第1章 ヤンキー百合 4

 私は私を見つめている。麺類を食す時の、どこか間の抜けた顔。鏡に、この世で最も間抜けな者は誰かと問えばあなたですと即答しそうな。

 あなたの人生観が崩れる何事かが起きる可能性があります。

 鼓膜に取り憑いた白洲の呪詛が私に何度も現実を突きつける。

「百合子! ねえってば」千恵が私を揺する。世界が揺れる。初めてお酒を飲んだ時。麦酒が苦いか辛いのかさえ分からなかった。大人の味。覚えたての化粧。私の顔は白かったの? それとも林檎のように赤かったの? もしかするとそれは毒林檎だった。開けてはいけない禁断の扉。スーパーノヴァ。天地無用の意味を知る。

「また駄ポエム詠んで。正気に戻れー」揺すられる。

 寮に帰り着けたのがもはや奇跡だった。それとも帰巣本能が働いたのか。でもまだ魂は帰っていない。またポエムを詠んでいる。


 爽やかで明るい無謬の春の中で、告白作戦は決行された。

「ごきげんよう」と白洲。

「ごきげんよう」と荒木。

「新しく入った生徒なのかしら、見覚えのない子にここへ来るよう頼まれたのだけれど」淡々と白洲。「何か用事がある、という理解で正しいかしら?」

「う、うん」と頬を指で掻き、「まあね」と荒木は言った。溢れる初々しさ。いいわ、とても良いわ、と私は手で口を覆いながら呟いた。

 白洲は何の揺らぎもない。「それで、何の用かしら」

「あのさ……」あと一歩の勇気を踏み出すタイミングを計りかねているのか、荒木は頭を掻くばかりでなかなか行動に出ない。白洲は無表情でそれを眺める。行け! 行くのよ! ルビコンを渡るのよ荒木さん! と私は口中に呟く。

 春の風が二人と私を吹き抜ける。ケヤキの葉がそよいで大きな音を立てた。

 荒木が動いた。

「タイが曲がっていてよ」

 白洲の、制服のタイに触れて真っ直ぐに整える。私はあぎゃあーーーと叫びそうな衝動を両手で口を塞ぎ必死に堪えた。

 だが。

 大感動の私に比して、白洲が示したのは、それで?という能面だった。荒木が一瞬硬直し、「あ、いや、さっきの風で曲がったから」と言い訳のように言う。「ありがとう。それで、私は何をすればいいのかしら」白洲が淡々と。何事も起きなかったように。

 次よ、早く二の矢を繰り出すのよ! 私は懸命に思念を送る。

 荒木が動いた。「ちょっと、壁に寄りかかって欲しくて」「壁?」「うん、お願い。お願いだから」

 白洲が体育館の壁を背に立つ。事前にディレクションしたわけではなかったが少し移動した分角度がついて、これなら背中以外も窺える、私は幹の反対側から顔を出す。

 荒木が二の矢を放った。

 ずどん、と右手で壁に掌底。白洲を覗き込む。

 少し導入が荒かったが完璧な壁ドンが決まった! これはもうきゅんきゅんでしょう?!

 しかし白洲の精神は動かざること山の如しを体現した信玄公よりも不動だった。「何かしら?」。この状況で、何かしら? だと?

 私は惑乱していた。当然荒木も惑乱していた。しかし彼女は精神を立て直し最後の大技を放つ。

 荒木は左手で顎クイに行った。相手の顎の角度を添えた手で上げ、上から瞳を覗き込む難易度最高の必殺技。荒木の身長が僅かに高い故に成立した顎クイは想像より耽美な絵にならなかったがしかし必然絡み合う視線、これだけ接近されたら、ち、近いわってデレるしかないじゃない!

 強風が吹いて二人の髪が同じ向きに靡く。遅れて届く、華やかな花の香り。

「さっきから、何をしているの?」ぶるっと鳥肌の立つ、さらに遅れて吹いた冷たい風。

「あ、えっと、その……」混乱の極みの荒木がきょどきょどし、こちらを振り向きかけたので慌てて幹の裏に隠れる。「用って何かしら」必殺技三連発が何の効力も及ぼしていない平静の発言。荒木は言葉を接げないでいる。「用件を忘れてしまったの?」問う白洲。「ああ、うん、いや、用件はもう済んだっていうか、何だろこれ」しどろもどろの荒木に白洲が告げる。「私、お昼を食べに戻ってもいいかしら」。観念した荒木の「はい」。

 試合終了。

 私はその場にへたり込んだ。湿って冷たい土。このままでは制服の尻が濡れてしまう。けれど足に力が入らない、立てない。

 全部、フィクションだったのか。如何なるキャラでも頬を染めずにいられないタイが曲がっていてよも壁ドンも顎クイも、所詮は乙女の妄想が紡いだ理想の幻影、麒麟や不死鳥のような空想遊戯の産物でしかなかったのか。知らなかった、全然知らなかった。そんなの誰も教えてくれなかった。じゃあみんないったいどうやって恋に落ちてるの?

 突然指先に疼痛を感じて、何かに噛まれたかと手を振ってから見つめた中指の爪の生え際に小さな朱色が浮かんでいる。興奮のあまり木に力強く爪を立てたせいで内出血したようだ。

 痛みで身体に力が戻り、すぐに立ち上がって痛んでいる人へと走る。呆然自失の荒木は私を見て怒りの拳を振り上げる。かに思えたが、どこか清々しさを感じる笑顔で言った。

「やっぱ、だめだったじゃん」


「ああああああ」呻く。知らず知らず頭を掻きむしっている。乱れた髪が額に垂れてよく見えなくなる、それをオールバックのように両手で引き上げてまた現れる私の間抜け面。

「何があったか知らないけどさ」千恵が呆れを通り越し辟易の態でまた私を揺する。「鏡見ながらああだのううだの呻いてる人が同じ部屋にいると気になってしょうがないんですけど」

「ちーちゃんはさ、いきなり、神は皆を統治するためのフィクションでしたーって宣言されたらどう思う?」

「いきなりなんなの」千恵が鏡を取り上げようとするのを鏡の側面を握り込んで阻止すると「ああ、もう」と怒りをぶつけられたが手は離さない、がっちり掴む。「そんなの、すみませんでした、今度は正しい神様を拝みましょう、じゃだめなの?」

「それは不誠実というものだよ」

「めんどくさ」取り上げるのは諦めたようだ、手が引っ込む。「神様はちゃんと聖書の中に文章上は存在してますとか、詭弁を弄せばいいじゃない、それが嫌なら無理やり神様をでっちあげるとか? 真実にしちゃえばいいんじゃないの?」

「ちーちゃんってけっこう破天荒っていうか、ノリで生きてるからいいよね。論理的破綻とかあんまり考えないでしょ」

「もう話を聞くのも馬鹿らしくなってきた!」言いつつ、私のそばを離れない。「あのさ、相談事なら普通にしてよ! そんな迂遠な話されても埒が明かない!」

「こっちだってクライアントに対して守秘義務があるから全部を喋れるわけじゃないんだよ」言っている途中で自分が失言したと気づくが変に立ち止まるより走り切って何の意味もない発言に偽装する。

「クライアント? 誰かが絡んでるわけね?」ですよね。見逃すはずもなかった。「分かった、荒木さんと朝何かごたごたしてた、アレでしょ?」非難が心配に移り変わる。「荒木さんに無茶な要求されたんでしょ。何言われたの?」

 私は下唇を噛む。喋るわけにはいかない、個人情報保護と私の信用問題の両面からして。そもそもが荒木に要求されたのでなく私が任せてくださいと売り込んだ、自信満々に営業を掛けたのだから荒木が責められる謂れは微塵もない、断罪されるべきは歴史的ミスディレクションを行い彼女の願いを、そして思いを踏み躙ってしまった私のほうだ。

「荒木さんは別に、悪ぶってるだけで悪い子じゃないよ」

「なら、何をそんなに苦悩してるの?」千恵が自分の椅子を曳いてきて傾聴モードに入る。

 やっぱ、だめだったじゃん。

 笑顔の彼女に私は何も言えなかった。私は、何を言えばよかったのか。そのまま別れて、このまま終わるのか。彼女の内なる百合が枯れる様を見届けることさえなく。

「ちーちゃん」私は鏡の世界から出て、千恵に向き合う。

「うん」力強く頷く千恵。

 私は助けを欲している。もはや独力で状況を打破できる状態にない。誰かの知恵無くして事態の進展はない。ただ、天地無用だった価値観が脳ごと引っ繰り返ってしまった今、どこまで冷静に判断できているか自信がない。弱り目に祟り目で悪手に次ぐ悪手を打とうとしている可能性はある。それでも、ここだけは確実に見切りをつけなければならないという境界線は見失っていないつもりだ。死に手を防ぐ上で絶対に確保されなければならないもの。それは私たちが運命共同体であることを証明する、血判状。

「ちーちゃんは、百合を支援する?」

 百合、と千恵が繰り返す。「それって、女の子同士の恋愛って意味でいいんだよね?」前のめりの上半身が少し引き、声量も落ちて慎重な言い回しとなる。

「ちーちゃんは、女の子同士の恋愛を後押しする? それとも、この学校の体制上認められないって、否定の立場に回る?」登山道で、下るか登り続けるか問うように。「答えを聞かせてくれないかな?」

 千恵はすっと身を引いて、椅子の背もたれに背をつける。背筋を伸ばした、とも言える。目を閉じた彼女の瞼の裏には何が映っているのだろう。打算なのか。純情なのか。献身なのか。あるいは、嫌悪。

 千恵が瞼を開いた。

「私は、百合子を支持する側に回る」

「それは、女の子同士の恋愛を後押しする側に回る、ってことでいいの?」

「うん」頷いて、正しさを見つけたようにもう一度頷いた。「お風呂に入った時に私言ったような気もするけど、私は女の子同士の恋愛を元々否定してはいなかったんだ。百合子が問う前からどこかで、百合? に憧れる思いもあった。ただ、やっぱり女の子同士は変なのかなっていう世間の意識は頭にあったし、学校の指針を思うとそれを公言することはしなかった、むしろ隠してた。でもさ、お風呂で百合子、目の前の百合に嘘はない、みたいなこと、言ったじゃない? あれを聞いて、そうなんだよねって腑に落ちたんだ。誰かが誰かを好きな気持ちを、それは間違いですって躍起になって否定しなくてもいいんじゃないかって。それが嘘で間違いだったらその気持ちは衝突して壊れるか自然消滅するだろうし。実は疚しいことなんて少しもなかった。なら、応援する側に回るべきだと思う。友達が、友を必要としているなら、猶更ね」

「もしかしたら、貴代子様にこってり絞られるかもよ?」

「想像すると怖いぃ」千恵は梅干しを食べたように顔をすぼめ、「でも」とすぐに眉の端を上げる。「私は百合子を支持する側に回るから。頑張るから」なんだったら面従腹背よ!と言い放つ。やはりノリで生きている。

 荒木さんに初めて絡まれた時みたいに逃げないでね。あれは懺悔したじゃない! お小言を交わして笑い合う。千恵は、勢いがついている時は若干舌禍が不安だが、中学から在籍している分この学校で何を言って良くて何を言ったらアウトかの選別は的確にできるはず、場を習熟している分頼りにもなる。彼女の語った思いをありがたく頂戴しよう。

 実はね。私は志を同じくする者に荒木との経過を打ち明けた。

 なるほどー、うんうん。頷いて千恵は言った。「だめだ、私じゃ力になれないかも」

 私は演技でなく真実脱力して椅子から滑り落ちた。感動シーンからの大勝利じゃなかったんかーい。

「私に相談されても分かるわけないじゃない」私の反応を演技と思ったのか少し面白くなさそうに口を尖らす。「恋愛経験なんかろくにないんだし」

 当たりくじを引いて喜んだところに渡されたのがポケットティッシュという心境。洟をかんだり水気を拭いたりできても食用にはならない、という現実。リハビリのように椅子に掴まりながら立ち、腰を落ち着ける。「また鏡と見つめ合わないでねめんどくさいから」千恵に釘を刺されて現実逃避の道も断たれる。友はできたが前進はしていない。猛吹雪に見舞われ周囲は見えない、だからといって留まれば凍死する苦境を切り拓く妙手は何か。もはや万策尽きたのか。

 諦めに閉じかけた目が動きを捉える。千恵が脚を組んだ。「ふっふっふ」勿体つけて不敵に笑う。「百合子。私たちだけじゃ解決できない問題を、私たちだけで解決しようとしたら、それは破綻するわよ。でもね、私たちには超必殺技があるのよ。あるでしょ?」

「何その必殺技よりも後付けで強い技を用意したがための破綻した言葉は」

「そこはいいから」短く言って、口の片端を吊り上げる。「こんな時のための監督生制度なのだよ」エア眼鏡のつるを持ち上げた。

 下級生の生活を指導し、勉学を補佐し、つまずいた者があれば助け起こす。私たちに正しい道を示す者。監督生。

「お姉さまを頼るってこと?」

「エグザクトリー」ネイティブに似せようと色気を出した分不明瞭な発音で一瞬何を言ったか分からなかった。得意そうに鼻を宙に突き出している。

「貴代子様からは百合はだめって厳しい指導が入ったわけだけど、お姉さまが下級生を健全に育成するための監督生ながら学校の体制に叛逆して百合という御法度を支援する側に立ってくれる保証はあるの?」百合を摘む側に回るんじゃないの?と暗に問う。

「ノンノン」今度はフランス語。人差し指を左右に振る。「お姉さまは絶対私たちの味方をしてくれるから。貴代子様は厳しいところあるけど、お姉さまは基本だだ甘だから。お母さん的な。下級生が頼ってきたら無下に断ったりしないよ絶対」

「絶対の論拠が分からない。憶測で語るわけには――」

「チョコ!」千恵が奇術のように目の前に空想のチョコレートをポンと出す。「お姉さまはバレンタインのチョコ全部受け取ってるよ、貴代子様と違って」

「それはただ単にイベントとして消費されることを受け入れているからであって百合を応援してくれるかとは関係ないと思う」

「でも! でも、お姉さまは」向日葵が旬を過ぎて重たい頭を下げるように、千恵は俯き加減になる。「お姉さまは、拒絶はしない。否定はしない。確信がある。だって、学校の言いなりなら、もうとっくに注意されてると思う」

 お風呂に入った時に私言ったような気もするけど、とさっき千恵は言ったが、それは自分がそう意思表示したと思い込んでいるからで、厳密には言葉で明示していない。千恵は百合に対する理解を示す一歩手前で止まり、その後唐突にお姉さまの話を始めた。それが事実だ。あの時思い至った、千恵がお姉さまを好いている可能性。誰に誰が何をとっくに注意されてるはずなのか。

「……つまり」訊くなら今だと思った。「ちーちゃんはお姉さまが好きなの?」

 千恵が唇を強く引き結ぶ。大荷物に耐えるような顔でふぅと息を苦しげに吐き、吸うと同時に荷物を下ろすと悟りを開いたような、酷く平板な顔つきとなった。「好きだよ、お姉さまのこと」

 んんんと堪えようとしたが感動の洪水は堰を乗り越えて溢れた。「んふふふ、お姉さまに対する淡い恋。みんな大好き姉妹百合ね……たぶんLove at first sight、一目惚れから始まったの、そして間もなく心酔。絶対は絶対にありえないなんて論理遊戯、でもここに絶対の信頼があるのだわ……そう、あなたとお姉さまの胸の中に……」

 千恵がジト目で見ている。ごめん、でも抑えられなくて、と私は言った。微かな百合の香にまだ酔い痴れながら。

「百合子の言ってることが半分近く……半分以上かもしれない、当たってるのが物凄く癪なんだけど」足元に向けられたどこかを見ている目。「私、お姉さまのことが好き。それは恋愛的な意味で、だと思う。でもさ、別にどうこうなろうっていう気もない。お姉さまには既に婚約者がいるし、何より私じゃ全然釣り合わないし」顔を上げ、微笑んだ。その笑い方は、諦めを受け入れていた。「お姉さまは憧れの対象なの。あくまで自分の手元には落ちてこない果実を眺めるだけの、アイドルに対する恋、みたいなもの」

「分かる……分かるわ……」私は深く頷く。

「こういうのも百合って呼んでいいの?」

「百合よ、立派な百合よ」と口にしてから、私は言い直す。「立派で、とても美しい百合だよ」

「そっか」間口広いんだね、と言う微笑みには、微かながら温かみがあった。

 おっほん、と千恵はわざとらしく咳をして、「お姉さまは私の思いにも気づいてると思う。聡明だから。でもそれを禁止したりしない。なら、百合を頭ごなしに否定しないはず。万が一お説教が待っていたとしても、相談内容を他人に言い触らしたりはしない。絶対に。お姉さまを信頼して、賭けてみよ、ね?」

 否定されるか支援されるかは五分、でもクライアントの秘密保護の心配は要らない。関係者を増やすと制御を失う懸念もあるがお姉さまがノーと言えばそこまで、二人で活動する状態に後戻り可能だ。打つ手が他にない以上そちらに進むしかない。

「分かった。お姉さまに相談してみよう」

「よし来た!」椅子が後方に倒れんばかりの勢いで立ち上がる千恵。ツインテがるんと翻る。「となれば善は急げ、お姉さまの部屋に突撃よ!」

「行くぜ相棒!」私もスキージャンプ選手のように勢いよく椅子から飛び立ち、あとは栄光の未来へ駆け出せばよいところで「だああああ」と千恵が断末魔と共に床に墜ちる。膝立ちで頭を抱え絶望に蒼褪めている。どう考えても勝利に向かう流れだったのにまたしても挫かれたのは何でと目で詰問すると千恵が頭を抱えた恐慌の絵で苦悩の種をポロリと吐く。

「よく考えたらお姉さま、貴代子様と同室だった……」

「だああああ」私も床に膝から墜ち絶望の叫びを上げる上げざるを得ない。「つまりお姉さまを頼るには百合否定派の貴代子様と引き離して一対一の場面を作った上で最低三十分は相談する時間を確保しなければならないなのに二人は同室、っていう……」

「まずいわ、お姉さまと貴代子様は、バーガー屋のセット販売ほどガチガチじゃないけどたいてい二人一緒に過ごしてる。貴代子様が部活で出てる時間帯ならチャンスだけど、今は部屋で一緒の可能性のほうが高い。貴代子様に鉢合わせしないでお姉さまに相談する方法……」唇を噛み締めて千恵は考え込む。

 私は頭を横に振って案の一円玉でも飛び出ないか試すが頭の中にそもそも音がしないならば何も飛び出ない。「だめだ……手詰まりか……」

「残されたチャンスは、晩御飯、共同浴場、その後の就寝時間までの自由時間……用事がなければ二人は一緒……トイレ? トイレなら個室だし、そこを強襲すれば……」千恵は目を閉じ眉を寄せ腕を組んで思弁している。「トイレしか……若しくは呼び出し?」ゆっくり開かれた目はゆっくりと何かの像を結んでいるようだ。「……百合子の生活指導を名目に呼び出す? でも入学早々に指導すべき何も……素行不良にてみっちり指導をお願いしたく……窓を割る。この部屋の窓を割る」さらりと恐ろしいことを口にして、千恵は首を振り瞬きする。焦点を合わせ直すように。「違う……二人いるんだから、一人が貴代子様の相手をすればその間にお姉さまと話せる。……閃いた!」

 絶望の淵から蘇り立つ千恵は自信に溢れた勇者の勇姿だ。私、やっぱりめちゃくちゃ頭いいのかも、と悦に入っている姿に不安が過ぎらないでもないが、訊いて減るものでなし、私は千恵を見つめて彼女の自信の在り処を問う。千恵はにやりと笑って、言い放った。

「ダブル・アポイントメント・ワン・オン・ワン・きつつき作戦よ!」

 まるで正体の見えない作戦名だった。

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