ゲームが再開されてから、話し声は聞こえなかった。

 壁際で一人、氷見さんだけが咽び泣いている。いま彼女は、なにを考えているのだろう。


「氷見さん……血、止まった?」


 黒神イソラだ。

 あえかなその声も、非道のあとでは気味が悪くて恐ろしい。


「足、見せて?」

「嫌ァ?! 触らないで……触らないで……助けてください……」

「…………怒ってるよね、ごめんなさい。でも、血が固まってきていて……その、よかった」


 黒神イソラは鼻を小さくすすってから、氷見さんから離れていった。

 その直後、七海が「恭子さん」と声をかける。


「唇、もう大丈夫ですか?」

「え? ああ……覚えていてくれたのね。氷見ちゃんと比べれば痛く感じちゃダメだと思うから、痛いけどわたしは泣かない」

「……ははは、そうッスね。あの、さっきはすみません。正直、びっくりしちゃって……でも、やるんなら中途半端じゃダメですもんね」

「ウフフ、そうね。それじゃあ……仲直りのあかしにもう一度キスしてみる?」

「えっ!?」

「恭子さん、仲直りするんなら氷見さんとしてください」

「あら……すごい名前のイソラちゃん、ご機嫌が斜めみたいね。わたしと七海ちゃんに嫉妬してるとか?」

「嫉妬じゃないです。ねえ、忘れてませんか? わたしたち、ここから脱出するためには恋人同士にならなきゃ助からないんですよ? それなのに、こんな……氷見さんを傷つけて、ひどいことをしたのに、もう……信頼関係とか破綻してますよ!?」

「信頼関係? まだお互いを知ろうとする途中だったと思うけど? ペナルティを経験したからこそ、ここから強い絆が生まれるんじゃないかしら? ねえ、わたし間違ってる七海ちゃん?」

「あ……いえ、あたしもそう思います」


 また流れが変わってきた。

 爪を剥がすペナルティで有無を言わせず氷見さんを選んだ三人が──とくに、黒神イソラと恭子さんが対立を始めたようだ。

 閉じ込められたわたしたちの目的は、お互いの潰し合いじゃない。謎の犯人が作った狂気の恋愛ゲームをクリアすること。誰か一人が犠牲にならなきゃいけないけれど、悔しいけれど、それがこのゲームの揺るぎないルールだ。


「じゃあ、絆って言うならそれこそ氷見さんを──」

「氷見ちゃーん、ねえ大丈夫?」


 黒神イソラの言葉を遮った恭子さんが壁際に向かって歩きだす。それに怯えた氷見さんが、物音を立てた。


「まあ、痛そう……でも大丈夫よね? ね? ……そう、良かったぁ」


 返事はなにも聞こえなかったから、多分、うなずいたのだろう。


「よーしよし、怖かったわよね……ごめんなさいね……でも、ああするしかなかったのよ……」


 なにかを小さくたたく音が聞こえてくる。氷見さんを抱き寄せて慰めているのかな?


「……平等じゃなきゃ、いけないんですよね?」

「んー? うふふ、そうよ。こんな状況だからこそ、みんなで痛みを分け合わなきゃ。ちょっと強引だったけど、あの時は氷見ちゃんを選ぶしかなかったの」

「……それって、順番ですか?」

「そうね、やっぱりフェアじゃないとね。〝誰か一人を選べ〟って、犯人も言ってるし」

「そうですか……」

「氷見ちゃん?」


 引きずる足音がした。氷見さんだと思う。


「二人とも聞いたでしょ? ペナルティは順番なんだって!」

「……氷見さん?」

「お、おい……なにを……バカ、やめろよ!」


 またみんなが騒ぎ始めた。

 氷見さんが狂ったように笑い声を上げている。やめて、やめろと、大声も聞こえる。


『ルール違反だ。ペナルティとして、おまえたち五人のなかで一人の歯を抜き取れ』


 ペナルティ? 一体なにが起きたの?


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