第33話 駆け引き

「おかしいな」


 自転車が1人でどこかへ行ってしまうことなんてないと分かっていながらも、エイタは付近をざっと見渡した。


「きっと、マサミさんだ。マサミさんが私たちを逃がさない為に持っていったんだ」


「俺たちを逃がさない為にって。なんで?」


「……なんでかは分かんないけど、きっとそうなの」


 ルリが不穏なことを言うのでエイタもいよいよ不安になってきた。自分の分からないところで良からぬことが起きているのかもしれない。


「ほんとに?」


「うん」


「まあ、ホテルには歩いても戻れない距離じゃないし、とりあえずここから離れよっか。それで、早く話聞かせてよ」


 ルリは何を知っているのか、何を隠しているのか。一刻も早くそれを知りたかった。


「ここではまだ話せない?」


「うん。戻ってからね」


 研究所に向かう山の入り口も見えなくなって、ホテルまでの道の中間で訪ねてみたがルリは教えてくれなかった。頑固なところもある女の子なので帰るまでは教えてくれないだろうなとは分かっていたが。


「やっぱり、誰かにバレないように抜け出すのって楽しいね」


「ええ。今回のはちょっと違うよ。本当にこれで良いのかなって思っちゃう」


「ねえ。このままデートして帰ろうよ」


 ルリのほうから誘ってくるのはこれが初めてだった。しかも明確にデートと言って誘われたのでエイタは状況を忘れて心の中の不安が吹き飛んでしまいそうだった。


「……いや。まずは帰って話聞かせてよ。どこかに行くならその後で」


 エイタは感情を抑制して、自分のやるべきことを貫いた。こういう時に好意を利用しようとしていることをずるいと思ったのだ。


「ねえちょっとだけでいいから付き合って」


「だめ。帰るって言うことで約束して抜け出してきたんでしょ」


「もう」


 柄じゃない言動をしたので、エイタはルリがまだ話したくないと思っていることは分かった。


 ルリは企みを見抜かれてると察したのか、その後は大人しくホテルへ歩いた。


「あー疲れた。ちょっと休憩だね……。私、寝るっ」


 しかし、ホテルに着いて部屋の前まで来た時にルリは不意を突くようにドアを開けて素早く1人だけ中に入った。


「あ、おい」


 するりと自分だけが入れるだけ開けて部屋の中に消えたルリはエイタがドアノブに手を伸ばす前に、ドアを閉めた。オートロックの部屋なので鍵は自動的に締められる。


「ずるいぞルリ。約束が違うじゃん」


「本当に眠いの。ちょっと休憩させて」


 エイタはドアを何度かノックした。声の届き方を聞いている感じではまだルリはすぐそこにいる。


「……ごめんね」


 部屋の奥に離れていく音がする。


「おい待てって」


 そっからも一分間くらいノックしたり読んでみたりしても反応は無かった。諦めたエイタも隣の部屋に戻る。


 たしかに、ご飯を食べた後に運動して、また長距離を歩いてきたので休憩は必要な状態だが、ベッドに寝転んでもエイタは落ち着けなかった。熱を帯びているふくらはぎが勝手にベッドで弾む。


 起き上がったエイタは誰もいない1人の室内を端から端に行ったり来たりした……。どうすればルリから話を聞き出せるか考えながら……。


 とりあえず待つしかないか、という考えにエイタは至ったが、風呂場を見て昨日泣いた気持ちを思い出す。じっとなんてしていられなかった。


「ルリ……聞こえてる?……本当に寝ちゃった?」


 再びルリがいる304号室の扉をノックしてドアの向こうへ声を投げかかる。


「全部は話さなくてもいいからさ。話せることだけ教えてよ」


 部屋から物音は聞こえないし返事は無い……。


「このまま俺のこと無視するんだったら、俺一人でまたあの研究所行くから……」


 そう言った後に耳を澄ますと、少ししたらドアが開いた。ゆっくりと開いたドアが3分の1ほど開くとルリが頭だけ出してエイタの顔を覗き込む。恥ずかしそうな上目遣いだった。


 エイタを無言で招き入れたルリはその後はエイタのほうを見ずにベッドへ歩いて、座った。エイタも何も言わずに後ろを歩いてベッドに座る。


 うつむくルリに自分から何か言おうかとした時に、ルリは顔を上げた。顔を上げたが、ただエイタの目をじっと見つめるだけだった。


 ルリの意図を考えたエイタも黙り、数秒の沈黙が流れる。その後でルリは口を開いた。


「ねえ。キス……しよ」

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