僕のクラスには魔女がいる
僕のクラスには魔女がいる。
魔女のような恐ろしい女という意味ではない。本物の魔女だ。
ホウキに乗って空を飛び、黒猫やカラスを従えて魔法を使って人々を脅かすあの魔女だ。
でも僕は彼女が空を飛ぶところも魔法を使うところも見たことがない。
カラスや黒猫としゃべってる姿なんて、もってのほかだ。
しかし、彼女を昔から知る近所の人たちは口をそろえて言っていた。
「あの子は本物の魔女よ」と。
噂は噂を呼び、「彼女=魔女」という図式は入学式一週間後には全校生徒に知れ渡るようになってしまった。
だからだろうか、彼女は常に浮いていた。
身体がではない、その存在がだ。
「よう、
彼女はそうやっていつもからかわれていた。
「ホウキあるぜ、ホウキ。これで飛んでみろよ」
時には教室の清掃用具から取り出したホウキを無理やり握らせて「飛べ飛べ」とはやし立てられた。
しかし彼女は怒るでもなく、悲しむでもなく、そのまま元の場所にホウキをしまって徹底的に無視した。
どこにでもいそうな可愛らしい名前である。
いや、実際彼女は可愛かった。
ショートボブの髪の毛はつやつやと光り輝いていたし、小ぶりな唇とふっくらとした頬は美少女の基準を見事に満たしていた。
しかし、彼女にはそれ以上に近寄りがたいオーラのようなものが感じられた。
近づけば刺される。そんな刺々しいオーラだ。
そのため、僕は彼女が誰かと親しげに話しているところを一度も見たことがない。
高校1年の入学式で初めて出会って、10月の現在に至るまで一度もである。
だから絶対ウソだと思った。
魔女と言ってからかおうという悪意あるイタズラに違いないと。
けれども、彼女を昔から知るクラスメートたちは口をそろえて「あいつは魔女だ」と言った。
「ねえ、君って本当に魔女なの?」
ある時、僕は美和にそう尋ねたことがある。
席が隣同士だったこともあり、自然と口からついて出た言葉だった。
彼女が魔法を使ってるところなど見たこともなかったため、半信半疑だったというのもある。
僕には彼女が魔女だとはどうしても思えなかったのだ。
僕のそんな何気ない質問に彼女は「そうよ」と答えた。
感情のかけらもない、無機質な返答だった。
「なら証拠を見せてよ」
きっと他の生徒なら畳み掛けてこう尋ねただろう。
でも僕にはできなかった。
ただ一言、「そう」とつぶやいて終わっただけだった。
それ以降、僕はなぜか彼女のことが妙に気になるようになった。
休み時間になるとさっさと席を離れてどこかへ行く姿を目で追いかけたり、隣で授業を受けている彼女の横顔をさりげなく横目で眺めたり。
体育のバレーボールの授業で、魔女の片りんが見られないかと目を凝らしたこともある。
しかし、美和は上げられたトスを打ち返せないくらいの本当にごく普通の女の子だった。
そんなある日。
いつものように休み時間にさっさと教室を出て行く彼女を、僕は何気なく追いかけた。
休み時間はたったの10分。
その10分の間に、彼女は毎回毎回教室から出て行き、授業開始1分前には戻ってくる。その空白の9分間何をしているのか追いかけて見ようと思ったのだ。
彼女はスタスタと歩きながら外へと向かい、人気のない校舎の裏側へと回っていった。
「……?」
明らかにルートが怪しい。
校舎の裏には何もない。
あるのは、校舎が建つ前からある大きな木が1本生えているだけだ。
まさか、その木に毎時間何か呪文を吹きかけているのではなかろうか。
そんなバカな妄想をたてながら追いかけていくと……。
僕は信じられない光景を目撃してしまった。
「にゃあ、にゃあ」
猫がいた。
ノラだろうか。
彼女は小さな白猫にエサをあげていたのだ。
ふさふさの毛が愛らしい、子猫だった。
美和はそんな子猫にポケットに忍ばせていたフレークを皿にパラパラとこぼすと、それを与えていた。
その表情は教室で見る無愛想な顔ではなく、穏やかで優しい表情をしていた。
「あ、あの……」
僕は思わず声をかけてしまった。
「──ッ!?」
瞬間、美和が驚いた顔で振り向く。
ギョッとする、そんな表現がぴったりな驚き方だった。
そりゃそうだ、僕が追いかけてるなんて知らなかっただろうから。
僕は見ちゃいけないものを見てしまったかのように慌ててしまった。
「そ、それ、ノラ猫……?」
なんとかつぶやいた言葉がそれだった。
「………」
美和は何も言わずスタスタと校舎の中へと戻って行った。
ものすごい形相をしていた。
眉間に皺を寄せて僕を睨みつけていた。
僕は何も言えずに、校舎の中に消えていく彼女の後ろ姿を黙って見つめるしかなかった。
それからというもの、僕は休み時間になると欠かさず校舎裏に来るようになった。
子猫が気になるというのもそうだけど、美和と話ができるかもしれないと思ったからだ。
相変わらず、彼女は教室の中では無言だった。
隣に座る僕にすら目を合わせようとはしてくれなかった。
毎回、休み時間になると必ず訪れていたであろう美和は、けれどもあれから一度も姿を見せなくなってしまった。
やっぱり、僕があとをつけてきたからいけなかったのだろうか。
それとも「ノラ猫?」と聞いてしまったのがよくなかったのだろうか。
あるいはその両方か。
いずれにせよ、彼女は休み時間になっても校舎裏には来なくなってしまった。
「にゃあ……」
可愛い声で喉を鳴らす子猫も、どこか寂しそうだった。
事件が起きたのはその数日後だった。
「校舎の裏に子猫がいる」
そんな噂が学校中に広まり、多くの生徒が一目見ようと校舎裏に殺到したのだ。
いまどき子猫なんてたいして珍しくはない。
けれども、このつまらない学校生活に癒しを求めたのか昼休みには人だかりができていた。
それが子猫の警戒心を煽ったのだろう。
校舎裏にある大きな木の上に避難して降りられなくなっていた。
「ねえ、あれヤバくない?」
下から見上げながら女生徒の一人が声をあげる。
確かに、子猫は10メートルはあろう高い木の上から下を覗き込んでフルフルと身体を震わせていた。
どうやってあそこまで登ったのだろう。
その様子を見て他の男子生徒が
「誰かはしご持って来い、はしご!」
と高らかに叫んでいた。
その声に反応して子猫はさらに委縮していた。
何度も何度も細い枝の上でバランスを崩している。
あのままだと何かの弾みで真っ逆さまに地面に落ちてしまう。
なんとかしないと。
その時、ふと美和の顔が脳裏に浮かんだ。
木の上で震えている子猫。
あの子に何かあったら、きっと彼女が悲しむ。
そう思った僕は、みんなが見ている中で自然と木に足を引っかけていた。
「お、おい?」
名前も知らない誰かが心配そうに声をかけてくる。
僕は何も答えず、そのままグイッと身体を持ち上げた。
生まれて初めての木登り。
しかもみんなの見ている前で。
普段の僕なら絶対にやらない行為だった。
けれども僕はいてもたってもいられなかったのだ。
子猫を助けなきゃ。
そんな気持ちでいっぱいだった。
木登りなんて初めてだったけれど、やろうと思えばけっこういけることに気づいた僕は、慎重に慎重に上を目指した。
子猫はなおも逃げようとするものの、枝が細すぎて身動きが取れないでいた。
「落ちるなよー」
「頑張れ、頑張れ」
騒ぎを聞きつけて多くの生徒が駆けつけて来るのを目の端でとらえる。
気づけば、人だかりが小さく見えた。
高さ的には校舎の屋上付近に近い。
するとその時、先生たちの声が眼下から聞こえてきた。
「何をしてるんだ!」
ヤバい。
騒ぎが大きすぎて職員室にまで響いていたらしい。
「危ないぞ、降りてこい!」
生活指導の強面の先生が、顔を真っ赤にしながら怒鳴っていた。
これは怒られる程度じゃ済まないかもしれない。
反省文10枚は書かされるな。
そう思いながらも、僕は子猫を助けようとひたすら登り続けた。
「おい! 降りろって言ってるんだ!」
声を無視して必死に登る。
子猫のところまであと数メートルまで迫った。
でも、僕の体力も限界だった。
手を伸ばせば届きそうな位置に子猫はいるものの、余裕がない。
子猫は子猫で震えながら逃げ場を探していた。
「頼むからジッとしててよ」
僕は渾身の力を振り絞って腕を伸ばす。
子猫のところまであと50㎝……40㎝……30㎝……。
ぐぐぐ、と腕を伸ばしていく。
あともうちょっと……。
と、次の瞬間。
「みゃっ」
子猫がとんでもないことをしてくれた。
なんと枝の上から空中にジャンプしたのだ。
「わっ!」
僕は咄嗟に木から両手を離して、子猫を空中でキャッチした。
しかし「捕まえた!」と思ったと同時に、僕の身体は木の上から落下していた。
「ひっ!?」
下にいる生徒たちの悲鳴と怒号が耳に突き刺さる。
お、落ちる──!
子猫を抱いたまま真っ逆さまに地面に落ちていく僕は、一瞬、死を覚悟した。
これで死んだら、バカと言われるかもしれない。
英雄と言われるかもしれない。
バカな英雄、ここに眠る。そんな墓標がここに立つのだろうか。
などとなぜか冷静にそんなことを考えていると、ふいに何かに身体をがっしりと押さえつけられた。
「──ッ!?」
同時に、ふわっと宙に浮いてるような浮遊感。
気付けば、美和が落下していた僕の身体を抱えていた。
そう、あの相楽美和が僕の身体をお姫様抱っこのように抱えていたのだ。
「み、美和……?」
思わず声を発すると、美和は僕の顔をちらりと見ながら
「バカ」
とつぶやいた。
「え、あれ? 僕、どうなってるの?」
下からは「おおおお」というどよめきの声があがっている。
……下から?
美和の身体に抱きかかえられながら首を動かすと、眼下に先生や生徒たちの姿が見える。
そしてなぜか僕はそのまま落下もせずにいるらしい。
「これ……浮いてるの?」
顔を動かすと、美和の顔が目の前にあった。
抱きかかえられているから当然といえば当然なんだけど、ドキッとしてしまう。
美和は気にせず「そうよ」とさらりと答えた。
「僕、浮いてるの!?」
「じっとしてて」
思わず飛び上がりそうになるのを、美和が必死に抑え込んでいる。
僕はすかさず美和の首に手をまわしてしがみついた。
女子特有の甘い香りと胸の感触が理性を吹き飛ばしそうになる。
「う、浮いてる……。美和って、本当に魔女だったんだね……」
「別に魔女じゃないなんて一言も言ってないし」
た、確かに……。
美和は僕の両手に収まってる子猫を見ると、少し口角を上げて言った。
「このまま下に降りると面倒だから、屋上まで行くわね」
瞬間。
ポーンとジャンプするような足取りで屋上まで飛んでいった。
下からは「おおおお」というどよめきがさらに聞こえた。
校舎の屋上にたどり着き、美和の身体から離れると、僕は少しふらつきながら地面にへたり込んだ。
「どうしたの?」
「こ、腰が抜けて……」
今さらながら、足がガクガクしている。
そりゃそうだ。
一瞬とはいえ死を覚悟したんだから。
「だらしないわね」
「だ、だらしない?」
ひどい。
決死の思いで子猫を助けたのに。
「でもありがと。この子を助けてくれて」
僕は両手に抱えた子猫を地面に降ろして離してやると、子猫はスリスリと頬を押し付けてきて、まるでお礼を言っているかのようだった。
「ほら、この子もありがとうって」
「猫の言葉、わかるの?」
「わかるよ。だって魔女だもの」
信じられない。
でも今さっき空を飛んだわけだし。
魔女だったのは証明されたわけだし。
本当なのかも。
「今はお腹すいたって言ってる」
「へえ」
「水も飲みたいって」
「へえ」
「あとお菓子ちょうだいって」
「待って! それ本当に言ってるの!?」
思わずツッコむと、美和はクスクスと笑いながら「さあ」と言った。
いつも無表情な彼女が屈託なく笑う姿、初めて見た。
ていうか、冗談も言うんだ。
冗談……なんだよね?
なんとなくホッとした僕は、気になってたことを聞いてみた。
「そういえばさ、休み時間に校舎裏に来なくなったのって、僕が来たから?」
スリスリしてくる子猫の頭をなでながら尋ねると、美和は口をとがらせて答えた。
「う、うん……」
「なんで?」
「だって……。魔女が白い猫とたわむれてるなんて恥ずかしいじゃない」
「へ?」
「黒猫よりも白猫が好きな魔女だなんて……」
なにそれ?
色の関係?
「白い猫って、恥ずかしいの?」
「恥ずかしいに決まってるわよ! 白よ、白! 純白! 魔女の癖に純白! 天使が黒猫を愛でてるようなものよ」
「……ごめん、例えがわからないんだけど」
魔女の世界ってよくわからない。
ていうかその言い方だと天使も実在するんだろうか。
気になっていると、美和は「うん、もういいわ」と息をついた。
「あなたにも見られちゃったことだし……もう我慢しないことにする」
「我慢?」
「その子猫……私にも撫でさせなさい!」
顔を真っ赤に染めながらそう言って詰め寄る美和。
なに?
なんなの?
これが美和?
ポカン、としてる僕の目の前で、彼女は僕から子猫を奪い取ると「かわいい」を連発しながら撫ではじめた。
うっとりした表情で。
口元をゆるめながら。
「言っておくけど、誰かにしゃべったら承知しないから!」
睨み付けるように言う彼女に、僕はコクコクとうなずいた。
美和はそれに安心したのか、いつまでも子猫を撫で続けていた。
その顔を見て僕は思った。
これは魔女だからとか関係なく、ニヤついた表情を見せたくなかっただけなんじゃないかと。
クラスの魔女、相楽美和。
この時ばかりは僕は彼女が天使に見えた。
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