第一章 金色の感染病

第1話 金色

 外に出ると今日も雪が降っていた。傘を差すほどではない雪が、しんしんと。


 最近、雪が頻繁に降るようになった。気温がそれほど低いわけではないのに。


 9月になったばかりの今日は本来まだ夏と呼べる季節のはずであるが、長袖のシャツと上着を着ていないと肌寒い。吐く息も早朝の時間帯には白く姿を変えた。


 灰色の雲がほぼ毎日のように空を支配し、何重にも重ねた体で太陽を隠して寒さに拍車をかけている。それはまるで真冬の空のように――世界がどこか壊れてしまっているのだ。


 エイタは朝ご飯を食べ終えると一人で外に出て、雪が降る町の住宅街を歩いていた。目的地は特に無くて、食後の運動がてら軽く20分ほど散歩でもしようかと思い出掛けた。


 誰もいない大通りを1人で歩くと、アスファルトに響き渡る自分の足音が心地よい。隣に並ぶ車も遠くの山の上に見える観覧車も動かない、ゆらゆら降り続く雪が世界を凍りつかせて時を止めているかのように感じられる……。


 静かな景色の中を歩いていると、頭の中が透き通ってきて考え事に集中できた。けれど、この先の生き方とある1人の女の子についての悩みはいくら考えても答えがでない。


 ふと、振り返り見上げる建物は住宅街の中にひと際高く、大きくそびえ立つ――それはエイタが現在住んでいる場所である公民館。


 世界から大人が消えた後に、残った他の子供達と共同生活を始めた。住む場所に選ばれたのが公民館。4階建ての大型なものでシャワールームやベッドルームも備わっており、かつては地域の住民の教育文化施設としてだけではなく、外部の教育団体の宿泊施設としても利用されていた。


 町を二周ほど歩いて、暖まった体が心地よく感じられてくるとエイタは帰路について公民館へ戻った。自動ドアを抜ければ真っ直ぐに階段へ向かって進む――。


 建てられてからまだ3年ほどの公民館は外観も内装も新品同様、白と茶色でデザインされたエントランスは蛍光灯の光で外よりも明るく、床のタイルが鏡のように光を反射する。


 受付だった場所の横にはどこから拾ってきたのか分からない天井に届きそうな高さのヤシの木みたいな観葉植物が目を引いていて、一階の奥にあるカフェスペースからは食器を片付ける音が1日の始まりを作り上げていた。


 エイタは髪を揉みほぐすように触りながら階段を一歩一歩、一段ずつ上る。外から帰ってきたことだし、途中でトイレによって手を洗うことに決めると今度は一段飛ばしに切り替えた。


 3階まで登ると廊下のほうから声が聞こえてきたのでエイタは足を止めた……。鼻水をすする音と一緒に聞こえてきたのは女の子がすすり泣く声だった。


 耳を澄ますと別の声も混じっていて廊下と階段の境界に立って覗いてみれば、座り込んで泣く女の子と横で元気づけるように頭を撫でている女の子がいた。


 現実を受け入れられず、今もなお堪えきれなくなってしまう子はよく見る。多くの命が消える中、生き残った子供たちにとって未来は不透明だった。


 初めてこの公民館に来た日なんてもう全方向から泣き声が聞こえていた。現実を嘆き悲しみ、苦しんでいた。泣き声、呻き声、見たくないものや聞きたくないことに囲まれる生活。たまに誰かが死んで、公民館全体が暗くなった。


 そんな状態は随分改善されてきたが、まだまだ傷は癒えていない――。エイタは寒くもないのに暖まっていたはずの体から鳥肌が立った。下唇を噛むとポケットに手を突っ込んで再び歩き始める。


「おいエイタっ。どこ行ってたんだ?」


 下の階から階段を走ってくる音がして、振り返るとすぐに廊下の奥まで響くような大きさで声を掛けられる。


「ちょっと散歩に」


「俺に何か言ってから行けよ。探してたんだぞ」


 近づいてきて背中を軽く叩いてくる男はエイタの二つ年上のショウゴ。短髪で13歳のエイタと変わらない背丈のさわやかな少年はニカっと笑っている。


「おい早く昨日やったゲームの続きやろうぜ。ほら行くぞ」


「あ、俺トイレ寄ってから行きます」


「分かった。早く来いよ」


 ショウゴはエイタを追い抜いて、また階段を走って上っていく。エイタにとって昔からよく知っている先輩だが相変わらず元気が良い。


 トイレに寄ったエイタは外から帰ってきたのでハンドソープを使い念入りに手を洗った後、各部屋から話し声が微かに聞こえる4階の廊下を窓越しに見える景色を遠目で眺めながら進んだ。


 騒がしく声が廊下に漏れているドアに辿り着くと、入る前にため息を一つ吐き出してからドアを開ける。


「うわー!おいそのアイテム俺のだろ!」


「まだまでですねぇ」


 暖房の効いた明るい部屋の中ではショウゴがタイシとゲームで白熱していた。2人とも一瞬こちらを確認してまた画面に集中する。


「くっそーまた負ける」


 ショウゴが必死にコントローラーの上で指を動かしている。どうやらタイシが優勢らしい。


「エイちゃんおかえり」


「おう」


 ショウゴの隣でコントローラーを握る少年は同い年のタイシ。住んでいた家がすぐ近くだったので幼稚園児の時からのエイタの親友だ。


 2人は笑っていて、たしかにこの部屋に来るとエイタも楽しいことで頭を満たせる。一般家庭にはまずないであろうサイズのテレビに最新型のゲーム機とソフトが揃っていて家具も家電もマンガもすべてが不自由ない。


 エイタ、ショウゴ、タイシ、3人が公民館の一室を好きにカスタマイズした理想的な遊び部屋だ。


 机の上にはショウゴが今日3人でやると決めたゲームソフトと、タイシが次に物品を調達するときにこの部屋に必要なものをまとめたメモが置いてあった。メモなんて取らずに手あたり次第持ってくれば良いと思うが、昔からの親友のこういうマメなところは度々感心させられる。


 喉が渇いていたのでショウゴとタイシの後ろを通って冷蔵庫まで行くと――「俺にもなんか飲み物にくれ」と、ショウゴが前傾姿勢でコントローラーと一緒に体を動かしながら言ってきた。


「タイちゃんは何かいる?」


「俺も飲み物――ショウゴくんと同じのでいい」


 エイタは冷蔵庫を開けると、残り少なくなっていたスポーツドリンクを見つけたのでラッパ飲みで飲み干した後、紙コップ3つにオレンジジュースを注いで机の上に持っていき、いつも自分の席である赤い座イスに座った。


「ショウゴくんきつそうですね」


 エイタがそう言った瞬間に、ショウゴがいつも使うキャラが倒された。


「おいエイタのせいで負けたじゃん」


「いや俺のせいじゃないでしょ」


 3人は屈託のない笑顔で顔を合わせて笑う。


「じゃあ、今日のメインイベントやるか。昨日の続き」


 ショウゴがそう言って、机の上のゲームソフトの箱を開け、ゲーム機のほうへ向かうと「エイタ!」と呼ばれコントローラーが飛んできた。急だったのでエイタは体がのけぞり両手で受け取る。


 タイシのほうを見ると、座イスの背もたれに体を預けてオレンジジュースを飲んでいたが、エイタがタイシを見ていることに気づいて目が合い、唇をすぼめると、子供の頃から全然変わらない童顔でやれやれといったようすで笑ってくれた――。



 気づけば13時が過ぎていてゲームが区切りの良いところまで終わった。3時間ほど座りっぱなしだったので背もたれから体を開放して背伸びをした。ショウゴは足を伸ばして座イスに深く座り、タイシは机に伏している。


「昼飯どうするー?」


「冷凍食品でいいんじゃないですか」


 そのままのだらけた体制で2人が会話する。冷凍食品でも良かったがエイタは外に出たかった。電子レンジも最新機種のものがこの部屋にある。


「タイちゃん今日は班で何かないの?」


「今日は何もない」


 この公民館で暮らす人間は班に分けれていてエイタとショウゴは同じ班だがタイシは違った。1班10人前後で7つある班には、曜日ごとに基本的な家事が義務として割り当てられている。


 そういえば昨日、タイシが夕飯を作るときにいなかったのを思い出した。夕飯を作った次の日は必ずやるべき仕事はない。


 立ち上がり冷凍庫の中を確認するフリをする。冷凍庫の中身はだいたい把握していていて、何度食べても飽きない自分の好物のたらこスパゲッティがあることも知っていた。


「俺はあんまり食べたいのないから下の共用の冷蔵庫漁ってくるわ」


 2人がこちらを見ていないのは分かっていても、エイタはどうしても嘘をつくときは人のほうを見れない。


「んー」


 ショウゴが口を閉じたまま返事をする。放っておいたら2人ともこのまま寝てしまいそうだ。


 1人で歩く口実を作れたエイタは2人に刺激を与えないようにさっさと部屋の出口に向かった。開ける音が室内や廊下に響かないようにそっとドアを開ける。


 その時だった。エイタが廊下へ出ると同時に階段の近くのドアが開く――。


 彼女が廊下に出てきた……。


 いつ見ても魅了される。金色のショートヘアに白い肌。エイタよりも一回りだけ小さい背丈に人形のような人という言葉のお手本といえる妖艶な容姿。


 エイタの心を悩ませる金色の彼女が廊下に出てきた……。

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