西の森のネズミ姫

 西の森にはとても醜い怪物が住んでおりました。

 それはそれは見るもおぞましき姿をしていました。



 目は真っ赤に燃え上がり、口からは巨大な牙が生え、とがった鼻は黒く光っています。

 お尻から長い尻尾を生やし、手には鋭い爪、足はパンパンに膨れ上がっています。

 そしてその怪物はチュルチュル、チュルチュルと不気味な甲高い声をあげていました。



 人々はそんな怪物を恐れ、決して森の中に足を踏み入れようとはしませんでした。



 そんなある日のこと。


 そんな怪物を退治しようと一人の王子が名乗り出ました。


「父上、このまま西の森の怪物を放っておいては人々が安心して眠れません。わたくしめに討伐の許可をお与えください」


 王子のその言葉に国王は感激し、許可を与えました。



 意気揚々と出発する王子。

 彼の手には立派な剣が握られています。


 西の森はそれほど遠くはありませんでした。

 数日も歩けばたどり着く距離です。


 野宿を重ねながら王子は西の森へとたどり着きました。 

 とはいえ、くだんの怪物を見つけ出すのは容易ではありません。

 王子は慎重に森の中に入っていき、あたりをくまなく探しました。



 けれども。



 2日経っても3日経っても怪物は発見できませんでした。

 そろそろ食料も心細くなり、いったん引き上げようかと思ったその時。


 数匹のオオカミが一人の旅人を襲っているのを見つけました。


 旅人はマント姿で顔がよく見えません。

 ですが、明らかにオオカミの攻撃におびえています。


 王子はすぐに剣を振りかざし、オオカミの群れに飛び込んでいきました。



「やらせるか!」

「ぎゃん!」



 王子の一振りでオオカミを一匹仕留めました。

 我慢ならないのはオオカミです。

 仲間を倒され激怒したオオカミは、今度は王子をターゲットに襲い始めました。



「くっ!」



 数匹のオオカミに一斉に襲い掛かられ、王子は距離を取りながら防戦に転じました。



「そこの旅人。いまのうちに逃げられよ!」



 王子はオオカミの牙を防ぎながら旅人に声をかけました。

 旅人は旅人でどうしようかとオロオロしています。



「私のことはいい! この森には他にも醜悪な怪物がいるのだ! すぐに森から立ち去れ!」 



 王子が気をそらした隙に一匹のオオカミが猛然と王子に突進してきました。



「しまった!」



 突然の攻撃に王子は防ぐ間もなくまともに食らい、バランスを崩して地面に突っ伏しました。

 そこに残りのオオカミたちが一斉に襲い掛かります。


 王子は腕や足で必死に抵抗しますが、倒れた身体では数匹のオオカミの攻撃を防ぎきれません。

 たちまち身体中の肉を食いちぎられました。



「くう!」



 もうダメかと思ったその時。

 旅人が地面に落ちた王子の剣を拾い上げ、オオカミたちに斬りかかっていきました。

 それはもう、しっちゃかめっちゃかな振り回し方で、オオカミたちは驚いて王子の身体から離れていきました。

 それでも旅人はやめることなく執拗にオオカミたちに向かって剣を振り回し続けます。

 自分自身さえも斬りつけるのではないかと思えるような不規則な動きにオオカミたちは近寄ることもできません。

 やがて、オオカミたちはあきらめて帰って行きました。



 旅人はオオカミが見えなくなったのを見計らって王子のもとに駆け寄りました。


「もし。もし」

「ううう……」


 身体中ひどい怪我を負った王子はうっすらと目を見開くと、そこにいたのはフードを被ったネズミの怪物でした。

 そうです、王子が旅人だと思って助けたのは旅人ではなく、マントとフードで身体を隠した西の森の怪物だったのです。


「ありがとう、あなたのおかげで助かりました」


 お礼と同時に聞こえてくるチュルチュルという甲高い音に、王子は気を失いました。




「ん……」


 王子が目を覚ますと、そこは木で造られた一軒のボロ屋でした。

 木のベッドに木の椅子、そして木の机。

 屋根はあるものの、ところどころ日の光が差し込み、壁には無数の穴が開いています。



「気が付きましたか?」



 王子が半身を起こすと背後から声をかけられました。

 振り向くとそこにはあの怪物が立っています。



「お前は……! ぅ……」



 飛び上がろうとしたものの、全身に激痛が走って思うように動けません。



「まだ横になっていてくださいまし。かなりの怪我だったのですから」



 見れば、全身に包帯が巻かれています。

 王宮の医師でさえここまで見事に巻けません。

 王子は不思議に思いながら尋ねました。



「お前は……医学の心得があるのか……?」



 怪物は「はい」とうなずきながらもそれ以上何も言いませんでした。



「礼を言わねばなるまいな。ありがとう」



 王子はゆっくりと横になると、素直に礼を述べました。

 怪物はぶんぶんと首を振ります。



「そんな……。私の方こそ助けていただき感謝しています」

「オオカミに襲われておったが……」

「薬草を摘みにきたところを見つかってしまって……」


 普段は気を付けているのですが、と怪物は反省しながら言いました。


「ここに住んでおるのか?」

「はい」

「ひとりで?」

「はい」



 驚きました。

 噂の怪物がこんなボロ屋の中で生活をしているなんて思いもしませんでした。



「食事はどうしてるのだ?」

「ここは木の実が豊富ですから」

「……人は食わぬのか?」

「食べるわけがありません」


 怪物は続けざまに言います。



「だって私はもともと人間だったのですから」





 ネズミの怪物が言うには、今から数年前。

 高名な医者の家系に生まれた彼女は、毎日父に付き従って全国の病気で苦しんでいる人々を見て回っていたそうです。

 ところが、とある村で原因不明の病が蔓延しました。

 それは発症して1週間で死んでしまう恐ろしい病でした。

 父はその病を調べ、やがて病原体はネズミと突き止めました。

 そこで、村中すべてのネズミを見つけ出しては焼き殺したのです。



 それ以降、村では病は完全になくなったのですが、父の所業に激怒したのがネズミの神様です。

 ネズミの神様はネズミを焼き殺した男の娘である彼女に魔法をかけ、醜悪なネズミの怪物へと変身させてしまったのです。


 父は何度も元に戻してもらうよう嘆願しましたが、聞き入れてはもらえませんでした。

 やがて、助けたはずの村からも拒絶され、ネズミとなった娘とその父は流浪の旅をつづけました。



 行く先々で気味悪がられる娘。

 ネズミの姿である以上、父と共に行動できないと悟った彼女は、この森にひっそりと住むことにしました。

 父は父で流浪の旅を続け、今現在も元に戻す方法を探しているのでした。




 その話を聞いた王子は心から彼女を憐み、醜い怪物というだけで退治しようとした己を恥じました。



「そうと聞いては黙ってはいられぬ。すぐに帰ってそなたの姿を元に戻す方法を考えよう」


 けれども、立ち上がろうにも立ち上がれません。

 生きているだけでも奇跡なほどの大怪我だったのです。

 王子はあきらめて横になり、体力の回復に努めました。



 それから毎日毎晩、ネズミの怪物は王子を献身的に介護しました。

 さすがは医者として各地を回っていただけあり、その手際は完璧でした。

 森の中で採れる薬草を塗られ、栄養価の高い木の実を与えられ、王子の身体はみるみる回復していきました。


 そうして、オオカミに襲われてから1週間後。

 王子の身体はすっかりもとに戻り、剣を振るえるほどにまで回復しました。



「世話になったな」

「いいえ。こちらこそ、久々に誰かとお話が出来て楽しゅうございました」

「そなたさえよければ、王宮に招待しようと思うのだが……」

「お気遣い大変うれしく思います。ですが、遠慮いたします。こんな姿では王子であるあなた様の評判に傷がつきましょう。怪物を招待したとあっては、周辺諸国から変な目で見られますから」

「気にせずともよい」

「いいえ、私はここで父の吉報を待ちます。本当にどうもありがとう」



 王子は「そうか」と一言いうと、城へと帰って行きました。



 さて、物語はここでは終わりません。

 その後、王子は国王を説得し、正式に彼女を城に招待しました。

 国王の同意も得ているとあっては断るわけにもいきません。

 彼女は着の身着のまま、ありのままの姿で城にやってきました。



 最初は驚いて遠のいていた城の人々も、王子がとても気さくに親しげに話すのを見て次第に警戒心を解いていきました。

 ネズミの彼女もまた、自分の容姿になど気にすることなく城の人々と交流を深めました。

 中でも王宮医師たちからは厚い信頼を寄せられ、彼女の調合する薬草や治療法を熱心に聞き入れました。



 そんなある日のこと。

 王子は父にまた進言しました。


「父上。どうか私に旅に出る許可をお与えください。彼女を元に戻す方法をなんとしても見つけたいのです」


 国王も彼女の人柄に惹かれていたためなんとしても元に戻してあげたいとは思っていましたが、方法が見つかるかどうかもわからない旅に許可を出すわけにもいきません。

 すでに何人もの使いをだしているのですが、いまだにわずかな情報も得られないのです。

 たとえ王子が旅に出たとしても一緒でしょう。



「ですが、私には彼女が不憫で仕方ないのです」



 王子の心意気に国王も気を揉みました。



「しかしなあ……」



 国王が困り果てているとネズミの彼女が現れて言いました。



「王子、お気になさらず。私なら大丈夫です。この姿でも受け入れてもらえると知りましたから。王子のおかげでこの姿のまま一生過ごす覚悟を決めましたわ」

「それではあまりに……」

「王子、本当にありがとう」



 ネズミの彼女が頭を下げると、王子の目からツーっと一筋の涙がこぼれ落ちました。



「礼などいらぬ。むしろ礼を言いたいのは私の方だ。誰かを愛するという気持ちを与えてくれたそなたにな」

「王子……」

「そなたが好きだ。どんな姿であろうと、清く美しい心を持つそなたに、いつしか惚れてしまっていた。どうか私と結婚してほしい」



 国王の前でのプロポーズにネズミの彼女は困った顔を見せました。

 まさかこんな自分に結婚を申し込む男がいるとは思わなかったのです。

 ですが、国王も王子の決断に「うむうむ」とうなずいていました。



「わしからもお願いしたい。いや、もちろんそなたの気持ちが最優先じゃが、わしは反対せん」



 ネズミの彼女は困り果てましたが、彼女もまた親しく話しかけてくれる王子に好意を寄せていたため、快く了承しました。



「わたくしでよろしければ……」



 するとどうでしょう、突然まばゆい光がネズミの彼女を包み込みました。



「こ、これは……!?」


 光はたちまちあたり一面に広がり、一瞬にしてお城全体を包み込みました。

 やがて、光がおさまるとそこには見目麗しい人間の姿をした女性が立っていました。



「……そ、そなたは」



 王子は目を丸くして女性を見つめます。

 国王はポカンと口を開けています。


 そして女性はあたりをキョロキョロと見まわすと、自分の手と足を見つめ、そして頬を触りました。



「も、戻ってる……」



 そう、ネズミの姿をしていた彼女がなんと人間の姿に戻っていたのです。



「なんということだ」



 国王はあまりの出来事にそうつぶやくだけで精いっぱいでした。



「は…はは……、ははは……。なんと」



 王子は信じられない喜びで身体を震わせ、人間の姿に戻ったその女性に抱き着きました。



「なんと! なんと!」

「ああ、王子……」



 その時、どこからともなく声が聞こえてきました。

 それは彼女が一度だけ聞いたことのあるネズミの神様の声でした。



「我が呪いが解かれたか」

「あなたは……」

「もしもネズミの姿であるそなたが誰かから愛の告白を受けそれにそなたが応じれば解ける呪いだったのだが……、まさか解かれるとは思いもしなかったぞ」

「……また、呪いをかけるのですか?」

「いいや。あれ以上の呪いはない。それにそなたの清い心は十分伝わった。同胞は戻って来ぬが、我がした仕打ちはいささか厳しすぎたかもしれぬ、許せ」

「いいえ、殺されなかっただけでも十分でございます」

「今後は一切関知せぬ。そなたの父には呪いが解かれたこと、我から伝えておこう」

「ありがとうございます」

「……幸せにな」



 声はそれきり聞こえなくなりました。




 後日、お城では盛大な結婚式が行われました。

 人々は新たなプリンセスの誕生に心からお祝いの言葉をあげました。


 かつてネズミだったプリンセスとその呪いを解いた王子の話は後世まで語り継がれたそうです。



 めでたしめでたし

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