第1章魔女・その夜3
本日の学校も終わり、勉強は一応平均点くらいを取れればいいかって辺りで推移しているので、それなりに励んではいる。
ただし、それほど熱心さもなく、だが。
しかしというよりも、先生の影響でだろうと想起されることは、色々な本を読むのが私は好きだということ。
だから早く図書館に行こうと下駄箱で靴を履き替えていると。
「すみません、空さん。少し聞きたいことがあるんですけど、お時間いいですか?」
この丁寧な口調でしっかりした声色は、舞先輩だ。
「ああ、舞先輩ですか。何ですか、聞きたいことって」
しばらくの間、先輩は黙っていたかと思われる。その間も考えながら私の顔を覗き込むので、どこか気恥ずかしくなってしまう。
「あ、あの? 先輩?」
「ああ、すみませんね。ところで空さんは、確か学生名簿の名前では、暁という姓ですよね。どうして紅と、普段は名乗っているんでしょうか」
ああ、時々それは人に聞かれる。そういう方針だからとお茶を濁してもいいのだが。
「ええとですね。先生がそう名乗った方がいいだろうって言うんです。別に何かルーツとかでもないですけど、一応これが元の苗字らしいので」
芸名、って言うんでもないかもしれないけれど、結構この二重性を私は気に入っているのだ。
それをとやかく言う人も今までいなかったと思うけど。
「それにあまり先生の親類であることは、吹聴しないようにも言いつけられてまして。その、その辺はあまり話せる内容じゃないんですけど。こう見えて私も家庭環境は複雑なんですよ」
ふむ、と言ってその曇りなき正義の眼差しとでも言える先輩が、私のことをじっくりと見る。
「なるほど。いえ、不躾なことを聞いてしまって失礼しました。空さんにとっては嫌ってほどに聞かされた質問でしょうけど、やっぱり皆気になるんですよ」
あはは、と冗談めかして笑うのだが、今までの真剣味を隠そうとしているかのようで、見るからに怪しい。
が、別にだからといって、何かある訳でもない。
こうやって好奇心旺盛に探って来る人はいるものだし、私としては別に面倒だとは思うけど不快ではないので。
「じゃあ、もう行きますね。早く帰って来いって先生に言われてるんです。よりによって今日は図書館に行こうって日にね」
そう言って鞄を掲げる。返却するのに少し重いでしょうと言わんばかりに。
そうして舞先輩と別れて、私は真っ直ぐ図書館に向かった。
市立図書館でも一番大きい中央図書館は、恐らく大体どんな市でもあると思う。
市によって質の違いはあるかもしれないけど。
図書館で返却すると(近頃は予約の入っていない同館の本は、返却棚に利用者が番号ごとに置いて行くことになっている)、まぁ私はいつものように時間を忘れて、もう何度も見た棚をじっくり見ては、これはと思う本を結構念入りに確認して、借りようと思う物は手に持って行く。
何冊か自動貸し出し機で図書館のカードを読み込んでから、貸し出しをする。
そうすると、毎度のことながら返却日が記載された紙が出て来るのだから、まぁ司書の負担軽減とは言え、よくこんなシステムを考えたなと感心する。
聞けばレンタルビデオ屋なんかも、こんな感じになっているそうだし、スーパーも導入している所も増えて来た。
そういう所は度々利用していると、その設備が出来て来て、最初は戸惑いながらも次第に慣れていき、それを利用したた方がお得なことも多いので、自然とそれが普通になっていく。
ただお年寄りなんかは、中々そのシステムに馴染めずに困っていることが多いとも聞くから、今の若い層がその年代になる頃にはその問題は解消されるだろうか、と少し疑問だけど。
その後に、貸し出しはまだ出来ない雑誌を私は見ていた。
実は小説誌などは沢山置いているので重宝するのだ。
そうこうしていると、かなり集中していたようで、大体の自分の読みたいページは読んでしまった。
これで今月は満足だなと思っていると、アナウンスの声。
・・・・・・いけない。悪い癖だ。
私はその八時の閉館を告げるアナウンスを聞き、急いで帰り支度をする。
雑誌を元の場所に返すのを忘れずに。
あまり急いでもいいこともないので、少し早歩き気味に暗くなった通りを帰る。また小言を言われるんじゃないか、なんて思いながら。
通りを歩いて行き、住宅街がいつもより静かだなと思っていると、向こうに倒れている何かが見える。
何かなと思って近寄って行くと、犬の死骸だ。
それもえげつなく、喉を刳り抜かれたように抉られているのか、その部分に穴が空いている。
しかし、それが綺麗な幾何学模様の円なのに訝しく私は思い、もっとよく見ようと近づこうとする。
――そうすると。
「それに触ってはいけないわ。離れて!」
そんな凛とした女性の声がした。
私はその言葉通り、立って離れようとすると、犬がピクピクし始めた。
「え? な、何これ――」
「ほら、こっちに!」
え、とそちらを見ると、金色の髪を揺らす美女がそこにいた。
いや、うん。
美少女と言う方が適確なのかもしれないが、そう表現するのは何か躊躇われる。
その美女は真紅の目をしていて、私はそれに引き込まれてしまう。人を魅了する目、とでも言うのか。
「ボーッとしてないで! 逃げて!」
訳も分からない私が、そちらを見ると、その犬が何か得体の知れない怨嗟の声の様なものをあげながら、その美女に飛びかかっている。
「――む」
これは何か危機が迫っているのでは。逡巡を瞬時してから、私は決意を込めて、覚悟を決めて、鞄の中からナイフを取り出す。容れ物からそーっと出して。
このままでは何も出来ないからと、私は眼鏡を外す。
魔眼〝疾走〟を使うべきだと判断したのだ。
空虚な遠吠えで犬が金髪女性に襲いかかるのに、私は急いでそちらに向かう。
「何してるの! こっちに来ちゃ・・・・・・!」
そう言い、彼女はシュッと何かを振り払うようにして、犬の亡霊に手をかざす。
そうすると犬はグチャッと切り裂かれて、向こう側へとゴロゴロ転がる。
しかし、その後終わったのかと思うと、ピクピクしながら、切り刻まれた状態で向かって来る。
私はナイフを握り、〝疾走〟を自分に込める。
これで身体能力は飛躍的に向上するのだが、デメリットもある。反動があるのがネックという訳。
「うそ・・・・・・。速い・・・・・・! もしかして改造人間なの?」
何か気になる単語が聞こえたけど、今は気にしない。
とにかく犬と私は対峙して、どうも意志がないからか単調な動きで、スッとナイフを入れるのには容易かった。
そうすると、それまでグロテスクな状態になっても何ともなかった亡霊犬が、グシャグシャッと崩れていく。泥が流れていくみたいだ。
これは恐らく先生の力で込められた概念武装だから、こうなるのだろう。
こうなることを見越して、先生があらかじめ造ってくれたかのようだ。
「ふう。結構、これきついな。ぐったりしちゃうし」
私が息を吐いていると、女性が駆け寄って来る。
「改造人間である以上、わたしは共闘を申し出たいのだけど。この状況、説明が必要かしら?」
やはりそう言っていたか。
改造人間ってのは、虚実機関にいる以上は、絶対に耳に入って来る単語だ。
私や先生の様な、そうじゃない人間の方がもしかしたら珍しいかもしれない。
「あー、えと私、改造人間じゃないよ。だからスピリット能力者でもないし。まぁ、虚実機関の人間ではあるんだけど」
目を丸くする女性。じゃあ何だと言うのかって顔だ。
「うーん。共闘は多分した方がいいんだろうね。先生にも相談しないといけないけど。えーと、その私のはこの眼の影響で」
とこの黒い眼を指差して見せる。
「――もしかして魔眼? 信じられないわ。こんな極東の島国にこんな稀少種がいるなんて」
そう言いながら、ああだから機関が管理しているのねと一人で納得している。
まぁ、想像している事柄は、そう事実と違わないだろうけど。
「とにかく、私達の家に行かないかな。ここじゃなんだし。騒ぎを聞きつけられても困るでしょ」
「・・・・・・そうね。貴方達のラボに案内して貰うわ。・・・・・・わたしの名前はユーリよ。貴方は?」
「ユーリ、か。私は紅空。空って呼んでくれたらいい」
彼女、ユーリが名前だけしか名乗らなかったことに、私は深く追及することは出来ず、これにより後から様々な真実を知ることになるのだが、そうやって後回しになったのはこの時に何も問い質さなかったからかもしれない。
とは言っても、この時点では何も話してくれなかっただろう。
「ソラ、ね。改造人間じゃないのなら、その魔眼一つで闘うのは、割と大変でしょう」
歩きながら私達は話す。そうか。大変、だろうなぁ。
「そうかもね。でも私、ホントの所を言うとまだ今のが初戦でさ。色々鍛えられては来たんだけど、実戦って経験したことなくて」
そう言うと、妙に感心されてしまった。
「へー! それにしては動きに無駄がなかったわ。でも見る限り、少し消耗はしてるみたい」
鞄は借りてる本はあるものの、そんなに重くはないのだが、やはり先程の戦闘での魔眼使用が影響しているのか。
あまり酷使は出来ないだろうなと思うと同時に、私は充分今回役に立てるだろうかと不安にもなってしまう。
「ああ、もう少し行った所なの。先生の事務所は探偵事務所であり、魔術工房でもあるから」
そう式神とかも使う退魔士でもある先生だが、魔術師でもある。
理論家としては、姉の要さんよりも優れていると私は思う。
何を得意としているのか、今一つ私にはまだ分かってはいないのだけど。
「フム。ディティクティヴをやってるのね。その中に魔術師が関与するものがあるとかしら? あ、やっぱりそれも機関のカモフラージュか」
矢継ぎ早に色々言われては困る。
でも大なり小なり、そんな感じなので、少し苦笑いしながら同意の首肯をする。
「それより、君は何故あんな所に? 口ぶりでは私の町で何か危険なことが起こっている節だけど。いや、その前に君が何者なのかも聞かないといけないわね」
ふふ、とユーリは金色の美しい髪を揺らしながら、こちらを見る。
その涼やかな笑みに、少々ドキッとしてしまう。
だって、ユーリはとても綺麗な顔立ちをしているのだから。
あ、それに何かあの紅い眼は見てはいけないやつじゃないか。
「わたしも貴方とご同胞とも言えるかもしれないわね。実は、魔女なの。それも生まれながらのね」
なるほど、魔女。魔女。って、あの魔女?!
それも生まれながらのって言うと、確か何かの用語がなかっただろうか。
先生の授業をもっとまともに聞いておいた方が良かったな。
「ええ。ノーブル・ウィッチなんて魔術師や教会の人間は呼ぶわね。稀少種なのは吸血鬼なんかと一緒かもしれない。でもわたしは、悪魔と契約して魔なるものになった人間とはちょっと違うのよ」
ふーん、そういうもんなのか。とにかくそんな風にぼんやり話を聞いている内に、家まで来てしまった。
「どうぞ。ここだよ。ちょっと先生には言いづらい状況になっちゃったけど」
そのように言って、鍵を開けるとユーリを招いて家の中に入る。
そう言えば、吸血鬼と今言ったけど、その吸血鬼は家の中には招かれないと入れないとか、そんな俗説があったっけ。
「ただいま帰りました。少々厄介なことになってしまいまして」
と私の帰りを待ちわびていた先生に一先ず謝って、部屋に入る。
「ああ、空おかえり。やはり図書館に寄ると言っていたから予想はしていたが、また予想外にお客か。いや、何か想像はつくから、順番に説明してくれればいい。慌てなくとも私は怒ったりはしないからね」
良かった。先生はやはり冷静に何でもお見通しであって、こっちの事情も看破してくれる。
もしかしたら、本当に図書館に長居してしまった件もお見通しであるかもしれないだろうが、それは黙っていよう。
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