第三回 賭場
「シゾロの丁」
百目蝋燭の下、進行役である
次郎八の前に、駒札が配られる。今回の勝負は、丁に賭けていたのだ。
「兄さん、今夜は
隣りに腰を下ろしている小太りの男が言った。この男は商人風で、頭髪の半分は白い。先程から負けが続いているが、大福のような顔に焦りの色は全く浮かばない。買っても負けても、にやにやとしている。
恐らく常連の分限者で、手慰みとして博打をしているのだろう。着ている小紋の羽織りと同様に、賭け方も品が良く、この賭場を仕切るやくざたちも、この小太りに気を使っている様子がある。
「たまたまでございますよ。これから負けるかもしれねぇですし」
「それですよ、それ」
と、小太りはまるで前から友人だったかのように、親しみの笑みを浮かべて頷いた。
「何が何でも勝ってやろうと、思っていないからでしょうなぁ」
「それは、お前さんも同じでしょう」
「どうして、そう思いなられるんで?」
「他の連中と顔付きが違げぇんですよ。周りは一発勝ってお大尽になろうかと、目をひん剥いて賽を見つめているというのに、お前さんは勝っても負けてもへらへらしていなさる」
「よう見ていらっしゃる。その眼力があればこそなんでしょうな」
次郎八は軽く笑って返事をすると、小太りは満足そうに頷いた。
この日、
権蔵は駒込周辺の香具師を仕切る元締めであり、堂々たる体躯に見合った
しかし、悪名もやくざには栄誉でもある。権蔵の
その威勢を反映してか、今夜の賭場は大盛況だった。中間部屋だけでなく、建物一棟を借り受けているようだ。他の部屋では同じように盆茣蓙が開かれているし、控えの間では酒も出されている。権蔵と津藩は、それなりの関係を築いているのだろう。
その権蔵の賭場に来たのは、柳本庄九郎がこの賭場に現れると聞いたからだった。
柳本と権蔵の関係はわからない。しかし権蔵の手下の話によると、柳本は大切な客として扱われているようだった。
事実、先程まで柳本も同じ盆茣蓙に座っていて、少し遊んでから奥の部屋に消えた。博打の方は
公儀の看板を背負う旗本が、このような場所で博打に興じているのだ。どうせろくな武士ではない。
(まぁいい。どうせ、柳本は今夜にも死ぬ)
柳本が、次の標的だった。坂田屋万吉と柳本を
一度の
それももう終わる。柳本を始末すれば、半金の四十両が手に入る。それで暫くは働かずに済む。庭師稼業に精励するのもいいが、湯治もいいなと何となく考えている。
席を外していた小男が、次郎八と二つ隣りに座った。ちょうど小太りを挟む格好だった。
小男は、二十半ば。顔が小さくて目が大きい。それでいて毛深いので、まるで猿のようだ。
この小男が、次郎八の相棒・為松だった。為松は、懐に入れていた駒札を置くと、気合を入れるように顔を二度叩いた。
これが合図だった。顔を二度叩く。それが、柳本が外に出たという合図。そして、鼻を一度摘まんで啜った。これは裏口から出たという意味がある。
為松を奥にある控えの間で休憩させ、柳本の動向を注視させていたのである。
(なら、こちらの読み通りか)
柳本は、妙義権現の傍に別荘を持っている。下男を住まわせているだけで久しく使っていないようだが、今日はそこへ戻るのだろう。下屋敷からも近い。
「壺を被ります」
ツボ振りが静かに言うと、中盆の号令で一斉に駒札を賭けはじめた。
次郎八も為松も半に賭けた。小太りも半。八人中、五人が半だ。
「丁方ナイカ、ナイカ、ナイカ丁方」
中盆が数を揃えようとすると、次郎八はすぐに丁へ変えた。
特に考えがあって、半に賭けたわけではなかった。博打は運。考えなしに、その運を楽しむのが博打と思っている。
「駒がそろいました……勝負」
賭場を包む緊張感。皆が固唾を飲む中、次郎八だけは柳本の事を考えていた。壺を見つめながらも、頭の中は柳本をどう始末するかで、忙しなく動いている。
「ニロクの丁」
客たちが、どっと沸いた。勝った者と負けた者。悲喜交々だが、負けたはずの隣りの小太りは、薄ら笑みのままで不思議と悔しそうではない。
「流石だ。兄さん、今日は当たりの日ですよ」
小太りが肘で軽く小突く。
「へへ、そうですかねぇ」
次郎八はそう答えると、積まれた駒札をまとめた。
「もう退散されるんですか?」
「ええ、あっしはこの辺で」
「なるほど。名将は退き時を弁えていると言いますからねぇ。
鷹揚とした喋り方に微かな腹立ちを覚えたが、次郎八は苦笑いを浮かべて席を立った。
駒札を銭に変えようとすると、換金役に渋い顔をされた。大勝ちとは言えないが、勝って終わる事を快く思わないのだろう。
「もう少し遊んでいかれちゃどうです?」
「いえ、十分に遊ばせてもらいやしたんで」
次郎八が断ると、換金役はあからさまな舌打ちと共に、小判二枚と一分金、一朱金を数枚を乱暴に差し出した。
次郎八は刺すような視線を気にせず、駒札の数と金額が間違いないのを確かめると、受け取った中から小判を一枚を、
「ご祝儀でございやす。若い衆で、どうぞ一杯やっておくんなさい」
と、言って返した。
一瞬呆気に取られた換金役だが、すぐに笑顔の花が咲いた。
「へぇ、こいつはとんだお気遣いを。おい、お前ぇら礼を言いやがれ」
方々から感謝の声が飛び、見送りまでついた。勝った時には、幾らか渡すようにしていた。これで、やくざから余計な恨みを買わないで済むのだ。それに、銭の為に博打をしていない次郎八にとっては、別に惜しいものでもない。
勝った時の気遣いは、自分に博打を教えてくれた浪人から教わった事だった。江戸に出てすぐの事で、その浪人は嘉穂屋の用心棒だった。三年前に身体を崩して用心棒を辞め、その半年後に自宅の長屋で血を吐いて死んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
津藩邸下屋敷を、裏口から出た。見送りに出たやくざたちの視界から消えると、次郎八は音も無く駆け出した。
此処から妙義権現傍の別荘までの道順は、頭に叩き込んでいる。襲撃する場所も、前もって決めていた。
すぐに柳本に追いついた。護衛は二人。一人が提灯を持って先導し、背後にもう一人。この二人は剣をそこそこ使うが、最も厄介なのは柳本自身だった。
(柳生新陰流か……)
かの
この男を、まず最初に始末する。それが、この
過去に何度か、剣客と呼ばれる男を相手にした事がある。最初はまともに戦って苦労した。二度目は刀を抜く前に仕留めた。三度目は、刀を抜かせなかった。
今回はどうなるか。考えるだけで、額に汗がにじむ。
(やはり、やりたかないな)
本来なら、坂田屋万吉の殺しで終わっていた
別に殺しが好きなわけではないのだ。闘争も好まない。楽しいと思った事など、一度としてない。それなのに始末屋という稼業を続けているのは、人殺しの自分が堅気の暮らしをしてはいけないと、何となく思っているからだった。
(やくざや盗賊になるつもりはないが、悪党の暮らしは辞めちゃならねぇ)
次郎八は柳本の後を暫く追ったが、こちらに気付く素振りは無い。
襲いたくなる衝動はあった。周囲は町屋だが、既に寝静まっている時分だ。邪魔も入らない。いっそここで、という誘惑に駆られるが、それでは相手の思う壺であろう。剣客相手に、正攻法で立ち合うのは自殺行為である。
次郎八は踵を返すと、先回りするべく入り組んだ
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