ジャスミン

@katsutama

「ジャスミンが好き」

「ジャスミンが好き」


目の前にいる後輩のちはるが言った。渋谷の少しだけオシャレでぼくが一人で来ることは絶対ないと神様、仏様に誓えるそんな喫茶店でハーブティーを選んでいるそのときだ。ちはるは仕事のパートナー。正確には後輩ではないが、少しだけぼくの方が上だから彼女はをぼくはそう呼んでいる。


ぼくにはさっぱりわからないハーブティーのメニューを見ながら呟いたのだ。


そのとき、ぼくは思い出した。


「ジャスミンが好き」


その一言を言うことができたなら人生が変わっていたかもしれないことを。

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10年前、当時はSNSと呼ばれていなかった会員制の巨大サイトで知り合ったあの子。


ぼくと同じくエスニックの服が好きで小柄で目が大きくクリッとした可愛らしいそんな子だった。明るく活発で買い物にも一緒に行くそんな仲だ。その子のハンドルネームはジャスミン。


彼女は婚約中だったこともあり、普通の趣味の仲間。付き合ってたわけでもなく手を繋いだこともなかった。「純粋なお友達」そんな表現がピッタリな関係。好意はあったけれど。


いつものように渋谷で買い物をして、ほんのチョットだけ雰囲気のイイ居酒屋で乾杯。そのときに切り出された。


「婚約破棄したんだ」


「え?」


「借金を隠されてたんだよね。あるのはいいんだけど隠されてたのがアレだったんだ」


その時のぼくは気の利いた言葉の一つをかけることもできず頷くばかり。今にも泣きそうなジャスミンの小さい女の子らしい手をテーブルの下で軽く握りながら自分の気持ちを確かめていた。


「今日は帰りたくない。ライトの家に行く」


そう、ぼくのハンドルネームはライトだった。当時、渋谷から歩いても30分はかからない所に住んでいたこともあり、うちに来ると言い出したのだ。


「いいよ。でも、片付けるからチョットだけ待ってね」


ぼくがそう言い終わる前に腕を絡ませ今にも眠りにつきそうな顔を肩に預けてきた。「あぁこれはそういうことかな?」と考えを張り巡らせ夏の虫が泣く渋谷の街でタクシーを拾い帰路につく。ホンのチョットだけ片付け部屋にあげた。


男1人暮らしのワンルーム。どこにでもあるようなベッドにテレビ。そして、エスニックの小物。それらを見て手にとり笑顔を見せる彼女。


ぼくは悩んだ。


「これって、やっぱりそういうことなのか?」


そんなことを考えながら、シングルの小さなベッドに横たわり腕を絡ませ呼吸を感じていた。



もちろん着替えなどない。エスニック好きらしくガネーシャの柄が入ったティーシャツからのぞく胸元からは小さな胸が見え、手を伸ばせばスグに届く。ちょっとくらい触れても、なんの違和感もないそんな距離感。


でも、吐息を感じることしかできなかった。唇を合わせることもなく、ぼくは眠りについてしまう。いや、お互いに眠ったふりをしていたのかもしれない。二人の鼓動がときどき共鳴し、あたりの静寂を失わせる。肌を合わせるどころか、手を触れることもなかった。


「ジャスミンが好きだ」


この一言を添えれば一夜限りの甘い思い出を作ることはできただろう。その先に違う未来があったかもしれない。でも、傷心のジャスミンをどうしても抱くことができなかった。


目がさめると彼女の姿はなく携帯のメールに1通の未読がある。


「ガッカリした」


それ以来、ジャスミンとは会っていない。

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「先輩!聞いてます?ジャスミン好きですか?注文しますよ」


「いや、好きだった」


「好きだった?ジャスミンティー飲むか飲まないかってことですよ!」


「ジャスミンが好きだ」


「は?頭オカシイんですか?注文しますね」


「ありがとう。ゴメンな。」


十年越しに告白したことを彼女はどこかで聞いてるだろうか?今、彼女と再会しても同じことを言われるだろう。


「ガッカリした」

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