第1章 ヤンキー百合 5

 お姉さまの住む部屋の前に立つ。他の部屋と造りに違いはないようだ、政治家の娘と謂えども優遇しない姿勢には賛同するがお姉さまほどの人物が私程度の人物と全く同等の部屋で暮らしていることに妙な恐縮がある。部屋は同じだが中身の備品や小物は信じ難いほど高級品で固められていて欲しいと望むのは権威にひれ伏したい平民根性ではなく圧倒的美は嘆息せざるを得ないほどに美に純粋であるべきだという願いなのだろう。ここに王子様キャラの貴代子様も暮らしてロイヤルな雰囲気が英国を覆う冬の霧のように横溢していると思うと、覗きたいような、浄土として未開拓で保存しておきたいような葛藤がある。

 千恵が「じゃ、作戦通りに、ね」と目配せして、ノックもなしにいきなりドアを開けた。中に入って開口一番が「お姉さま! 貴代子様! ごきげんよう!」。自分の家でもノックくらいはするでしょうと私は慌てふためき「失礼致します!」と二人分の謝罪を入れ「あの今お時間いただけますでしょうか」と千恵越しに申し開きをしてすぐに「きゃああああああ!」と殺人事件第一発見者の如く叫んだ。

 ベッドに寝た貴代子様に圧し掛かるお姉さまの図。

「ま、まさか、そんなまさかのそのまさか」身の震えは慄きなのか武者震いなのか。「お姉さまが、純粋培養王女様が王子様キャラの貴代子様を押し倒しているですってぇ?! まさかのリバですのぉ?! その発想はなかったわ、でも、実はイケイケで床上手のお姉さまに翻弄される貴代子様! いつもの毅然とした表情がとろり蕩けてしまって、こんな顔他の子には絶対見せられないわね、うふふ、次はどうして欲しいの? 言いなさい……そんな、そんなはしたないこと言えないわ。するとお姉さまは嗜虐的に微笑むの、私の前ではそんな言葉遣いをするのね、甘えん坊さん――」

 何者かが腕を取って背に回し捻り上げて「いたたたた!」その痛みにようやく正気が戻る。腕をねじ上げた千恵が「あなた馬鹿なの! 勘付かれたらアウトなのに自ら手札を晒してどうするの!」と耳に囁く。「分かった、分かったから」呻くと千恵が腕を離し、あはは、と誤魔化す。「お姉さま方は、何を?」

「何って」お姉さまは貴代子様から離れ、指と指に挟んだ透明の平べったい容器を見せる。「貴代子に目薬を差してあげていたのよ」貴代子は自分で上手に差せないのよ、とおかしそうに微笑む。「それで、何か用があるのよね?」スリッパを履いて立ち上がる姿はモデルのように均整の取れた体形で醸し出す雰囲気もアフタヌーンティーを啜る貴族のように高雅だ。ように、ではなく実際に貴族階級なのだが。

 千恵が私の腋を肘で小突く。「あ」と私は発声して、段取りを頭の中でダイジェスト映像のようにざっと確認する。

 ダブル・アポイントメント・ワン・オン・ワン・きつつき作戦。バスケのワン・オン・ワンのように一対一に持ち込むが吉。千恵が貴代子様を私たちの部屋に呼び込み、フリーになったお姉さまと私が荒木との今後を話す。部屋に飛び込んだ段階で相談を持ち掛けると同じ部屋で対処される危険性があるのでお風呂上がりの自由時間に別々に指導していただけるよう今はダブルでアポを取る。あと三十分ほどで晩御飯という時間的制約を考えると夜の自由時間に話を切り出すほうがベターだ、先に予約を入れれば他寮生から相談が来たとしても自分たちの相談を優先してもらえるだろう。「パーフェクト、ではなくって?」千恵がツインテの毛先を払った。「ダブルでアポイントメントを取る。そして夜にワン・オン・ワンに持ち込む。そこまでは分かったけど、きつつきって何?」「ふふふ」待っていたかのように人差し指で私を指す。「四度目の川中島の合戦、知略の軍師山本勘助が仕掛けた作戦よ。私が啄木鳥として貴代子様をお姉さまの部屋から追い払うのだわ!」教養溢れちゃったかしらん、と満足げ。基本面倒臭がり屋の百合神様が歴史改変していないことはネット検索で確認済み、よって正史に順ずるならばその作戦は上杉軍に看破されて失敗、山本勘助はまるで責を取ったように討ち死にするのである。と頭の中で私はナレーションした。

「お姉さま、実は、相談事がありまして……」ドア元で指示を待つ私の気遣いなど不要と言いたげに千恵は「貴代子様!」ずんずん奥へ進みベッドから身を起こした貴代子様に話しかける。

「あなたも、気軽に入って来ていいのよ」にこやかに手招きするお姉さま。「こちらへいらっしゃい」

 王宮での舞踏会に招待されたシンデレラの義姉たちの興奮を身の内に無理に押し込めて歩いた結果モデルウォークになっていた。自意識の葛藤が妙な形で出ている私にお姉さまはくすくす笑う。そんなに鯱張らなくていいのよ。華やかでいながら故郷に帰省したような安心安堵を覚える笑顔だった。

 監督生として相談をよく受けるのだろう、部屋の中に対話用と思しき小さなやや低い木製の丸机が置かれそれを挟むように木製の椅子が二脚設置されている。西欧のアンティーク家具にありがちな洗練と素朴さを綯い交ぜにした椅子に案内されて私は腰を下ろした。下ろす直前に盗み見た千恵は貴代子様とベッドに横並びになり楽しそうに会話している。それが普通なのか特別なのか分からない。

「最低限の敬意は必要だけれど、私も貴代子もそこまで礼儀作法に五月蠅いほうではないわ」微笑みながらお姉さまが向かいに座る。私が千恵と貴代子様の慣れ合いを盗み見たのに気づいての言及だ、聡明という千恵の弁に違わず感度は相当に高い、簡単に情報を表に出してもだめだが警戒しすぎても無用の不信を招く、変に考えすぎずにごく自然に野生のゴリラが人間に向ける弛緩に紛れた緊張で行こう。

「それで、何の相談に来たのかしら?」

 ラヴについてです。でも言えない。まるで恋愛ソングのフレーズみたいだ。

「それが、晩御飯の時間も近いですし、話すと長くなる話なので、できるなら夜の、お風呂の後の自由時間に相談させていただけないかと思いまして。その、予約と言いますか、夜の自由時間に話を聞いていただけないかとアポイントメントを取りに来ました」

「長くなるのね?」言葉とは裏腹にお姉さまは嬉しそうな、鹿煎餅を構えていたら鹿が果たして寄って来てくれた時のような笑みを見せる。「いいわ」と頷く。「食事を終えたらすぐにお風呂に入って、部屋で待っているわ。そうね、19時半には応対できると思うわ」

「ありがとうございます」では19時半頃、もう一度部屋に伺います。お辞儀をする。

 これで用件は済んでしまった。僅かなやり取りに比してずっしりと腰かけてしまった齟齬に尻を上げづらいが貴代子様が同室に滞在している以上手の内は明かせないのだから喋ることもなし、作戦目標も達成したのだし潮時だ。千恵はいったい何を長々話しているのだろう。

「因みに」お姉さまが打ち上げ花火が上がるであろう空を見る目で問う。「相談内容は学校生活のことかしら? それとも勉学の躓きかしら?」

「えっと」少し思案する。「学校生活絡み、です」ピントを暈す。

 お姉さまはにっこり笑い、「高校からだもの、分からないことは多いわよね。大丈夫よ、私がきちんとサポートするわ」お姉さまだもの、と言った。

 お姉さまにお暇を告げ席を立つと、貴代子様と談笑していた千恵も「それでは貴代子様、お部屋でお待ちしております」とベッドから立ち上がる。退室する際に私は深々お辞儀をし、千恵は小さくお辞儀して友達が別れるみたいに手を振った。お姉さまと貴代子様も振り返した。

 廊下に出て間もなくささめと鉢合わせた。うわっ、と身体が言っている。無視するかと思いきやすれ違い様に囁いてきた。「ドアノブをきちんと除菌ティッシュで拭かなければならないわね」

「はあ?」と千恵が煽りに反応して振り返る。

「お姉さまに相談事?」と私は尋ねた。

 ふん、と、鼻を鳴らす音は意外に遠くまで聞こえるのだと知る。「わたくし、先日お姉さまにお貸ししたハンケチーフを戴きに参っただけですわ」

 って言いながら部屋にだらだら入り浸るくせに、と千恵が悪態をつく。「ハンカチ?」と私は訊いた。

「そうよ」ささめが自慢の巻き毛を払って得意げに語る。「あなた、花咲さんでしたかしら? あなたが寮に初めていらした日に、ハンカチを紛失して御手洗いで困っていらしたお姉さまにお貸ししましたの。お姉さまは完璧なようで抜けていらっしゃる部分もあって、時々ハンカチをお忘れになって御手洗いで往生なさるの。その度にわたくしがハンカチを貸しに赴くのよ」お姉さまとの特別な関係を誇りたいらしい。今にもおーほっほと笑い出しそうな得意満面。

「なるほど。今度お姉さまが現れないと思ったらトイレにハンカチを持って行けばいいわけね?」

 しまった、とささめが顔を歪める。これで私もその特別の栄誉にアクセスするチャンスを得た。ささめの優位は崩れた。

「あなた」ささめが敵意を突き刺してくる。「まるでスパイのように情報を引き出すのね。あなたも国際的に暗躍してらっしゃるのかしら?」

 学校側の諜報機関でもある広報部に所属している負い目にどきりとするがそれはおくびにも出さない。どうせ活動する気もないのだし。「ご想像にお任せするけど、ドアノブは念入りに拭いたほうがいいかも。指紋を取られたくないなら、ね」

 冗談を冗談で切り返されて、ささめはぐぬぬ、と奥歯を噛み、ふん、と巻き毛を翻してドアをノックすると「お姉さまぁ」と寒気がするほどの媚びた声で部屋へ入った。千恵があっかんべえをする。「嫌いなの?」と訊くと、「嫌い」と断言した。「どっちが先に仕掛けたの?」と問うと「あいつに決まってるじゃない!」と息巻き経緯を長々語る。要約すると千恵が平民出身だと知ったささめが見下した態度を取ったから。予想通りだった。

 部屋に戻り千恵は教科書を全種類机上にセットした。貴代子様と何を話してたの?と訊くと、アポイントメントの話だけど、と千恵は質問の意図が分からない様子で首を傾げ、他に何か話すことある?と付け加えた。仲、いいんだねと私が言うとふふんと鼻を鳴らしてウインクしてみせる。貴代子様とのワン・オン・ワンは任せて大丈夫そうだ。

 間もなく晩御飯となり、食後すぐに共同浴場へ向かう。お姉さまと貴代子様も入浴していたが話しかけずに千恵と過ごした。そして。

 午後七時半丁度。ドアをノックして返事を待つと数瞬あってドアが開いた。お姉さまだ。

「いらっしゃい」微笑む。「花咲さんは律儀ね。他の子はノックしたらすぐ部屋に踏み込んで来るわ」

「せめて返事の聞こえるまでは入室しないのがマナーだと思いまして」

「本当に律儀なのね」教育のおかげかしら、と小さく頷く。「けれど、入って来てくれたほうが私としては都合が良いの。ドアの向こう側に届くような大声は、はしたないと禁じられて生きてきたのであまり声は張れないのよ。ノックされる度にドア元まで歩くのも億劫だわ」

「分かりました。今度からゆっくり入室します」千恵が許可を待たずにドアを開けていたのも一分あるらしい。ノックくらいはしたほうがいいと思うが。

 お姉さまに導かれるようにしてベッドと学習机の間に設置された相談用の小さな円卓と椅子に移動する。貴代子様はいない。私が部屋を出る少し前に私たちの部屋に現れ、爽やかに挨拶すると千恵とベッドに腰掛けて雑談を始めた。間がもたなくなったら全教科フルコースの特訓へ移行する手はずだ。私が帰還するまで千恵は学習し続け、時々かまととのように分かっているのに分かんなーいとくねくねして再教育を請う。「一時間は稼いでみせるわ」演劇部として腕の見せ所よ、と胸を叩いていた。因みに、先輩たちが役を占有する演劇部内で小道具の不遇をかこっているが本来は役者志望なのだという。

 お姉さまが椅子に座るのを待ってから私は対面の椅子に腰掛ける。座面のクッションの柔らかさに緩みそうな背を背もたれの木の硬さで真っ直ぐに直す。

「それで、相談事は、何かしら?」少し傾けた首にお姉さまの髪が流れる。全き黒髪。

「あの、私の言うことがおかしいと思われたのであればその時点で止めていただきたいのですが」荒木の個人情報保護のためを掲げながら真実は自分の自尊心を粉々に打ち砕かれたくないための前置きのようにも聞こえる。脈がないのなら早めに切り上げて身を守りたい、というような。「内容は、学校生活と言いましたけど……ずばり、恋愛についてです」

 お姉さまは無言で私を見つめ、指先と指先を絡め合った。そこで動きが止まる。緊張、けれど否定ではない。私は内心で大きく息を吐き、玉ねぎの皮を一枚一枚剥いで核心部を裸にするように説明した。

「それで、必殺技を三種授けたのですが、全部空振りで。告白は告白に至る前段階で失敗したわけですけど、荒木さんは私を責めずに、まるで思いが通じないのが当たり前というような割り切った笑顔で、やっぱりだめだったじゃんって。私は気が動転してた面もあって、それに何も返せずに別れてしまいました。それが現状なのですけれど、あの時何を言えばよかったのか、それと、これからどう関わればよいのかも分からなくて」

 そう、とお姉さまは静かに頷いた。妙な間があって、私は説明し直すか弁明をすべきかあるいはまるで違う何かを求められているのか分からず手詰まりに固まるしかなかった。

「残念だけれど」脳内シミュレーションで思い描いた中で最悪の言葉が出てきて私の身は丸まるアルマジロの如く硬く冷えて防御に入った。「私が示せる正しい道はないわね、正直に言ってしまえば」

「そう、ですか……」下唇を瞬間的に噛み目線が下がってしまう。

「酷薄だけれど、あの時何を言えばよかったのかという問いには、あまり意味がないわ。あの時はもう過ぎて終わってしまったのだから」正論すぎてぐうの音も出ない。「次の設問、これからどう関わればよいか、だけれど」お姉さまの声音は冷たいわけではないが同情めいた温もりもない、淡々とした説諭か。「それは、私ではなくてあなたが答えを出さなければならない問い、ではなくて? あなたはこれから荒木さんとどう関わりたいのかしら?」

「それは……きちんと謝ろうと思います。許してくれるかは分からないですけど」案外さらっと許してくれるかもしれない。初めから諦めていたのだから。どうせ想いは胸中に秘して終わらせる予定だったのだから。

「荒木さんが許してくれたら、それでお終いでいいのね?」

「……はい。……そうですね、許してくれるかは分からないですけど」

 結論は出た。透明な気体だった答えが結晶化して固体として眼前に現れた。私は顔を上げた。

「そもそもなぜ荒木さんに告白させたのかしら?」

 お姉さまのパンチは全く軌道が見えなくて、不意打ちで衝撃が脳を揺らす。殴られた側が何が起きたか把握するのに数瞬を要するように、私はお姉さまの問いの意味をゆっくりと解く。

 なぜ荒木に告白させたのか。そうすべきだと思ったから。彼女が白洲を好きだと見抜いて、その思いを結実させたかったから。百合の花を咲かせたかった。百合専門の花屋として。享楽という下衆の腹もある。でも。私は。百合を応援したかったのではなかったか。少女たちの思いに嘘がないのなら、彼女たちが内に秘めた蕾を開いてあげたいと願ったのではなかったのか。荒木の百合を、蕾のまま放置するのが私の取るべき道なのか。

「片思いで終わって欲しくなかったからです」予め原稿を熟読したかのように、淀みなく言葉が出てくる。「だから私は彼女に告白させました。それは失敗に終わりましたけど、幸い告白は告白未遂に終わりました、完全に拒絶されたわけではありません。だからまだチャンスがあります。私は、荒木さんの思いが叶って欲しいので、これからも彼女の恋路を応援したいです」

「というあなたの思いを受け入れるか否かは荒木さん次第だわ」お姉さまは飼い主の手をすり抜けて走り出そうとした犬を柵で通せんぼする。私の思いは立ち止まる。

「それは、その通りだと思います」一度視線を落として、もう一度お姉さまを見る。「起きたことに対してはきちんと謝罪します。その上で、もう一度私にチャンスをくれないか頼みます。だめなら再度謝罪して、きっぱり諦めます」

 そう、とお姉さまは頷く。では、と切り出す。「荒木さんが再びあなたを頼った時のために、世間一般での正攻法を教えておくわ。私も恋愛に関しては無知なのだけれど、係累や父母の友人たちの体験談や極端な例を排したフィクションを基に、押さえるべきポイントをいくつか挙げるわね」

 お姉さまが語る世間一般の正攻法はなるほど特段難解な手法ではなくむしろありふれた、私がフィクションで学んだ攻略法の基礎と同じだった。誇張された部分を鵜呑みにしたから私は失敗したのであって、恋愛理論そのものが間違っていたわけではなかったのだ。後戻りできない歩や香車を動かす慎重さを持てば、恋愛成就への算段をつけることができる。私はその道を既に知っている。

「ご指導ありがとうございます。道が見えました。あとは自力で解決まで持って行けそうです」

「荒木さんが協力して欲しいと言うかはまだ未知数だけれど」お姉さまは満足そうに相好を崩す。左頬にえくぼ。「あなたの思いが伝わるといいわね」

「はい」頷く。これで用件は終わり、お姉さまもそのつもりで席を立つタイミングを計っている。蛇足、とは分かっていたのだが。「お姉さまは百合を否定はしないんですね」今が訊くチャンスだと思った。

「百合?」とお姉さまは一度瞬きする。

「狭義で説明すると、女性同士の恋愛を意味します」

「そうね、それについてきちんと向き合って考えたことはないのだけれど」おそらく多くの生徒から思慕の念を向けられているお姉さまは薄々かありありとかは分からないが皆の思いは感じている。皆には千恵やささめが含まれていて、でも恋愛対象としては見ていないようだ。千恵は今頃貴代子様と勉強しているのだろうか。「女性同士の、恋愛のような感情を私は、否定はしないわ。それで貴代子がこの部屋にいないのね?」

「仰る通りです」素直に認める。「百合の話を出すには危険だと思い意図して引き離しました」

 ふふふ、とお姉さまは口元に手を添えて笑う。けれど、と言う。「別に、貴代子もそこまで厳格というわけではないのよ」目が左に流れ、喋るべきか否か少し思案してからまた目線が私に戻る。「副島さんと炉端さんの親密さについてはあなたが謎解きしてしまったけれど、その解は貴代子にもたぶん見えていたわ」私にもね、と言う。「けれど貴代子は彼女たちを無理に引き離そうとはしない。苦言も介入もしない。むしろ、束の間の夢に水を差すまいと見逃している気配すらあるわ。初日に貴代子がきつく注意したのは、原理原則の周知徹底のためだと思うわ、何も知らない高校からの子に大前提を教えておこうと考えたのだと思うの。あなた、その、なんていうのかしら、とても」興奮?していたし。

 百合に対する感応をお姉さまに「興奮」と、改めて評されるとなんだか自分が放屁した現場を押さえられたような強い羞恥を感じ、「変な奴だと思いました?」とよせばいいのに訊いてしまう。お姉さまは「びっくりはしたわ。因果関係もあの時は計りかねたものだから」と困ったように微笑む。生き地獄の針の筵とはこのことか。

 苦悶を抱きかかえながら、ひとまず収穫のほうに目を向ける。「とりあえず、貴代子様は私のことが嫌いなわけではないのですね?」

「勿論よ」頷くお姉さま。「貴代子だってあなたの入寮を喜んでいるわ。きついお灸を据えた体面上、百合、に否定的な立場を取るとは思うけれど、だからといってあなたの敵に回るというわけではないわ」それに、と付け加える。「貴代子がどう出ようと、私はあなたの味方よ。だってお姉さまだもの」

 お姉さまの細めた目に愛おしさが宿っている、と解釈するのは勘違いだろうか、だがとても温かい眼差しに絶対的肯定を、寄る辺を得たように感じた。何かあったらまた相談に来ます、と言って私はお暇を告げた。


 部屋に戻ると入れ替わりで貴代子様が出て行った。ミッションコンプリート?と千恵に訊かれ、親指を立てる。ハイタッチを求めてきたので応じた。「ちーちゃんもご苦労様」と言うと「ううん」と首を振る。勉強机に視線を送ると全教科書がピシッと揃って積み上がっている。「貴代子様、百合子が出て行ってすぐ、私がいると都合が悪い話なのかな?って。これ全部承知で来たなって分かったから、だからもう演技も何もいいやって、ベッドでずっと雑談してた」千恵は括っていたツインテさえ解いていた。貴代子様を意図的に引き離したと説明した時にお姉さまがふふふとお笑いになった場面と総合すると、私たちの小賢しい浅知恵などとうに見抜かれていた。貴代子様を誘き出した時点で百合の話題であることは逆算で割れていた可能性が高い。待ち受けた分、百合の話が飛び出ても動揺しなかったのかもしれない。

「やっぱり山本勘助は討ち死にする運命にあったわけかー」私はベッドにうつ伏せにダイブする。「どういう意味?」と問う千恵に全部を語る。史実も含め。ふーん、と千恵は興味なさげに応じて、「ま、次の一手が見えたんだからいいじゃない。身を捨ててこそ浮かぶなんとかのあれってやつ」とベッドに裏返る。「ちーちゃんは、ちゃんと貴代子様に勉強を教わったほうが良かったかもしれないね」「どういう意味?」「そのまんまだけど」「何それ」二人でくすくす笑い合った。

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