第12話 黒色
「もう大丈夫だよ。私だってあんなの見慣れてるから……」
気づけば、ルリにあの惨状を長く見せまいという思い一心で、ルリの手を引いて河川敷の坂を上りきっていた。
「そうだよね……でも久しぶりだ……」
黒色が見えない場所から橋の下をただじっと見下ろすことしかできなくて、続けて言う言葉も見つからなかった。ルリは片手で本を強く抱えてうつむいている。
「なんというか……心配ないよ。何も見なかったことにしよう」
なんだってあんなものに遭遇しないといけないんだ。エイタもルリの手前なので言葉では格好をつけているが、鳥肌がすぐには収まらず動揺していた。
死の病が体中を犯せば、最後には血だけが残る……真っ黒な血、それだけが。もう何度も見てきたものだが、何度見ても吐き気がする。なぜ死の病にかかったものが全員死んでしまったと思われる今頃になって、生々しく麗しい黒い血が橋の下の壁から地面にかけて付着していたのか分からないが……迷惑なものだ。
「戻ろうか……」
そう言って歩いてきた道の方角へ手を引こうとすると繋いでいた手が離れた。
「ううん。公園まで行こ。私は大丈夫だよ」
「本当に?無理しないで」
ルリは無言で背中を見せて、さっきよりも歩幅を狭めてゆっくりと歩き出した。うつむいたままの後ろ姿はとても大丈夫そうには見えない。
エイタはルリの少し後ろを歩きながら何かに助けを求めて右に左に首を振った。けれど何もなくて……空を見上げる。
「しかしまあ今日はいい天気だなあ。遠くの山も向こうのビルも輝いてるように見えるね。あ!あの雲ドーナツの形に見える」
「……どれ?」
「うそだよ。今日は雲なんて1つも無かったじゃん。ばっかだな。あはははは……あ……」
困ったエイタは空を指差しておどけてみたが、顔を上げてこちらを見たルリが目を細めて下唇を持ち上げたのだから作り笑いが途切れてしまった。こういうことをするタイミングじゃなかったかと後悔する。
「あれ?あそこにヘリコプターが!珍しいなあ」
しかしルリは突然珍しいものを見つけた風に目を大きくしてエイタの後方の空を指差した。
「嘘でしょ。音も聞こえないし」
エイタは振り向いてあげずに答える。それでもルリは指を伸ばし続けた。
「え!こんなところにクマが!」
「あるわけないじゃんそんなこと」
言葉で制することをあきらめたルリが持っていた本を頭の上に振り上げて立ち向かってきた。振り下ろされた本を右に一歩移動してひらりとかわす。
「もう。バカにしないで!」
振り下ろした本をそのまま今度は横に振って攻撃しようとしているが、痛くなさそうなので当たることにした。しかし……攻撃は一発で終わることがなくそのまま何発も打ち込まれた……。
「痛い痛い。叩きすぎだろ」
「あはは。だって止めないんだもん。私本当に大丈夫だよ」
「そうみたいだね」
また笑顔になってくれて良かった。さっき見たことは自分でも言った通り忘れよう。住居の中や病院に行けばあんなものいくらでもあるんだ、今さら怖がる必要はない。そう自分に言い聞かせた。
「ヨーロッパって感じだね」
「前からこの公園素敵だなって思ってたんだ」
若い黄緑色の芝が敷かれた公園のベンチに2人で腰を掛ける。
「前っていうのは世界がこうなるより前?」
「そう。もっと先に行くとサッカーのグラウンドがこの河川敷にあって、そこでよく試合してたんだけど、来るたびにこのやたら高い電灯を珍しいと思ってさ」
「たしかに面白い形だね」
公園の中央にでかでかと立つ電灯は明らかに不必要なほど高く、先が輪っかになっていてその中央に3つ明かりが灯るようになっている。現代美術と言えば聞こえは良いがヘンテコな形だった。
「なあ、下の名前ルリだよね?ルリって呼んでもいいかな?」
「いいよ」
「俺のことはエイタって呼んでいいから」
「うん。そうする」
「ルリはさ……今のこの世界をどう思う?」
「うーん……。難しい質問だね……」
いきなり踏み込みすぎだろうか、でも聞いてみたかったことだ。期せずして見た黒色が作った雰囲気が背中を押して言葉が出た。ルリは公民館で見かけた時よくしている斜め下に目線を向けた切ない表情になって口を開く。
「正直に言うと世界がこうなってしまったことはそんなに悲しくない。親が死んだことも、兄妹が死んだこともたぶん他の子達より辛くないの……こんなこと言ったら私のこと嫌いになっちゃうかな」
「そんなことないよ。俺もたぶん切り替えは早いほうだったから……さっきあの黒色を見た時はちょっと思い出しちゃったけど、普段親のことを思い出して悲しくなることはないかな。だからむしろまだ悲しんでなくて良かったよ。俺と一緒だ」
「でもね今の……あの公民館の生活は嫌いだな。なんだか窮屈で退屈」
「だよな!俺もそうなんだ、今の生活には耐えられない」
聞きたかった言葉がルリの口から聞けて思わず声が大きくなってしまった。
「生きている感じがしないんだ。毎日ダラダラしているだけ。班に分かれて役割をこなすのも学校みたいで嫌だ」
「分かる!食べる時間を決められてるのが一番いや。私は好きな時間に食べたいものだけ食べたいのに」
ルリも声が大きくなった。
「でもナナミちゃんがね、みんなと一緒に食べなさいってうるさくって」
「ナナミさんのこと嫌いなの?」
「別に嫌いじゃないけどおせっかいというか……」
「ハハハハ。なんだか似てるな。俺も今いつも一緒にいる先輩のおせっかいが嫌だ」
自分を見ているようでおかしくなった。自分の中でショウゴのおせっかいは深刻な悩みだが、他の人が同じようなことで悩んでいるのは子供っぽくて面白い。
「分かってると思うけど……私の髪がこんな色になっちゃったから誰も近寄ってこなくなったの。そんな中で優しくしてくれるから感謝してるんだけどすごく子供扱いなんだ」
「そういえば何で金髪になったの?」
「それはえっと…………秘密……というか……分からないんだ」
秘密?原因は分かっているが何か言いたいことがあるんだろうか。でも言いたくないことを無理やり聞こうと思わないし、まだ聞ける仲じゃない。とにかく――
「俺はその髪好きだな。綺麗だ。君の髪色を怖がっている奴もいるけど何でそんなに怖がるのか分からない」
「……ありがと。今日も誘ってくれてありがとね。私、久しぶりに楽しい……またエイタは私を笑顔にしてくれた」
「そ、そんな……俺が一緒にいたいから誘ったんだよ……」
2人して互いの目が見れず、電灯のほうを見る形になってしまった。風に揺れる葉っぱの音だけが鮮明に聞こえる。
「明日も良かったらまたどっか行こうよ」
「うん。行きたい」
「明日は街のほうへ行こうか。大きな本屋もあるし、俺は映画館に行きたいな。映画の流し方調べて知ってるんだ。ルリはどこか行きたいところある?」
「私は服見たいな」
服か……女の子はやっぱり長い時間服を見て歩くのが好きなのだろうか。エイタは本だけでなくファッションというものにも興味がなかった。
「とりあえず目的地はショッピングモールだな。じゃあ、とりあえず今日はもう帰ろうか。そろそろ帰らないと、俺公民館で寝てることになってんだ」
「そうだね。私もまたナナミちゃんにどこ行ってたのって言われちゃう」
ベンチから立ち上がり歩き出す。さっきよりも2人の距離が近くなっている気がする。明日、もう一歩距離が縮まれば――2人で公民館を去ってどこかへ行こうという前から考えていた希望を伝えよう。
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