楽しい焼肉



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 私を含めたこの四人は、大学のゼミが同じだったことをきっかけに仲良くなった。二年次のゼミはうちの学校では希望制となっており、一度その時限のゼミに出席し、雰囲気や研究テーマなどを見学してから決定することになっている。西島くんは、今取っているゼミの初回授業で、私の隣に座った男だった。


 最初に彼の横顔を見たときぼんやりと、ああーこの人のゲロ吐いてるところが見たいと思った。あまりにも自然な思考の流れで、そのときの私の気持ちと視線は引っかかりなく、机の下に隠すように持っていた携帯の画面に戻った。だが数秒の間の後、いや待ってこれは小学生のとき以来の気持ちだないきなりなんだこれは一大事だ、と一人で静かにパニックになった。トモヒコくんとは小学校を卒業してから顔を合わせることがなくなったので、今の彼がどのような顔をしているのかはわからなかったし、別に彼と西島くんとの間に共通点も見当たらなかったしで、なぜゲロ見たい欲が生じたのかはわからなかった。でも、彼の首に浮き出た喉ぼとけや、触り心地のよさそうな白い頬を見ていると、それらがゆっくりと脈打ち、吐瀉物を放出する姿を想像せずにはいられなかった。


 そのときは特に会話をすることもなく終わったが、次週にゼミが決定した後、ゼミがおこなわれる教室に入ると携帯に目を落としている西島くんがいて驚いた。その後、今年度のゼミ生は私と彼、マイ、城前くんの四人だけということが判明し、そのうえ全員が留年生だということもわかり、あっという間に打ち解けた。


 そしてゼミが決まり三か月ほど経過した今日。テストやレポート提出も終わり、一学期お疲れ様会を学校に程近いところにあるホルモン焼き屋で開催することになった。発起人は城前くんで、なんでもここの店長と知り合いらしい。たしかに、運ばれてくるホルモンの量は、隣のテーブルでひたすら肉を焼きながら、薄切りレモンの入ったジンジャーハイを店員に注文している若い夫婦よりも心なしか多い気がした。

「ほい、もうミノとピートロはいいんじゃないかな」

 マイがいい感じに焦げ目のついた肉を、私たち三人の取り皿に分けていく。

「今度は私がやるよ」

 私はマイからトングを受け取り、今しがた運ばれてきたおまかせ盛りというものの中から、適当な部位を網に載せていく。私は焼き肉にはよく行くが、ホルモン専門店に来るのは初めてだった。お母さんの「ホルモンは臭いからおいしくない」という持論を聞いて育ってきたから、なんとなく食わず嫌いをしていたのだ。

 だけどミノを口に運んだ途端、その考えは消し飛んだ。噛めば噛むほど、旨味と濃厚だがしつこくない脂があふれてくる。これは普通の焼肉では味わえない。たしかに臭みもあるが、このあふれる肉汁の流れの中では逆に好印象に変わっている。


「奈良坂、もしかしてホルモン食べるの初めて?」

 突然西島くんが声をかけてきて、私は咀嚼しかけの肉を喉につっかえそうになる。顔に出ないように気をつけて飲み込み、うなずく。

「普通の肉と違ってなんだか面白いよね、内臓って聞くとちょっとグロいけどさ。お酒が進む味って感じがする」

 そう言うわりに、彼の手元のジョッキの中身は一ミリも減っていない。三秒ごとに目を配っているからわかる。そんなことを主張するならセンマイ刺しばっかり食べてないでお酒を飲んでほしいなあー、と考えていると、ピートロを七輪に載せたことによって激しく吹きあがった火柱に少し驚きながら、城前くんが横目で彼を睨んだ。


「ケイお前そんなこと言ってるけど全然酒減ってねえじゃん」

「だってなんか酒成分強いんだもんここ」

「どっかのチェーン店みたいに超薄いよりはいいじゃねえか。つべこべ言わずに飲め」

 城前くんがラムネサワーのジョッキを持ちあげて西島くんの口元に運び、無理やり口につけさせてそれを傾けた。突き出た喉ぼとけが艶めかしく動く。そのさまから目を離せないでいると、ゆっくりと唇の隙間から細い線を描いてお酒がこぼれていった。ややあってジョッキが離れると、彼は自由になった顔の位置を元に戻す。あごに残るラムネサワーが、ちろちろと揺れる火に照らされて光っている。しかし私がそれを目に焼きつける前に、彼は口元を手の甲で拭ってしまう。

「うー、酒っぽい」

 そんなの当たり前でしょ酒なんだから、とマイが笑うと、その場が笑いに包まれた。たまたま近くを通りかかった金髪の女性店員も微笑みをこぼす。その一部になるべく愛想笑いをしながら、私はため息をつきたい気持ちでいっぱいだった。


 西島くんはお酒をあまり飲まない。酔いやすい体質だから避けているのか、そもそもお酒自体が飲みものとして嫌いだから避けているのかはわからないが、彼はこのような飲み会の席でも、基本的にはお酒を飲むのを一、二杯でやめてしまう。『今季一番嘔吐するところが見たい男性』に西島くんのことを据えている私にとって、それは大きな懸念材料だった。強いお酒なら二杯くらいで泥酔、もしくはゲロ製造機状態にまで持っていくことは可能だろうが、ターゲットはたかだかラムネサワーごときで酒がきついなどとほざいている。そんな彼に強いお酒は飲ませられない。城前くんなら男友達としてのノリと流れでいけそうだけど、私は女子だしそこまで親密な仲ではないし、現実的に考えて無理だろう。


 ミノを口に放り込みながらどうしたものかと考えていると、マイと西島くんからお腹が減ったのでもっとお肉を注文したい、という提案が飛び出した。城前くんが、自分のタレ皿の下敷きにしていたメニューを取り出し、西島くんに渡す。

「んーどうしようかな、木更はなにが食べたいの」

「私、あんまりホルモン屋さんってきたことないからわからないなあ……西島が決めていいよってか酒を飲め酒を」

「ええっ」

 マイが持ちあげたほぼ空っぽのジョッキのふちが、西島くんのジョッキとぶつかる。うちの大学にある、ジョッキをぶつけて乾杯をされたら飲まなくてはならないという誰が考えたのかもわからないルールを知っているらしい彼は、しょうがないというふうな顔をしてラムネサワーに口をつける。そして、さらに顔をこわばらせると、なぜかそれを飲み干してしまった。


「ほら飲んだぞ。さっさとソフトドリンクに変えてやる。すみませーん注文いいですか」

「ちょっと待って西島くん。せっかくなんだしお酒を飲もうよ。言ってたじゃないほらさっきホルモンがお酒に合う味がするとかなんとか。ね、コークハイとかにしとこうよ、ね」

「そうだぞお前、酒が飲みたくても体質的に飲んだら死ぬってやつもいるんだ、そう考えると贅沢な悩みだぞそれは」

「うん私もそう思うよ西島酒を飲もう、なんたって私たちは天下の大学生、しかも一年ダブってるんだから」

 ソフトドリンクという単語に反応して、つい欲望のかけらが口をついてしまう。しかし城前くんとマイから思わぬ援護射撃があり、西島くんが押される形となった。彼は不服そうな顔をしながらも、メロンサワーを店員に注文する。程なくして焼酎とさくらんぼの入ったジョッキと、瓶に入ったメロンソーダが運ばれてきた。ほら頼んでやったぞ、とつぶやきながら西島くんはジョッキの中に泡立つ緑を流し込む。炭酸の弾ける音がする中、私は目元だけでなく頬にも点々とある西島くんのほくろを眺めていた。胸の奥のほうから水の染みたスポンジを思い切り絞ったときのように、愛しさがじゅるじゅる湧いてくる。私の熱烈な視線に気づいていない彼は、窓の外を見ながら、真っ赤なさくらんぼをかじっていた。

 城前くんが「俺なんか頼むけど奈良坂もなにか頼むか」と言ってメニューを渡してきた。手元のジョッキが空になっていたことに気づいた私は「レモンサワーでお願いします」と告げると、いったん席を立ってトイレに向かった。


 個室のドアを開け中に入って鍵を閉めると、ハイボールのポスターの中で微笑む女優と目が合った。狭苦しい部屋の右手側に備えつけられている洗面台で手を洗いながら、私はこれからどう動けばいいのかを考える。


 なんとか一杯目の酒を、西島くんに流し込むことができた。でも普段の彼ならばここでアルコールはストップがかかってしまう。勝負はここからなのだ。私は再び扉に貼られた女優に目を向ける。氷とお酒で満たされたジョッキを頬につけて微笑んでいる。そう、例えば、濃く作られたハイボールなどをなんとか飲ませられれば、嘔吐にぐんと近づくことができるのに。

 店員に言って、こっそりと濃いめにお酒を作ってもらうか? ダメだ、ここにあるお酒で西島くんが頼みそうなラムネサワーやメロンサワーなどは、お酒と割り材が別々になった状態で運ばれてくるので気づかれてしまう。仮に一緒になっているものをうまく注文させたとしても、私はお店の人に知り合いがいないからそういう裏メニューみたいなものは使えない。やはり、彼が席を離れたところを見計らってジョッキにお酒を混ぜていくしかないだろうか。でもそれではマイたちに怪しまれてしまう。


 と、そこまで考えて私は気づく。城前くんは、ここの店長と知り合いだったはずだ。彼ならうまいこと西島くんに悟られることなく、お酒の量を多くした状態でドリンクを提供させることができるかもしれない。

「まあ、そんなことできたとしても、やっぱり無理なんだけどねー」

 それでもやはり、この案も現実的ではない。濡れた手で頬をぴしゃりと叩き、ハンカチで拭いてから私はトイレを出る。


 そもそもの問題として、お酒を濃くしなければならない理由を城前くんに説明できないのだ。「西島くんのゲロシーンがどうしても見たいの。だから協力して」なんて、彼に伝えたらドン引き間違いなしだろう。

 だから、この店に一つしかないトイレの出入り口の近くの壁に寄りかかり、個室が空くのを待っていたらしい城前くんがすれ違いざまに「奈良坂お前、ケイがゲロ吐いてるところ見たかったりすんのか」と声をかけてきたときに、私のほうが嘔吐しそうになってしまう。

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