第1章魔女・その夜2

 世の中というのは呑気だなと思うのは、私が見ている限り、ここ最近の事件に関しても語られることはそうないし、皆がそんなの知らないよとでも言うかのように、気楽に暮らしている。


 私はこんなナイフをどこに入れてりゃいいのかと思ったけど、結局は鞄の奥底に仕舞うことにして、ボンヤリと学校に向かい教室に入り、席に座るとボンヤリこれからどうなるのか、とあまり深刻ではなくちょっとばかり自分の危機的意識が欠ける感覚で、ふーと溜め息を何気なく一つする。


「何だ。君みたいな太平楽な女が溜め息なんて珍しいな」


 そう声を掛けて来る級友が一人。その落ち着いた凛とした声はと思って振り返る。


「そんな風に言っちゃダメだよぉ。空ちゃんだって何か悩みがあるのかもしれないし」


 傍でそれを窘める少女がもう一人。

 何やらこちらからも、私に悩みがあったら異常事態であるかのように言う。


 最初に声を発した切れ味鋭い瞳に、すらっとした身長で、お洒落とは縁のないかのように髪をただある程度までは伸ばしている女子生徒が、川上歩かわかみあゆむ。結構長い付き合いになるんじゃないかと思う。ま、女子同士の腐れ縁かしら。

 そして、もう片方の気弱そうで、少し野暮ったいものの大きめの髪飾りなどをして精一杯の主張をする女子が、小松海こまつうみさん。彼女とは中学から一緒だ。


「や、家庭の問題なのよね」


 そう、私がポツリと言うと、歩の方は興味を失ったかのように、ああと冷静に切って捨てる。


「なるほどね。それなら私達の立ち入る事じゃない。それを他人が聞いても何もしてやれないからね」


 そう言う歩は実は割と人情はあるのだが、こんな言動をするせいで誤解されやすい。

 いや、実はこの頃の事件的なこの町の様子にも、結構にこの子は心を痛めているということを私は知っている。


「もう歩ちゃんったら。聞いてみたら、私達でも力になれることはあるかもしれないでしょ。あ、でも空さん迷惑だった?」


 ほら、こんな風に面白い応酬をしている。

 それに私は別に自分でも悩んでいる訳ではなく、ついに来るべき時が来たかと、一種の感慨に耽っていただけだし、それを他言も出来ないので、何も言える言葉を持たない。


「あー、いや小松さん。心配してくれるのはありがたいけど、別に私は特に困ってないから」

「こう言う時に、体のコンプレックスが悩みだ、なんて打ち明けられても、こちらが困惑するだけだから、海、これくらいこの女には冷たい態度でいいのよ」


 む。そうか、それは喧嘩か。

 ま、別に買うこともないが、変に周りが言うから、本人がコンプレックスに思うのじゃないかね。私はそんなに気にしてないって言うのにさ。


「とにかく、何でもないよ。散った散った」


 その私の言葉と同時にチャイムが鳴り、担任の先生が来ると、最近の状況の説明から、それだから出来るだけ早く帰るようにとか、部活動の制限で時短にするとか、そんな私には何も関係ない話を聞き流していた。


 昼休みというと、結構楽しみにしている生徒は多いように思う。私はまぁ、やっと栄養補給が出来るというくらいで、特別の思い入れはないのだが、この時間には固まって食事をする。


 私の通う学校にはテラスがあるので、気候がいい時期にはそこで食べる生徒もちらほらいるのがいつもの風景だ。


 そこで何が何でもという訳ではないが、私達は先輩の一人といつも一緒にいるので、それで必然的に教室ではなくテラスで食べている。


「あ、まいせんぱーい。こっちです。今日は歩ちゃんも来てくれましたよ」


 小松さんが呼びかけるのは、清峰きよみね舞先輩。お姉さん的存在でもあるが、意外にお堅いようで、色々なことにうるさいという特徴も持つ。

 ふらふらと長い髪を揺らす先輩は、うどんのセットであろうお盆を抱えている。この先輩、相当のうどんフリークらしい。


 しかし、そんな人間が学食のうどん程度で満足出来るのか、なんて常々私は懐疑的である。


「あー、場所確保ありがとうございます。おお? 歩さんもちゃんと来ましたね。偉い偉い」


 うどんがほかほかしている所へ、私達はパンやらお弁当やらを広げる。私はツナサンドだ。


「ん? 空さん、ずっと変な目で見てますけど、お姉さんは分かってますよ。このおうどん、そんなにうどん好きが満足出来る代物なのか、って興味津々なんでしょう」


 あー、本音を当てられたのに、別にそれにギクリともしないが、何かそれでも知りたい欲求が勝り、息を呑んで、はいと答えてしまう。

 しかし、私は特に興味津々ではないのだけど。


「ふふふ。いいですか。何も高級な店で出る物だけが美食家の好む物ではないのです。町の何でもない普通の人が作ったおうどんだって、それなりに美味しいんです。いけるんですよ」

「それってB級グルメが好き、みたいな話ですか?」


 小松さんが合いの手を入れるが、それに歩がちゃちゃを入れる。


「海、今の舞先輩の話を総合すると、恐らくその様な食物をB級扱いするのは、少し間違った表現だと思うな」


 冷静に歩がお弁当をつつきながらコメントするのを見てると、おかしくてくすりと笑ってしまう。


 しかしこの歩のお弁当は自分の手作りなのだから、厳めしいいつもの歩とギャップがあるとして、隠れた人気があるとかないとか。


「まぁ、その呼び名は留保するとして、ですね。ちゃんと食べれば、食べ物に貴賤なんてないんです。冷凍うどんだって、インスタントのお出汁だって、食べる方の気持ち次第で美味しくなるんですから」


 何やら某古書肆の「面白くない本なんてないのだよ」みたいな発言である。私は吹き出しそうになりながら、堪えてモグモグと咀嚼して飲み込んでしまう。


「それならうどんなら何でもオッケーなんですか? カレーうどんは跳ねるから嫌とかもなく?」


 ちょっと意地悪に言ってみたのだが、くすくすと舞先輩は笑顔だ。そんなに面白いことを言った覚えはないのだけどな、私。


「いいですか、空さん。確かにカレーの汚れは、お洋服の天敵の様なものです。しかし、そこに美味しそうなカレーうどんがあれば食べてしまうのが人情でしょう。天ぷらうどんでもわかめうどんでも、何だってそれは同じですよ」


 まるでそこに山があるから登のだ、みたいなことを言う。


「でもそんなに炭水化物ばかり食べて太りませんかね。栄養バランス的に言うと、うどんばかりって」


「・・・・・・ふぅ。それを不摂生な食事ばかりの空さんに言われちゃいますかね・・・・・・」


 呆れられた。やー、私は家では先生とちゃんとした物を食べてるから、お昼くらいはいいかなと思ってるだけなんだけど。


「いいえ、三食のバランスは大事なんです。ほら、私はサラダとかも取ってるんですよ。あなたとは違うんですから」


 何かどこかの政治家みたいなことを言い始めた。その私の食事とうどんの偏食とどう違うと言うのか。理不尽です。


「聞いてるんですか。大体ですね、あなたはボンヤリさん過ぎますから、もうちょっと周囲に注意を払わないといけませんよ。危なっかしいなと思ったことが、何回もあるんですから」


 わ。これはお説教タイムかしら。

 これだから、この先輩は面倒なんだ。真面目な先輩は気楽に生きたい人間の気持ちを一顧だにしてくれない。


「この居眠り女に何言っても無駄ですよ。この子はね、何か欠陥があるのか、出来るだけ何も面倒なことは考えないでいようと、無意識的にそう面倒事から危機回避的に、すらすらと逃れていく体質なんですから」


 酷い言われようだ。歩ちゃんよ、君はどうしてそんなことを言うのか。心にもない発言だ。

 実際に私が何故こんなに空っぽに過ごしているかって、歩が一番知っているだろうに。


 それとも舞先輩用のパフォーマンスだろうか。


「とにかく、ですよ。最近物騒になって来てるんですから、空さんも気をつけて下さい。あなたが一番本当に危なっかしくて、お姉さん心配なの分かって貰えますか」


 ジッと舞先輩に見つめられる。その瞳はどこも笑える要素などない、真剣そのものであって、それにうっとこっちまで緊張してしまう。


「わ、分かりましたよ。でも集中する時の為に残してるって言うのかな。私ってばオン・オフの切り替えが激しくて、結構そんなに常時気を張ってられないのもホントですよ」


「ふうむ。確かに疲弊しろと言ってるのではありませんからね。ま、あまり夜道を歩かないとか、人通りの多い通りを歩くとか、それくらいは注意してくれればいいです」


 どうやらお説教は終わったらしい。私は食べ終わったツナサンドの袋を確認して、ゴミ箱に捨てに行こうと思っている。


 どうやら舞先輩はもう今の間に、あのうどんを平らげてしまったらしい。

 今はおにぎりをモグモグやっている。って言うより、そこに炭水化物がまだあるのか。


 もう私は何も言わないことにして、静かにその場で何とはなしに青空を見上げる。

 曇り空だが、太陽はバッチリ見えていて、それなりに天気はいいとも言えよう。


 とりあえず帰りには図書館だなぁ、と思いながら眼鏡のズレを直し、また心を無にするのだった。



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