電動髭剃り神のお告げ
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「さすがに少し酔っぱらってきたな」
城前くんが腕時計を確認しながらそう口にした。私もつられて携帯で現在時刻を表示する。先ほどのすり替え作戦から約三十分が経過し、すでにここに二時間ぐらい滞在していることになった。そこまで弱くない私でも、自分が徐々に酒臭くなってきているのを感じる。今、鏡で顔を見たら真っ赤になっているに違いない。城前くんも小休止のつもりなのか、紅潮した顔をしてお冷を喉に流し込んでいる。
「ええー! カイトもう終わりなの、俺にあんなに飲ましておいてさあ、ぁ」
すっかり梅干しみたいな顔色になってしまった西島くんが、乱暴に城前くんと肩を組む。その手にはジンジャエールに偽装したジンジャーハイが握られている。まだ気づく様子はない。
あともう少しだ。もう少しで、悲願が達成される。そう思うと顔が火照っていくのを感じる。きっとお酒のせいだけではないはずだ。
『いいか、ケイはゲロを吐く状態になる前に、顔が尋常じゃないくらい赤くなる。そしてその後急に、真っ白を通り越して青白くなる瞬間がある。そのときに酒を流し込むんだ』
トイレ前での作戦会議の際、城前くんが言っていた言葉を私は反芻する。私の嘔吐タイプと同じだ。赤くなるのは早いのに、気持ち悪くなってくると今までが嘘だったかのように白くなってしまう。そんなくだらないことでも彼との共通点があるということに、自然と頬が緩みかける。でも気を抜くのはまだ早い。彼はまだ白くなっていないのだから。
気合いを入れるため、ハイボールのグラスに手を伸ばす。するとそこで、ズボンのポケットに入れていた携帯が震えるのを感じた。どうせメールだろう。そう思って無視を決め込みお酒を飲んでいたが、やけに長く振動しているので確認してみると、それは着信だった。『花瀬ノノカ』という、別のゼミに所属している友人の名前が画面に表示されている。なんだってこんなときに。
ごめんまたトイレに、と言いながら席を立つ。完全に面倒な酔い方をしている西島くんに肩をつかまれた城前くんが、不安げな目でこっちを見た。大丈夫だよ、という意味を込めた視線を返し、トイレの扉のドアノブに手をかけると、施錠されていることを示す赤色の印がそこに表示されていた。
おじさんのものらしき、枯れ切っていて汚いえずきと嘔吐音が中から聞こえてきて、思わず酸っぱいものが込みあげてくる。私が先に吐いてどうするんだよと考えながら、仕方がないので一度店の外に出た。冷たい風が火照った顔を容赦なくめった刺しにしてくる。
電話は一度切れてしまっていたので、私は着信履歴を呼び出してかけなおし、携帯を耳に当てる。ワンコールで電話がつながった。
「あ、もしもし花瀬? なにどうしたの」
「奈良坂、奈良坂ぁ、大変なの。聞いてくれやばい」
携帯番号は交換しているけど、花瀬とはとっても仲がいいというわけではない。ただ一年次のゼミが一緒で、そのときに築いた着かず離れずの関係がゆるゆると続いているだけだ。が、とあることにおいてはマイなどでは比べものにならないほど、私は彼女に全幅の信頼を置いていた。
彼女は電動髭剃りの絵を描いた紙の上に、口に含んだソーダ水(炭酸水ではだめらしい)を吹きかけてできた模様のパターンで占いが可能、と人前で豪語するような人間だった。端的に言うと変な人である。
そんなことだから最初は私も距離を置いていたのだが、ある日のゼミのときに言われた「あたしの占いによるとねえ、奈良坂。今日のお昼は食堂のきつねうどんを食べるといいよん。そうすれば食器返却口のところで千円札が見つかる」という彼女の予言を冗談半分で実行したところ、本当に千円札を見つけてしまった。それ以来、彼女と昼食を取ったり授業終わりにパルコに行ったりするようになった。そんな彼女が、なにかに対してやばいと言っている。明日にでも世界が滅びます、と占ってしまったのだろうか。それは困る。私は西島くんの大洪水をこの目でたしかめなくてはならないのに。
「やばいってなにが」
「奈良坂、あんたがやばいんだよ。これ以上、その飲み会にいてはいけない」
「え、そんなこと言われても。私まだゲロを見てな、違う間違えた忘れて……とにかく、まだ帰るわけにはいかないの」
「ああんもう、ちょっと待ってて。一回切るよ」
ぽいん、と軽い電子音がして通話が切れた。すると即座に一枚の画像が花瀬から送られてくる。タッチして拡大表示すると、まだらに濡れて黒くなった電動髭剃りの絵が描かれた紙が画面上にでかでかと現れる。彼女が占いに使用する図だ。
『あんたがにやけ顔で今日の飲みの話するから、面白半分で占ってみたの。そしたらね、ここを見て。髭剃りのちょうど真ん中あたり。きのこみたいな形した模様と、「人」って漢字を太くしたような模様があるでしょ』
花瀬から送られてきた文章と画像を行ったりきたりしながら、しばらくしてその形を見つけた。きのこの形と『人』という漢字の形というより、腰の部分でちょうど真っ二つにされた人間みたいだなあ、と私は一瞬思ったが、すぐにその考えを取り消した。それはなんとなく不吉で嫌だ。しかし、その推測は花瀬によって正解だったと知らされる。
『これね、体が二つに分かれた人のようにみえるでしょ。これはあたしの占いでは不幸の象徴なの。でもまあ、この占いでは生き死にはつかさどってない設定になってるから、直接的な死を暗示しているわけではないよ。さしずめ、なにかよくないことが起こるといったところかねえ』
よくないこと。花瀬が設定という占いにあるまじき発言をしていたことよりも、私の思考はその単語に引っ張られる。
この飲み会で起こるかもしれない、好ましくないこと。そう聞くと、どうしても西島くんの顔がちらつく。彼になにか起こるのだろうか。いや、彼女が言うには不幸が降りかかるのは私のほうなのだ。今この状況で、私にとって一番嫌なこと。
もしかして、西島くんの嘔吐を見ることができないのか?
『それって、具体的にこれこれこういうことが起こる、って予知することはできないの。いつもなら起きることまでわかるじゃん』
『うんそうなの。今回は電動髭剃り神にうまく交信ができなくて。ただ、奈良坂だってこの占い信じてくれてるからわかるでしょ。必ず、あんたの身になにかが起こる。それだけはたしか。とにかく、傷を受ける前に早くその飲み会から立ち去りな』
『え、でも今まで一度もそんなことなかったじゃん』
『とにかく今日はだめだったの。奈良坂早くそこから離れて』
きつねうどんの一件だけではなく、カツラで有名な教授の頭が窓から吹き込む風によって寒々しいことになったり、最寄り駅前の坂道で犬の糞を踏んだり、そういった類のことを彼女の占いは全部当てている。外れたことはない。そんな占いをする彼女が、その結果にもとづき、飲み会から立ち去れと言っている。なにが起こるか今回に限ってわからないということは少し変だと思ったが、普通なら彼女の言うことに従うべきなのだろう。
でも、私は少し迷ってから、そのメールに返信せずにメッセージアプリを閉じる。画面上の通知窓に、本当にやめといたほうがいいよ、後悔するよ、という言葉が躍るが、そんな花瀬の忠告や心配を、私は言葉だけ受け取っておく。
いくら彼女が不吉な占いを伝えてこようが、私にとって今日は、西島くんのゲロを見ることのできる絶好のチャンスなのだ。逃したらまたいつこのような機会が舞い込むかわからない以上、みすみす逃すわけにはいかない。
それに、どうせ不幸なことなんて、誰かのゲロが体にかかるとかそのようなことだろう。むしろそれが西島くんのものだったら本望だ。伊達に常日頃から西島くんの吐瀉物を渇望しているわけではないのだ。
携帯の画面を消灯してポケットにしまうと、私は出入り口に張られている防寒用の分厚くて透明なビニールシートをくぐり店内に戻る。体をすっぽり覆っていた冷気が消え、暖められた空気が出迎えてきた。心の周りを黒い風のように取り巻いていた花瀬の言葉が、なんとなく薄れていくような気がする。
さて、私たちの飲みの席はどうなったかな、と先ほどまで自分が座っていたテーブルのほうに私は向き直る。
かなり大きい火柱が、その中心からあがっていた。
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