~interlude2~

 穴を塞ぎながら回る紀美枝。その傍らに今夜は、紙の騎士のような存在が。

 この騎士は仮面を付けている。


 これこそが紀美枝の造っている式神なのだが、薙刀を持っているのが、ある意味でその特徴か。


 もしかすると、この敵は世界の越境者ではないか、と昔に姉の要から聞いた、原理とその敵との戦いを思い出す。

 或いは、昨日出会ったあの皮肉屋のことなども。

 それならば、何故人間はこの宇宙を超え出ようとしてしまうのか。


 ――無理なものを求めるのが浪漫ってもんだからだよ。限界を突破して、その先を見てみたいっていうのが人情じゃないか。なぁ、って言っても紀美枝にはそんな夢みたいな世界はシンパシーの範疇外だろうがな。


 とは要の言だったか。それがますます紀美枝には不可思議だ。


 この世界内での有限の存在である人間は、どうやってもそれ以上のものにはなれないのだから、それを拡張していけたとしても、所詮は物質に依存する存在だ。

 紀美枝は魂の不死などは信じてもいなければ、魔術による物理的世界の超克などもお笑い種だと思っている。


 魔術師はもっと現実の困り事にコミットするべきなのだ。人間の敵は多いし、生きる為の知恵は幾らでも必要だ。

 だがそれを意図せず超え出てしまう存在もいると聞く。


 それが、虚実機関が血眼になって探して管理しようとしている、SPことスピリット能力者だろう。


 その枠組みに空も入っている可能性もあるので、紀美枝が保護し監督している。

 あの子の魔眼はだから、その真の才能を考えれば、紀美枝は少し心配だし不安もある。

 SPや魔種はいつどんな可能性に変貌するか分からないからだ。


 ――願わくば。あの子が平穏に生きられるように。


 だから、このをあの子には必死で切り抜けて貰いたい。それには恐らく自分は・・・・・・。


 ――その時。グチュグチュと音がして、幾つか空いていた傍の穴から、何かが這い出して来る。

 咄嗟に反応して避けるのだが、危ない所で式神が防御する。


「――む。これは、そうか」


 現れたのは少女、の姿をした異形の吸血鬼だ。黒い何かを纏ったように、グロテスクなオーラが漂う。

 式神が静かにそれに向かい対峙する。その薙刀を払いながら。

 それを瞬時に素早く躱しながら、その吸血鬼――シン・クライムの寄生体――は紀美枝の周りに結界の様な穴を展開する。


「あらかじめ仕込んでいて誘い出された、という訳か」


 それを適確に、銃でも撃つかの様なポーズで次々に破壊していくが、これは今度ばかりは数が多く、追い切れない。

 だが式神は、高い場所にまで行って、その少女とバチバチやり合っている。


 互いに攻撃が当たらない。シン・クライムはその空間を操作する魔術であちこちから、魔弾を飛ばして来るのだが、式神は弾いたり躱したりするのも上手い。

 だが、そういう攻防であるので、こちらの式神もあまり攻勢に出られず、薙刀は空を切るばかり。


 紀美枝は――ああ、これが魔術師としての腕の差か、年期か。

 そう思うのだった。


 それは自分にはまだやれる事はあるが、これ以上本気でやり合うのが馬鹿らしくなったとも言える。

 何故なら相手は魔術師の技の競い合いには不似合いなほど、ドーピングしているみたいなものだからだ。


 だが、人間はこんな相手と戦う為に、虚実機関の構成員も体を張っているのだ。

 紀美枝もそんな修羅場は潜っているのだから、そんなのは日常茶飯事だ。


「ふん。まぁ、精々ここで消耗するんだな。大きな儀式には遠のくし、あの子らと戦うのが心許なくなるぞ。私がそれほど重要か?」


 そう言う間にも、恐らくそれは以前のその魔術師の固有魔術式だったのだろう、その紛い物の異空間であるものが、紀美枝の周りを取り囲む。

 そうして。紀美枝は渦のような異空間の中に吸い込まれていくのだった。


 ――そこは暗黒。生きては出られず。

 ――生命は全て解体されて。

 ――――エネルギーとして養分とされるのが、彼の固有魔術式〈パイオニア・オーヴァー・C〉である。

 ――――全ては、姉を理想の世界へ導く為の礎であり、理想郷の実現に歪んでしまった彼の唯一の志向性。

 ――そこから脱出する事は叶わず。


 やはり紀美枝は跡形もなく、その場から消えてしまう。

 虚しくも、その式神は主を失い、再び紙へと戻ってしまっている。

 それを確認すると、シン・クライムはまた穴の中にその彼女の姿で飛び込み、姿を消すのだった。




 何もなく静かな静かな、夜の静寂しじま

 そこに今吸血鬼が魔術師を呑み込んだとは思えない、そんな所に。

 またも空間に亀裂が入り、中からボトリと得体の知れない塊が飛び出てくる。


 ――――まるで。

 何か入ってはいけない異物を、その空間の中身が吐き出したとでもいうように。


 それはしかし最早、シン・クライムの影響も影も形もない。

 そう。確かにかの吸血鬼は、この場を去ったのだから。

 それが次第に変化をしていく。まるでそれが元あったように復元されていくように。


 世界の時間が戻るのか。それともまた新たに構成しているのか。

 次第にそれは人の形を取り、影が一つ。


「――――ふう。今回もきちんと式は発動したか。毎回、成功するのは分かっていても、少しその間際は不安があるが。・・・・・・さて」


 暁紀美枝である。それは元通りの、服装も表情も、その魔術の色合いも、全て同一。

 傍らの式神も再び、主人が帰還したことで動き出している。

 まるで一度死んで、また動き始めたとでも言うのか。


 彼女は冷静に式神に命じて、式神が周りを探知するが、周囲に何も影はない。


 ――――しかし。これこそが、虚実機関で生きていく為、才能や実力で姉に劣る彼女が考え出した――それもまた彼女が優秀である証だが――一つの彼女自身の固有魔術式なのだった。


「あの馬鹿姉は確か私のこれを〈プリメイチュア・バリアル〉と呼んでいたな。ふん。しかし、これで本当に良かったのか。だが、苦難の道は誰とて同じか。願わくば――」


 自分の娘と再びまみえる事が出来れば。

 あの子が生き延びていく術を身につけていき、あの魔眼を制御していければ。


 だが、遠からずあの子供は破綻する。そう彼女は面倒を見るのを引き受ける時に悟ったのではなかったか。


 彼女の魔術式の様な独自の魔術を作り出す才能が、あの子にあるとは思えない。

 あの子の魔術の才能は大したことはない上に、魔力炉とてそう大きなものではない。


 だから、式神も残したし、一つだけ、出会ったその日に、貴重な魔道具による術の施術も行ったのだ。それも彼女の大魔術式と近いと思われるそれを。


 紀美枝の固有魔術式〈プリメイチュア・バリアル〉は、一度機能を停止してしまった体を、再構成して機能を蘇生させる、桁外れの固有魔術式である。


 それこそバラバラに解体されようが、血液が不足しようが、全身が燃え尽きてしまおうが、それを一度式が起動すれば、元の暁紀美枝に復元してしまう。


 しかし、果たしてそれは同一の自分だろうか、などと哲学的煩悶をすることは紀美枝にはない。

 それが確からしく何も変わらないのなら、別にそれがまた違うものに変質していたとしても、紀美枝には何も頓着することはなかった。


 生物とは代謝によって、細胞や骨もすぐに入れ替わるし、連続性の中に生きているとはいえ、絶対的な自己像こそが幻想だと、半ば信仰のように彼女は信じている。


 故に、彼女はこの術式を完成させられたのだろう。

 彼女の特質に合致した固有魔術式。それが術式のレベルの高さである。


 姉ならば、死ななければそんなものは使い所もない、無駄なだけの役立たずだ、と言うだろうし、実際そういう実践をしている。

 姉の様なある意味で、特異なSPであるのなら。姉のように対魔の力を究極の域に達せられたら。


 それが妹としての彼女の意地であり、力のない人間が生き残る為の知恵でもあった。

 そうして生き残って来たのだから、何も誰にも文句は言わせない。

 そうして、後の処理が出来るようにと、要に――姉に――後始末は依頼しておいた。


 間に合わなければその時だ。あの子の運命は、あの子があの子自身が切り開くものだ。

 私は出来るだけの支度はするが、全てを拭わない。


 そう、あの悪魔の予言者は、それこそが最善だと、全てが上手くいく方法なのだと。確かに彼女の信頼する隠遁者の様なミュージシャン崩れは言ったのだから。


 ――精々、気張って自分にも執着はあるのだと、世界に対しての戦いを真に始めなければならないのだと、思い知るのだな、空。


 ――――そう、彼女はポツリと捨て台詞のようにつぶやき、これも復元されている眼鏡を直しながら、その暗闇から静かに去って行った。


 そうして、また元の暗黒。静かなる草木も眠る夜の闇。

 ここに物語は次の段階へと移行するのだ。




 ――それを彼方で見ていた一人の姿。


「ふむ。やはりあの女史はここで退場ですか。戦力として惜しいですが、仕方ありません。あの魔女がどれほど今期待出来るか。彼女達だけの問題だけではなく、今度こそ、私もウンベルトを止めなくてはいけません。あれは人に害為す〝災害〟なのですから――――」


 その姿は僧服であり、そのシスターはボコボコと水滴を周りに浮かび上がらせている。


 夜はまだ深い。何が蠢いているか分からない。

 局面が移行したことで、この静観していたが、その魔術式の見極めを長く観察して来た彼女も、重い腰を上げて、今回のシン・クライムの現界に対して動き出したのだった。



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