを歩くと、曹瑛の耳には母国の言葉ばかり聞こえてくる。
「ほとんど中国人観光客ばかりだな」
「ここは日本を感じられるスポットですからね、外国人には人気です」
仲見世を抜けて浅草寺の前に立った。曹瑛は寺の建築をじっと見上げている。
「お寺、好きなんですか」
「中国にも寺はたくさんある」
「あ・・・、じゃあ珍しいものではないですね」
「異国で同じ造詣の建物を見ると文化の繋がりが感じられるものだ」
そういう視点で見ているのか、と伊織は目からウロコだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます