結末 人としての終わり


 べちゃり、粘質な液体が撒かれる音ともには這い出る。


 墨汁よりも黒く、暗く、底の見えない水溜りから。


 腕だ、生まれたての赤子のようにきれいで真っ白な


「なっ?!」


『勇者』の驚きをよそに、右手が同じように水溜りの淵に手をかけた。

 暗い液体を押しのけるように、その身体が持ち上がる。


「……」


 液体から這い上がったのにも関わらず呼吸を荒げることのないソイツは、さっきまでの『彼』とは違う気配がした。


 何故か長く伸びた髪といい這い出てくる様は、有名なホラー映画のように背筋を冷やす異様さがあった。


「お、おいおい。髪伸びたなイメチェンか?

 第3形態とか、いよいよラスボスかよ……」


 ズルズルと這い出てくる途中だが、流石に悠長に見守る義理は無い。

 近づいて水溜りから伸びる上半身、その心臓に剣を突き立てた。


「健闘は称賛するが、すまんな。これも世界の為だ。」


 地面に剣先が当たる手応え、貫通した。


 その時、脳裏にノイズが響く。


 ?!』


「なんだと?!」


 慌てたように飛び退く。


「フフッ…フフフ、ハッハッハ!あーハッはぁ!!」


甲高い笑い声が響く。



「……あまりを怖がらないでおくれよ。傷付くじゃぁないか」


 ガバリと身を起こすその心臓部。剣で刺したにしては大きい穴が空いていた。


 まるで、そこだけ肉が避けたような。


「よいしょっと」


 ひどく人間らしい掛け声とともに水溜りから這い出す。脚まで出きった跡には水溜りは残っていなかった。

 膝まで届くほどの長髪に顔は隠れ、体格も少し線が細くなった。毒々しい紫のコートも丈が余ってしまっていて、まるで印象が異なる。


「なんだか、随分と可愛らしくなっちまったな。何だソレ、オリジンスキルか?」


「そうとも言えるが、中々説明し辛い状態でね?」


 髪をかきあげるようにして現われたるは、白く整った顔立ちのだった。

 引き込まれそうな金の瞳。少年の赤い瞳とは全く異質な瞳、まるで闇夜の海の様な底の知れない色。


「……誰だ、お前?」


「エルと名乗らせて貰おう……左腕から本体に昇格したみたいでねぇ」


「は?」


「異形が美少女になるくらい、日本だとよくある事だろ?受け入れろ。」


 達観したように告げる少女と愕然とするおっさん。


「フフフ、人間の身体も悪くないものだな。なんだか、しっくりくるくらいに……」


 手をにぎにぎと動かしながら具合を確かめる様に眺める。


「さてと、ラティには悪いがせっかくだ。私が終わらせておいてやろう。」


 ファイティングポーズを取る、迫力に欠けるその姿に毒気を抜かれる。


「……はぁ。勝ったと思ったのに、お嬢さんも手に掛けなきゃいけないなんて2回疲れるな。」


「来ないなら私から行こう。」


 止める間もない宣言と歩み。

 ツカツカと歩みながら、詠唱を始める。


「創造され、想像する、騒々しきもの」

 口が最初の一節を詠う。

「其は、廃棄されてなお、反旗せず拝跪するもの」

 そこに口があるかのように心臓の位置から、二小節目。

「創造主と被造物、科学者と実験体。あるいは父と子。当然の愛を貴方に捧ぐ」

 左肩から三小節目。

「愛があるから、憎悪も生ず。憎悪があれど、愛がある。受け取られなかった愛の裏返し、あの時届かなかったてのひらから生まれた握り拳。

ただ、貴方にぶつけたい。」

 4章目は右肩の位置から。


 結ぶ言葉は唇から呟くように溢れる。


「『砕壊ワンス・アゲイン』」




「詠唱?何をしようと無駄だ、今の俺には追いつけない」


 先に仕留められる、さっきまでとやることは変わらない。


 確固たる自負と共に閃光の一太刀が走る。

 静かな終わりが訪れる


 確かに斬りつけたはずなのに、まるで手応えがない。

 咄嗟に続けて斬り払うも、斬れなかった。


「アハハッ、全身なら斬られる瞬間に身体をほどいて後からくっつければ問題ないでしょう。」


 目の前には拳を振り上げる少女、その小さな握り拳に似合わない程の圧を持ったアッパーが放たれた。


 迫りくる死神の鎌の様な一撃も、『勇者』の速さなら避けられる。

 攻撃が当たらないなら間合いを取って仕切り直せるはずだった。


 確実に拳の間合いから離れたのに、顎下から衝撃と鈍い音が脳を揺さぶるように反響する。

 遅れて続く激突音。


「ガッ……!?」


 なんと、その一撃は月のように空に浮かんでいた瞳に『勇者』を叩きつけた。


「あらら?思ったより低い位置に空があったのね。」



 そんな呟きを他所に重力は容赦なく気絶する『勇者』を地面へと叩きつける。


 勇者の鎧は大きく損壊し、瞳にはクレーターが出来ていた。金炎は見る影も無く、ただ倒れ伏すのみ。



「もう二度と、なすすべなく置いていかれる事のないように。必ずこの手が届くように。対象がどれだけ速かろうと遠かろうと『拳が届く』という結果を引き起こす。それがワタシの『心象ねがい』」



 ピシピシと亀裂が広がる音を立て、空を傲然と見下ろしていた瞳が砕け散る。


 サラサラと降りしきる粒子の中でただ少女だけが熱に浮かされたように笑みを浮かべていた。


「今、会いに行きます。お父さん」



 世界を覗き見していた瞳が無くなり、ここから先を見届ける者は当事者達のみとなった。


_______________________



 そうして長きに渡る闘いは終わり、勝者は讃えられる。


 転移した先は、砂塵舞うコロシアムとは似ても似つかないリノリウムの床に続く部屋。

 さながら隔離病棟サナトリウムや実験施設の監視室ような場所だ。

 巨大なモニター、乱雑なデータ群が踊り狂うウィンドウがバグったような早さで切り変わり表示されている。


 チカチカするような光景をバックに、何処にでもありそうなキャスター付の椅子に掛ける男が一人。

 脚を組み、頬杖をつきながらコチラを睥睨へいげいする。


「よくぞ猛者ツワモノ共を倒し私の元に参った!!」


高笑いを上げ、演じるように歓迎する白衣の男。

ヤツが、アンドレイのオリジナルなのか。


 普段通りの白衣の痩身と陰気な科学者然とした格好だが、金色に輝く瞳が異様な存在感を放っていた。


「褒美をあげよう、望むものを。質問にもなんでも答えてあげるさ。」


 いつものガイドをしてくれるアンドレイと比べて、更に傲慢さを見せてくる。

 本物とガイドは別物だからか、アンドレイとは面識がない事になっている様だ。


「ははーっありがたきシアワセ?」


「うむ、よきにはからってくれたまえ『』くん?」






 そう、試合が終わり気絶スタンから目覚めた彼を待っていたのは何故か敗北ではなく、優勝の二文字だった。


「なんで、俺が優勝してるんですかね?」


 優勝者としての自覚もなく、所在なさげにボリボリと頬をかく男の声がやけに部屋に響いた。

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