狼の恩返し
その日、ピコは一匹の狼の子供を拾いました。
薪を拾いに行った帰りに、傷つき倒れているのを発見したのです。
ピコは宿屋を営んでいる父のもとへと連れて行き、泣きながら「助けてあげて」と叫びました。
父は、「はて、どうしたものか」と腕を組みました。
子供とはいえ、狼はこの村では危険な存在です。助けてやったら、数年後には人を襲うかもしれません。
「でも、かわいそうだよ!!」
狼の子供は、全身から血を流してグッタリとしています。
父は泣き叫ぶピコに根負けをして、狼の子供を助けることにしました。
他の動物と争ったのか、そころどころに爪や牙で傷つけられたような跡があります。
父は、血がにじみ出ている傷口に薬を塗りました。
人間用の薬なので、正直効くかどうかはわかりません。ですが、薬はこれしかありませんでした。
緑色のドロッとした軟膏を幾重にも塗り、真新しい包帯でぐるぐると巻いてあげる。
ほとんど全身が傷だらけだったため、ミイラのようになってしまいました。
狼の子供の怪我は思ったよりも軽症で、数日もすればミルクを飲めるぐらいに回復しました。
包帯もいくらか外されています。
「それにしても、きれいな毛並みだね、お前。白とグレーが入り混じってて」
ピコはそう言うと、ピチャピチャと音を立ててミルクを飲む狼の子供を微笑みながら見守りました。
拾った当初は赤い血で気づかなかったのですが、色つやのいい、ふわふわした毛並みでした。
ピコは、狼の子供をひとときも離れることなく見守り続けました。
※
そんな、ある日のこと。
狼の子供は宿屋のドアに何度も身体をぶつけて脱走を試みていました。
「どうしたの!? 傷口が開くからやめて!!」
ピコは慌てて止めようとしましたが、狼の子供はその手を振り払うかのように激しく身体を打ち付けています。
「父ちゃん、どうしたのかな?」
ピコが尋ねると、父は言いました。
「きっと家族のもとに帰りたいんだよ」
「家族のもとに?」
「ピコだって、いきなり自分一人知らない場所に連れてこられたら、不安だろう?」
「うん……」
「この子も同じなんだよ。不安で不安でたまらないんだ。家族のもとへ帰してあげよう?」
父の言葉に、ピコはうなずきました。
自分だって、いきなり知らない場所に連れてこられたら帰りたいに決まっています。
ピコは狼の子供に巻かれていた包帯を取ってあげると、ドアを開け放って外に出してあげました。
その瞬間、バッと駆け出す狼の子供。
「元気でね」
そう言って手を振るピコをチラリと振り返ると、狼の子供は元気よく駆け出して行き、姿を消しました。
※
それから、数年の月日が流れました。
相も変わらずピコは一人、父のためにせっせと薪を運んでいました。
まだあどけなさの残る顔立ちをしてますが、少しは背も伸び、たくましい身体つきになっています。
「よいしょ」
拾い集めた薪を縄で縛り、背中に背負う。ズシリ、と重たさを感じるものの、なんとか行けそうです。
ピコはフラフラと歩きながら宿屋に向かいました。
と、そんな彼の前に黒い塊が襲い掛かってきました。
「わっ!!」
驚いて尻餅をつくピコ。
反動で背中に背負っていた薪が、バラバラと崩れ落ちていきました。
慌てて薪を拾い集めてふと顔を上げると、なんということでしょう。
目の前には何匹もの野犬の群れが牙を剥いて立っていました。
ピコは一気に青ざめました。
今まで、この辺りに野犬の群れが出没したことなど一度もありません。
なぜ、こんな場所に野犬の群れがいるのでしょうか。
ピコの疑問は、野犬の唸るような声でかき消されました。
とりあえず、今は逃げるしかありません。
でも、どうやって?
この俊敏な動物が相手では人間の足では到底逃げ切れるものではないとピコはわかっています。
「どうしよう、どうしよう」と慌てふためきました。
ピコは拾った薪を正面に向けて構えました。
ちっとも武器にはなりそうもありませんが、他に何もないのです。
野犬は牙をむき出しにしながら、今にも飛び掛からんばかりの勢いで唸り声を上げていました。
(だ、誰か、たすけて───)
ガクガクと震えるピコの耳に、森中に響き渡るほどの遠吠えが聞こえてきました。
それは、すべてを突き刺すような、恐ろしい声でした。
「………?」
その声に反応して、野犬はビクリと肩を震わせながら辺りをキョロキョロと見回します。
再度、甲高い遠吠えが森中に響き渡りました。
さっきよりもはっきりと、そして力強い声。
ビリビリと空気が凍りつくほどの遠吠えに、野犬の群れは一目散に逃げ出していきました。
やがて、辺りは静寂に包まれました。
(た、助かった……?)
ピコは、ヘナヘナとその場に崩れ落ちました。
(でも、狼が近くにいるんだ……)
さっきの遠吠えは、紛れもなく狼の声です。
かつて拾った子供とは違い、大人になった狼は野犬よりも危険な動物です。
この隙に一刻も早く逃げなければ。
ですが、震えるピコの身体は思うように動きませんでした。
(動け、動け、動け)
震える足を踏ん張らせて立ち上がろうとするピコの前に、一匹の狼が姿を現しました。
「───ッ!!!!」
その姿に緊張が走ります。
こんな状態では、逃げることもできません。
ピコは、さっと薪を向けて身構えました。
その切っ先は、ブルブルと震えています。
しかし、現れた狼は襲いかかろうとはせず、じっとピコを見つめていました。
「………?」
おかしい、とピコは思いました。
野生の動物は、チャンスがあれば躊躇なく獲物を襲うはずです。
ですが、目の前の狼はいっこうに動く気配がありません。
そこでようやくピコは気が付きました。
「もしかして、お前……」
白とグレーが入り混じった、きれいな毛並み。
かつて拾った狼の子供と同じ模様です。
「あの時の、狼……?」
狼は無言のままくるりと向きを変え、静かに森の奥へと帰って行きました。
まるで、この森の主であるかのような、悠然とした後ろ姿。
気づけば、ピコの身体の震えが止まっていました。
「そうか。お前、あの時の狼か」
その後ろ姿を見送りながら、ピコは勢いよく駆け出して行ったあの時の狼の子供の姿を思い出していました。
狼の姿が見えなくなると、再び森に遠吠えが聞こえてきました。
それは、ピコに「ありがとう」と言っているようでした。
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