エピソード7 家庭の味を要求される

「この国の家庭の味を知りたい」

 そういうことか、気持ちは分かった。

 しかし、手料理という響き、何となく複雑だな気分なのはなぜだろう。伊織は顔を引き攣らせる。

 駅の周辺に寿司や焼肉など、日本らしさを満喫できる飲食店はいくらでもあるのに、来日初日に家庭料理が食べたいなんて変な男だ。


 伊織は一人暮らしもそこそこ長いので、レパートリーが無くはないが、人をもてなす料理となると話は別だ。

 ブラック企業勤めでずっと帰りが遅く、ここ何年もスーパーの惣菜やコンビニ弁当に頼ってばかりだった。この面倒臭そうな男が満足するものが作れるのだろうか。いや、作れないと言ったところで、どうにかしろと圧力をかけてくるに違いない。おとなしく希望に沿うことにした。


 食材調達のため、マンションを出て最寄りのスーパーへ向かう。気がつけば、曹瑛は後ろではなく横並びに歩いている。背後を振り向かなくて済むのでこっちの方がいい。徒歩3分ほどでスーパーに到着、しみじみ立地が良いと感じる。

 曹瑛は客がどのように買い物をしているか、どんな形態で品物を売っているかを興味深く観察している。


 伊織は買い物かごを手に、献立を考える。

 まずお米だ。炊飯器はあったので、炊き込みご飯にしよう。冷凍野菜で筑前煮が簡単に作れそうだ。冷や奴を添えれば賑やかしになる。汁物も欲しいから味噌が必要だな。よし、勘が戻ってきた。

 基本の調味料も忘れてはならない。砂糖に醤油に塩に味噌、そして酢だ。

 曹瑛は異国の調味料が珍しいようで棚を眺めている。長身でハッとするような整った顔立ちの男が真顔で調味料を物色する光景は、どこか奇妙だった。


 マンションに戻り、キッチンに立った伊織は鼻息荒く腕まくりした。冷蔵庫に食材を片付け、食器を用意する。米を研いで炊飯器にセットし、流れ作業で野菜を煮る。

 筑前煮はおばあちゃんの得意料理で、味つけは仕込まれていた。せっかく日本の家庭料理を食べたいという外国人に気に入ってもらいたいと、伊織はいつの間にかノリノリで料理に没頭していた。


 キッチンで奮闘する伊織の後ろ姿をチラと見ながら、曹瑛はタブレットをずっと操作している。明日以降の観光スポットを探してくれるのだろうか、それならやりやすいんだけど。


 圧力鍋がピーと鳴ったので火を止めた。これはしばらく蒸らしておく。

 炊き込みご飯を茶碗によそい、味噌汁を椀に注ぐ。

 頃合いなので圧力鍋の蓋を開けると、筑前煮の醤油とダシの良いかおりが漂ってきた。子芋を摘まんで味見すると味は良く染みており、我ながら良い出来だと伊織は胸を張る。


 配膳しようと振り返ると曹瑛が真後ろに立っていた。伊織は思わず息を呑む。何でこんなに大柄なのにいつも気配がないのか。曹瑛は無言で料理をテーブルに運ぶ。

「あ、すみ・・・いやありがとう」

 すみません、はなるべく言わないようにしようと伊織は思った。


「いただきます」

 2人手を合わせ、箸を取る。誰かと向かい合わせの食事は久しぶりだ。目の前が無愛想な男でも気は紛れるものだ。

「これは筑前煮で、うちのおばあちゃんの味なんです」

「冷や奴には醤油をかけると良いですよ」

 伊織が一方的にしゃべるのみで、曹瑛はただ無言だ。しかし、皿の料理はどんどん減っている。

「おかわりもありますから」

 曹瑛は空になった筑前煮の皿をもって立ち上がり、鍋によそいにいった。


「ごちそうさま」

「はい・・・どういたしまして」

 曹瑛は始終無口でどことなく居心地の悪い食卓だったが、この人はこういう人なのだから、と諦めてしまえば何も期待することはない。残さず食べてくれたのは嬉しかった。自分でもこの味は合格点だと思う。

 

「バスルームを使うぞ」

 入ってくるな、ということだろう。

「はい、どうぞ」

 伊織がその間に片付けをしようとキッチンに立つと、流しにつけておいた鍋が綺麗に洗ってある。食器も食洗機に並べられていた。

 意外とマメな男だ。バイトの自分に任せておけば良いのに。

 

 あとは寝てもらうだけ。これで一日が終わりか、と伊織は大きな安堵のため息をついた。

 ベッドはひとつしか無いので、伊織はソファーに寝ることにする。以前勤めていた会社では午前様になるときにスプリングのへたったおんぼろなソファーで仮眠したものだ。このソファーはふかふかで、寝心地が良いに違いない。

 寝室のクローゼットには毛布と枕が余分に用意してあった。取り出してソファーの脇に持ってくる。


 曹瑛はバスルームから出てくると、早速ベランダでマルボロを吹かしにいく。頭にタオルを乗せたまま、白いTシャツに黒のスウェット姿でソファーで足を組み、タブレットを操作し始めた。

「寝るのはそこのベッド使ってください」

 曹瑛にそう言い残してバスルームのドアを開ける。池袋のアパートの風呂はユニットバスで、狭すぎるため膝を折り曲げて入る。湯が節約できるのは御の字だが、江戸時代の土葬かとセルフツッコミをしていた。

 ここの風呂は足を伸ばせる。湯船にゆっくりつかりたい気もしたが、妙な気疲れに早く寝たい気持ちが勝った。シャワーで手早く済ませることにした。


 バスルームから出ると、ソファーに寝転がる曹瑛を見つけた。タブレットを触りながらうたた寝してしまったのだろうか。

「あのう、すみません、このまま寝たら風邪ひきますからベッドへ」

 近づいてみると、額から脂汗を流しながら眉間に深い皺を刻んでいる。もしかして自分の料理が当たったのか、いや、悪夢でも見てうなされているようだ。


 あまりに苦しそうな表情に、とりあえず起こそうとしてやろうと伊織が曹瑛の肩に触れようとした瞬間だった。

「ぐえっ」

 曹瑛はまるで獣のような俊敏さで起き上がったかと思うと、伊織の首を片手で掴んでいた。その長い指は気道と頸動脈を確実に抑えてつけており、息ができない。

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