第3話 2020年8月24日 鳥葬
そうして日本国人のウルトラワクチンの接種は全保健機関で8月15日迄に91%に達し、厚労省は一定の成果と全関係者を労った。
ただ地獄はそこから始まる。ウルトラワクチンを接種した日本国人が押し並べたかのように急性腎盂炎を患い、三日と待たずに死に至った。その数は右肩上がりに300万人に達し、その歪な波グラフからは最終的には1000万人の日本国人が死亡するとの、WHOの見解が発表された。ウルトラワクチンを接種した以上、死或いは辛うじての生を待つのみだと。肝心の日本国政府は死者多数で無政府状態に陥り、日本に手を差し伸べたのはあのアメリカ合衆国ではなく、国連本部の大トリが来てしまった。
汗で煙る完全防護服の俺は、東海快速新聞をはじめとする各メディアの合同取材として、ただ感染症を示す溢れかえる白い遺体袋が運び込まれた東京湾岸の隔離区域御台場にやって来た。
見立ては急性腎盂炎による急死だが、未だ新型コロノウイルス感染が収束していないので、或いは新型コロノウイルスの変異との見方が世界中のメディアで示されてのこの安置である。
遺体の安置場所となったのは東京オリンピックで賑わう筈であった隔離区域御台場。唯一のトラディショナルセンターとして解放されたのが、月球儀のモニュメントを組み込んだムーンメディアスタジオビルである。徴収されたビルは昔の面影など全くなく、幾つにも緊急工事で防壁された完全隔離棟のそれになっていた。
その内部、かっての公開劇場となっていた場所で、国連との質疑応答は熱を帯びるも、どうにもの収束は見えない不毛な会見に終始した。
そして会見は終了し、俺は瞳のやたら大きな若き国連本部衛生司政官榊志摩に声を掛けられ衛生司政官室に招かれる。
衛生司政官室に流れる音楽は「The End · The Doors」。榊衛生司政官は俺から出る言葉を待っている。この最上階の衛生司政官室から眺める延々と既に300万はあるであろう遺体袋の連なり、黒く渦巻くは湾岸部一帯に飛び交い数えきれぬ蠅の大コロニー、そして世界中から飛来したかの野鳥が集う。この終末を切り取った風景にどうにかしてしまった輩なら賛美を惜しまないことだろう、これが地獄門かと。
榊志摩のプロフィールは国連本部極東衛生司政官就任と共に目を通した。元東京帝北大学医学博士にして国連のPKOに同行しては適切な治世回復に才能を発揮したとの事。衛生司政官を任命されるは至極妥当だろう。
榊志摩は然もありなんと言った。
「黒川さん、私はあなたに告発文を送った。あなたなら、この惨状を回避出来た救世主だと思ったのに本当に残念です」
榊志摩は理路整然にも言った。新型コロノウイルスは地球上の動物を死滅させるウイルスで、中でも人類の助かる術は無いと。
そう新型コロノウイルスは細胞から発芽し細胞そのものを分解し再結合しなければ、纏わりつくスパイクを剥がした位では除去を出来ない。
それなら何故にウルトラワクチンは開発されたのだと問うと。早急な治療薬が無い以上、新型コロノウイルスの拡散速度と適切な変異容態を逆手に取り、安全性の高いウイルスに高じなければならないとふざけきった答えだった。
その為に全日本国民を犠牲にしたのかと俺は恫喝した。だが榊志摩は淡々と冷静に答えた。国連本部でもその変異検体は何処にすべきかの会議がオールラウンドで議論されたが、労働を忌み嫌い、考える事も放棄し、一人一人のイノベーションさえも唾棄した日本こそが妥当では無いか。ここでの東アジア各国の対案は何れも未来があるで却下されたそうだ。
榊志摩は切に訴えた。まだ日本では日本国民が必死に知性を紡ぎ出しては何かの可能性がある筈だと、ヴァチカンに請願してはアドバイスを得たそうだ。それが俺への告発文発送になる。だが俺は社説にすら載せず、その一縷の望みを断ち切った事になる。榊志摩は俺の言葉を待ちに待って黙示録に載せるつもりだろう。
見晴らしの良い窓から見える光景は、野鳥がただ膨大な遺体袋を啄ばみ鳥葬のそれかだ。これにも意味がある。新型コロノウイルスは全動物に感染する。その食物連鎖の営みを以って、一世紀は掛からない常態化を目指すらしい。
防護服を通してでも、遺体袋の屍肉から醸し出されるラズベリー臭で当面食欲は出そうに無い。だが俺が後世に残る言霊を吐かずに死ぬことは許される筈も無い。
衛生司政官室に佇む室内犬のチワワが嬉しそうに牛の爪を噛みはしゃぐ。あの送られてきた写真はお前だったのかと。だがなお前が飼われているのは、この先も変異して行く新型コロノウイルス検知器の役目もあるんだぞ。
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